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所長声明(政策提言No.71)

2020年4月28日配信

「コロナ禍に立ち向かう:危険と機会」

Kevin P. Clements(ケビン・P・クレメンツ)
戸田記念国際平和研究所所長

 新型コロナウイルスは今や地球全体に蔓延し、数十億の人々と多くの国々が「封鎖」と「自主隔離」に追い込まれている。だれもが身体的、社会的距離を取ること(ソーシャル・ディスタンシング)を実践している。ウイルスはあらゆるところで医療制度を圧迫し、多くの国が不意打ちを受け、ウイルスがもたらす過酷な運命と対峙する準備が未だ整ってはいない。国家経済も統合化が進んだ世界経済も急激に悪化している。政治体制、社会の回復力、政権の施策に対する恭順のすべてがコロナ禍による試練を受けている。2020年は人類史における変革の瞬間になろうとしている。この難題との取り組みが最終的にもたらすのは、革新的かつ根本的な制度変革もしくは現状の再肯定のいずれかであるが、後者はすでに、このパンデミックおよび増大する経済・政治・社会・環境的機能不全への対応能力の欠如を証明してしまっている。

 執筆時点で確認された世界の新型コロナウイルス感染者数は280万人、死者数は194,000人を数え、約50万人が回復過程にある。国にも人にも備えがなかった人間の生存の根幹に関わる課題と世界的な安全保障の問題が、今回のコロナウイルスにより顕在化した。

 それは、人間が自然を完全に支配しているわけではないこと、そして、自然界が人間に告げていることにもっと細心に耳を傾けない限り、防止可能なはずの多数の災厄が今後も続くことを教えてくれる。従って、目の前の解決策に目を奪われて長期的な課題が見えなくなるという事態を防ぐことが重要である。

 コロナ禍の死亡率は世界のテロ行為による死亡率をはるかに上回るが、それにもかかわらず、諸国は過去20年間、健康への脅威よりも軍事的脅威に対し、人間の安全保障よりも国家の安全保障に対し、より多くの資金を投じてきた。たとえば現在、危機の中心である米国では、テロ対策に年平均1,800億ドルを費やしているのに対し、パンデミックや新たな感染症と取り組むための計画の予算は20億ドル足らずである。振り返れば、今ではこの偏りが完全な誤りであったことがわかる。また軍事予算も、より危険な、起きる確率も高い21世紀の脅威に比較して、かけ離れたものである。たとえば米議会は2019年に国防総省に対して6,850億ドルの予算を配分したが、米疾病予防管理センター(CDC)に対する予算は70億ドルである。

 このことから、今回のパンデミックは、21世紀の脅威の性質に関して議論し、人間の生存に対する想像上の脅威ではなく現実の脅威と取り組むために、政治的・経済的優先順位を決定する唯一無二の機会を提供してくれている。

 危機は危険であるが、改善のチャンスでもある。危険は認識されているが、改善の機会についての認識はどうであろうか。

 まず第1に、私たちは、21世紀のリスク、脅威、危険の性質の見直しを始める必要がある。コロナ禍により、21世紀の国家において健康、世界人口、集団移民、難民、気候変動、不平等などよりも軍事的脅威を上に据えることは難しくなる。国民と政策担当者は、福祉と生存に対するこれらの脅威の複合化された性質について考え始めることが不可欠である。特に、人間の安全保障という概念に基づき、これらの課題を検討することが重要である。この概念の分析的有用性については懸念があるものの、規範としての目的は、この概念が提言された時点よりも緊急性を増しており、しかも、この概念に分析上の精度を与えることは、理論研究者の能力を超えるものではない。

 ブルントラント委員会(注1)によれば、「地球は一つだが、世界は一つではない」と。私たちは、国家間の格差を広げるのではなく、世界の共通点を育み、築くことに専心する必要がある。人間の安全保障という枠組みは、他人に対する思いやりに溢れた政治を目指すという観点から、最も有望と考えられる。それは過去には、あまりに包摂的である、あるいは国家の安全保障よりも個人と集団の福祉に重点を置きすぎるとして、揶揄され、笑われてきた。しかし、コロナ禍で浮き彫りになったのが、医療崩壊、気候変動、貧困撲滅に対しては全く無力であることが明らかな軍事的国家安全保障という枠組みの限界である。核兵器や通常兵器の軍備拡大競争は今日の世界的問題を解決できない。それどころか、問題はそれにより悪化し、複雑になる。

 軍事力はある意味において、敗北のしるし、政治的な失敗であり、私たちが21世紀に直面する人間の生存を脅かす脅威に対しては全く効果がない。人間の安全保障という枠組みは、福祉、認知、安全という根本的なヒューマン・ニーズを満たすことから始まる。これらのニーズを満たすには、あらゆる人が健康的で生産的な生活を送ることを可能にする食料、飲料水、汚染されていない環境が必要であり、医療・教育制度を特に重視する必要がある。このビジョンを推進できる戦略を策定するために、国家と世界の優先課題を軍事的安全保障から地球全体の安全保障へと大幅に転換する必要がある。

 世界的パンデミックへの対応も肝要であるが、その背後に不気味に迫るのが、今後50年間にコロナ禍と同等の混乱を巻き起こすともいわれる気候変動による中長期的な影響である。たとえば「The Lancet」(ランセット誌)は、2050年までの気候変動による死亡数を50万人と予測する。世界的に多くの明らかな予兆が確認され(氷冠の融解、異常気象、汚染など)、気候変動を核戦争と同等の重大事として認める必要がある。低炭素経済と化石燃料への依存の軽減に移行しない限り、気候という自然の怒りを買うことになる。コロナ禍と同様に、これも土地、生計、住まい、難民、強制移住、社会経済的な福祉に影響を与え、また、高確率で死亡数は数百万人に上るともいわれている。

 従って、21世紀の課題に対応するには、社会的・経済的・政治的システムの多様な結びつき、個別の脅威や相互に関連する脅威が政治的・社会的均衡を崩す可能性、また、実際にそれらがどのように均衡を崩すかなど、これらの問題に対し、最も優れた頭脳を結集して重点的に取り組む必要がある。優先順位を人間の安全保障に合わせるには、家庭・地域・国を、生活し移動し、そこにいられる安全な場にするという体系的でホリスティック(包括的)な考え方が必要になる。

 第2に、これら複合化された脅威のいずれに対しても、一国のみでの解決策は存在しない。それらに対処するには、地域的・世界的な協調を必要とする。新型コロナウイルスのより重要な脅威と取り組むために、全世界的な停戦を呼びかけたアントニオ・グテーレス国連事務総長の言葉は、21世紀のリスクを確率と致死性という観点から考え始める必要があることを伝える重要な訴えである。これにより、従来の安全保障上の脅威とは無関係な問題が重視されるようになる。グテーレス事務総長は呼びかけで次のように述べた。「ウイルスの怒りは戦争が愚行であることを如実に表している。そこで、私は今日、世界のあらゆる場所での世界的即時停戦を呼びかけたい。武力衝突を封じ込め、命を守る真の戦いに共に尽力するときが来た」(2020年3月23日の事務総長声明)

 このため、コロナ禍後の世界では、21世紀の多国間プロジェクトを再活性化させる必要がある。WHO(世界保健機関)などの国際機関からの脱退ではなく、国家と国民は世界に関わる意思決定のために、国際機関の効率、有効性、関連性の改善に重点を置く必要がある。同様に、国家や世界の政治的指導者は、様々な国際機関の戦略や目標の有効性と関連性について、「国益」という狭い概念ではなく、「人間」にとってより良いものにするために注意を向けなければならない。

 2000年に国連が採択したミレニアム開発目標、あるいは最近の社会開発目標の実現に向けた進捗状況には、非常にむらがある。このパンデミックは、貧困層に対してとりわけ深刻な打撃を与えるもので、その結果、貧困と不平等という問題はさらに悪化する。パンデミックにより、私たちは社会的、経済的、政治的な優先事項を考え直すことを余儀なくされる。「人間の安全保障」概念および再活性化された多国間機関は、革新的な政策決定を可能にするだろう。

 第3に、このパンデミックが国と地域と世界の経済活動に根本的な変化をもたらすことは明らかである。世界の労働者33億人中、合計81%において、職場が全面的または部分的に閉鎖された。社会的隔離という戦略により多数の企業が休業し、社員の一時帰休を行った(永久的に、または一時的に)。グローバル・サウス(南半球に多い発展途上国)の経済に対するこのパンデミックの影響の全体像は、まだ確認されていない。ラメシュ・タクールは次のように述べている:

 インドを含む貧しい国々には、感染症の防止の失敗と経済崩壊の防止の失敗という両方について、最悪の影響を受けるリスクがある。それはなぜか。まず、国の対応能力の不足により、「検査、隔離、治療、追跡」という体制を導入し、実施するための管理制度と医療システムが欠けている。ムンバイに広がるダラビ・スラム(注2)の状況で、社会的隔離とはいったい何を意味するのか。第2に、インフォーマル(非公式)・セクターが支配的であり、また、家族をどうにか維持するための日払い賃金への依存度が極端に高いという事情は、経済破綻が数百万人の窮乏状態をさらに悪化させ、病気と死亡の例数が数倍になることを意味する。

 このため、新たな経済的思考では、工業化された北部(北半球)だけでなく、南部(南半球)の持続的な経済活動も活性化する方法に重点を置くことが重要である。コロナ禍後の世界で古い経済モデルをあらためて追認することは、きわめて反動的であろう。国家と国民は21世紀のための新たな経済システムについて大胆に思考する必要がある。たとえば世界の北部では、正常な経済活動に戻ることが可能になった時点で、大きな変化が起こる。おそらくオンライン・ショッピングが拡大し、リモートワークの常態化が増加するものと思われる。全面的な経済崩壊という事態を防ぐことに必死の政府が導入する妥協のない経済パッケージのすべてを見ると、小さい政府と緊縮財政を基盤とする、旧式なネオリベラル式の行動計画への回帰を国家が主張することは、きわめて困難になることが予想される。今回の危機は、予算均衡のための社会保障削減という予算決定が、経済的必要性ではなく、政治的でイデオロギーに基づく選択であることを実証した。たとえば、ユニバーサル・ベーシックインカム(最低所得保障)という考え方については、この危機を乗り越えるために、多くの国がすでに同等のものを保証しており、それが検討不可能であるとする根拠はない。この危機の結果として生まれる経済システムを、大企業の安泰ではなく、確実に社会福祉中心のものにするべく努力しようではないか。

 第4に、回復力を持つ盤石な社会制度を確実に整備するためには、コミュニティーの再活性化と社会的連帯(ウイルスに対応する中で生まれたもの)を基盤とすることが不可欠である。危機が終息したとき、この惨禍を切り抜けることができたのは、公共サービスを担う労働者、最前線の医療従事者、そして、しばしば無視され、認められることもない、現代都市生活の土台を維持するために不可欠な人々全員のおかげであるという事実を、政治家も一般の人々も忘れないことが重要である。私たちを助けてくれるのは大物実業家でも有名人でもない。それはレジ係の店員であり、医師、看護師、配管工のような人々である。よって、これは私たちにとり、いったいだれに高い給与を与えているのか、それはなぜなのかを再評価する機会でもある。しかし、何よりも、持続的コミュニティーの礎石として、家族と世帯単位の回復力を基盤とすることが重要である。これは近所同士が足並みをそろえて協力し、確実に地区、町、市の自立性と持続性を強化し、少数の人のニーズではなく、全員のニーズに対する感受性を高めることを意味する。

 最後に、独裁的な指導者がこのパンデミックを利用し、非常時の権威主義的権力を恒久的に導入する事態を防ぐことが不可欠である。ハンガリー、ポーランド、イスラエル、ブラジルでは、このような事態が発生しようとしていることを示す証拠がある。このパンデミックは私たち全員に対する、民主的な制度を再活性化し、法の支配の下での平等を促す警鐘であり、また、経済の方向性を決めるためのハイレベルな政治的能力を生み、おそらくは国により中心的な役割を持たせるメカニズムの考案に対し、注意を喚起する警鐘である。ただし、この権力の集中と並行して、大衆の政治的意思決定への参加レベルを引き上げる必要がある。この危機を通じて、私たちはあらゆる分野で進歩的な政治変革を実現することにより、だれもが無償教育を含む、母体にいる時から墓場までの安全を保障され、未来が私たちに投げかけるあらゆる危機に対応できるだけの医療制度を構築しなければならない。

 つまり、このたびのパンデミックは恐怖と混乱と不安(戸田平和研究所での仕事とプログラムの中断も含めて)をもたらしたが、その一方で、それは新たなビジョンを築くための唯一無二の機会であり、より共感的、平等で、恐れが少なく、汚染が低減され、自然に逆らうのではなく、自然と調和した世界を創造するための新たな機会も提示しているのである。これは創造的な可能性が開かれた瞬間である。この世界危機がもたらした一つの結果として、今世紀の大きな課題に応えられるだけの世界をともに創出していこうではないか。

(注1)1984年、国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」(WCED=World Commission on Environment and Development)のこと。委員長が後にノルウェーの首相となったブルントラント女史であったことから、その名前をとってブルントラント委員会と呼ばれた。

(注2)インド・ムンバイにあるスラム街。約2.1平方キロの土地に低層建築物がひしめき合う中に、推定70万人から100万人が暮らす人口集中地区となっている。

所長声明の英語版(全文)は こちら から