ニュース・お知らせ

バヌアツ、国連の深海採掘に関する重要会議で海洋保護を訴える

2024年08月01日 - ニュース

    南太平洋の島嶼国家・バヌアツは、海底採掘に関する国際的な規制の策定を行う国連組織である国際海底機構(International Seabed Authority)(事務局:ジャマイカ・キングストン)が取り組む主要議題に海洋環境保護を据えるべきだと主張する国々の中で、主導的な役割を担っている。 今週開催される国際海底機構の総会では、採掘に設定される環境制約に大きな影響を与えると見られる次期事務局長の選出など、多数の議題が話し合われる予定。 ニュースの全文はこちら(RNZ International/Pacific)から。   Image: T Schneider/shutterstock.com'

訃報 チャイワット・サーシャ=アナンド教授 逝去

2024年07月08日 - ニュース

  戸田記念国際平和研究所長 ケビン・P・クレメンツ  2024年6月27日、チャイワット・サーシャ=アナンド氏が、がんのため逝去された。69歳でした。彼は優しく思いやりのある、素晴らしい人間でした。仏教徒が大半を占めるタイでは珍しいイスラム教徒だった。彼のその宗教的アイデンティティーが、いかにしてあらゆる差異を非暴力的に解決できるか、という生涯にわたる関心を彼に与えたことは疑いがないでしょう。しかし、抑圧的な支配に対して非暴力で抵抗する方法を理解したいという情熱を彼に持たせたのは、1970年代に起きたタイの軍事独裁政権に対する運動だったといえます。  彼は「私は、暴力というものは克服できる問題だと信じている。私は対立があることは普通のことであり自然だと考えており、それを根絶することを目指してはいない。しかし『暴力』は普通ではない。そして対立の解決に暴力を使う必要はない。平和的手段による別の方法があるはずだ」と述べていました。  チャイワット氏は、タイの国防軍や社会問題に関する研究と活動を行う「タイ平和情報センター」の所長やタイの戦略的非暴力委員会議長も務めました。彼は、イスラムの平和構築の伝統を理解することに力を傾け、一生を非暴力論とその活動に捧げたのです。さらに彼は数年にわたり国際平和研究学会(IPRA)の非暴力委員会を率い、私が事務局長を務めていたアジア太平洋平和研究学会(APPRA)ではメンバーとして積極的に活動をしました。  彼は2012年にエルヒブリ平和教育賞を受賞しています。2003年にはタイ南部で起きた暴力問題の解決のための国民和解委員会委員に任命され、暴力軽減の方途に関する最終報告書をタイ政府に提出しました。彼は非暴力の実践者であるだけでなく、優れた学者でした。彼の重要な著作の一つには「The Promise of Reconciliation? Examining Violent and Nonviolent Effects on Asian Conflicts(和解の兆候か?アジアの紛争に見る暴力および非暴力の影響を分析する-邦題仮訳)」(Transaction Publishers, 2016)があります。  これらの全ての業績にもまして、チャイワット氏は自己の可能性を存分に発揮した卓越した人物でありました。彼は非暴力を生き方として体現していた。彼の死は、彼と共に働く幸運を得たすべての人々から悼まれることでありましょう。  彼は戸田記念国際平和研究所の上級研究員として尊敬を集めていましたが、病により退くこととなりました。しかし彼はこの病に自らが束縛されることを許さず、平和への仕事を最後まで続けました。戸田平和研究所は、彼のパートナーであるスワンナ・サーシャ=アナンド博士に深く哀悼の意を表します。  APPRA、IPRA、ハワイのグローバル不殺生センターでチャイワット氏と共に働いたすべての人にも心からお悔やみを申し上げます。彼は、人生を懸命に生き切ることにおいて私たちの素晴らしい模範となりました。マレーシアのアンワル・イブラヒム首相による「私はこの並外れた魂に別れを告げても、彼が残した遺産に私は慰めを見いだす。彼の記憶が、我々が平和の道を歩き、困難に直面しても理解を求め、また調和と尊敬が支配する世界の構築に向けて、永遠に勇気づけられることを願う」との弔辞は、彼がどれほど高く評価されていたかを示しています。親愛なる友人の冥福を祈ります。非暴力の世界、非暴力のタイを目指した彼の素晴らしい仕事を続けていくことで、彼の生涯を讃えたい。

訃報 創立者・池田大作先生 逝去

2023年11月21日 - ニュース

 戸田記念国際平和研究所の創立者である池田大作先生が2023年11月15日、逝去された。95歳だった。池田先生は、平和・文化・教育を推進する在家仏教団体の創価学会インタナショナル(SGI)を設立し会長を長年務め、192か国・地域に1,200万人の会員を擁するまでに発展させた。  池田会長は50カ国以上を歴訪し各界リーダーと平和・文化促進へ対話を進めた。中国の周恩来首相、ソ連のゴルバチョフ大統領ら首脳とも語らいを続けた。冷戦のさなかにもモスクワと北京を訪れ、1972年の日中国交正常化への道を開いた。  こうした経験が、傾聴と対話による変革の力への強い信念を生み、師匠である戸田城聖先生を顕彰し戸田記念国際平和研究所を設立した。戸田先生は、1957年に5万人の青年を前に歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器の断固廃絶を訴えた。  池田会長は多くの書籍も執筆し、英国の歴史家アーノルド・トインビー、ジョセフ・ロートブラット、エリース・ボールディングなど数多くの識者と行った対談に基づく書籍も出版している。  戸田記念国際平和研究所一同は、創立者・池田大作先生の恒久平和への構想実現のため、さらなる努力を続けてまいります。ここに謹んで哀悼の意を表します。

NPT再検討会議に寄せて 池田SGI会長が緊急提案

2022年07月29日 - ニュース

 核軍縮等を議論する核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が、2022年8月1日(現地時間)からアメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれる。ウクライナの情勢をはじめ国際社会の緊張が高まる中、核兵器使用のリスクはかつてないほど増大しており、核兵器保有国も参加する同会議で、核兵器の使用と核戦争のリスク回避へ道筋をどうつけるかが焦点となっている。  2022年7月26日、戸田記念国際平和研究所の創立者であるSGI(創価学会インタナショナル)の池田大作会長は、同会議に寄せて核兵器を巡る危機の克服へ「核兵器の先制不使用」の誓約などを求める緊急提案を発表した。 緊急提案の全文はこちらから   Image: Romolo Tavani/ Shutterstock

追悼:武者小路公秀

2022年07月15日 - ニュース

武者小路公秀教授、1929年―2022年    武者小路公秀教授のご逝去の報に接し、戸田記念国際平和研究所は謹んで哀悼の意を表します。武者小路先生は長年にわたり当研究所の活動を支援してくださり、私個人にとっても親しい友人でありました。  武者小路教授は1929年にベルギーのブリュッセルで生まれ、2022年5月23日に92歳でご逝去されました。国際関係論と平和研究を中心に、長きにわたる優れた学問的キャリアをお持ちでした。実際、平和研究が学問として認知されるずっと以前から平和研究者でありました。  しかし、決して机上の学者で満足することなく、非暴力の推進、暴力的紛争の平和的解決、あらゆる場所での軍国主義の終焉にその生涯を捧げたのです。また、国連を強化し、日本や世界の人権、多文化、寛容を推進するために、休むことなく擁護し続けました。  武者小路教授は、学習院大学法学部政治学科、パリ大学政治学院を卒業されました。その後、学習院大学で際立ったキャリアを重ねられ、1968年から1976年まで上智大学教授、1969年にご自身で設立した同大学国際関係研究所所長を務められました。国連大学副学長を13年間務め、明治学院大学教授(1989-1998)、フェリス女学院大学教授(1998-2000)、中部大学教授(2001-2004)、2013年から退職するまで、大阪経済法科大学特任教授を歴任されました。  教授との出会いは、タシケントで行われた国連大学とソ連科学アカデミーが主催する核軍縮に関するワークショップでした。教授は、貴族のご出身でありながら、決してエリート主義的な考え方で人と接することはありませんでした。むしろ反対に、あらゆる階層、あらゆる文化の人々と心を通わせる驚くべき才能の持ち主で、このワークショップでもその才能を発揮されていました。また、日本語、英語、フランス語、スペイン語に堪能であり、政治的な見解に関係なく、全ての人と強い協力関係を築く素晴らしい才能もお持ちでした。私は、ワークショップでも、また先生のご生涯を通じても、対話と積極的な傾聴を促す能力に感銘を受けておりました。タシケントの後も、多くの会合に私を招待してくださいました。  武者小路教授は、誰に対しても分け隔てなく接し、肯定的で、励ましを送る方でした。また、揺るぎない意見を力強く述べると同時に、異なる意見の持ち主を深く尊重することができる方でもありました。国際主義と人種差別反対への献身は、ご自身の混血児としての体験、そしてローマ・カトリックとマルクス主義の思想的影響もあったと思います。氏はフランス人のクオーターで、7歳で日本に帰国した時、学校の仲間から「純日本人」ではないといじめられたそうです。このいじめが、氏の生涯の仕事を方向付けた原点となったのです。  また、世界中の少数民族や社会から取り残された人々の擁護者でもあり続けました。そのため、教授はそうした人々の大規模で活発なネットワークを持っており、彼らは、自分たちの声が確実に届き、抑圧や搾取を受けないようにするために、教授がしてくれた全てのことに深く感謝していました。例えば、反差別国際運動(IMADR)の副理事長(後に名誉理事長)、アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)の会長、大阪国際平和センター(ピースおおさか)会長を務めました。  さらに、早くから環境の持続可能性を提唱していました。例えば、1990年代後半に東京で夕食をご一緒したとき、差し出された割り箸を使わず、自分の箸を買い求めたのにはとても感心しました。この小さな行動が、自分の行動と信念を一致させたいと願う彼をよく表していました。  また教授は、国際平和研究学会を熱烈に支持してくださり、ケネス&エリース・ボールディング夫妻やヨハン・ガルトゥングなど、平和研究の先駆者たちと密接な関係を築いておられました。  私たちは、偉大な学者であり、日本の国際主義者であり、そして素晴らしい人間を失いました。ご遺族の皆様、そして彼と知り合う栄誉を得た全ての方々に、心よりお悔やみを申しあげます。 戸田記念国際平和研究所所長 ケビン・P・クレメンツ Image: https://www.mushakoji.com/