(政策提言 No.91)
2020年09月14日配信
中国、インド、パキスタンを固く縛る核の鎖
本稿(Ramesh Thakur著)は戸田記念国際平和研究所の政策提言No.91「中国、インド、パキスタンを固く縛る核の鎖(The Nuclear Chain Binding China, India and Pakistan in a Tight Embrace)」(2020年9月)に基づくものである。
はじめに
中国-インド-パキスタンの戦略的トライアングルを取り巻く戦略地政学的環境は、三つの核武装国が互いに国境を接し、重大な領土問題を抱え、1947年から戦争を繰り返しているという点で、冷戦時代にも類を見ないものである。増大するリスクは、インド太平洋地域において目的にかなった核規制体制を早急に制度化する必要があることを示している。この政策提言では、北大西洋地域のオープンスカイズ条約や海上事故防止条約をアジア太平洋地域に適した形で導入し、逆方向で中国とインドから核兵器の先行不使用政策を九つの核武装国すべてに広めることの利点を検討する。
二つの2国間紛争
インド-パキスタン紛争は、領土、宗教、同一主義をめぐる紛争であり、それがこの紛争の扱いにくさを説明している。1947年に両国が独立して以来、紛争が解決されないまま3回半の大規模な戦争と絶え間ない小競り合いが起こっている。近頃では、昔から優位に立ってきたインドにダメージを与える、低リスクかつ高インパクトでコスト効率的な選択肢として、パキスタンは越境テロ攻撃を支援するようになっている。
中国とインドの領土紛争は深刻で、1962年には大規模な戦争を引き起こした。3,488 kmの中印国境地帯は、世界で最も長い未確定かつ紛争中の国境線である。中国-インド関係は、インド-パキスタン間のような頻繁な小競り合いによる傷を負ってはいないが、時折衝突が起こっている。
核武装化
3カ国のうち、中国が最初に核兵器を獲得した。1992年以降、中国政府は、核不拡散条約(NPT)と自国の不拡散義務を精力的に維持してきた。中国は、包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名しているが、批准はしていない。一方、インドとパキスタンは、これまでのところ署名を拒否している。
インドは、1974年に平和的核爆発と称する実験を実施し、1998年には中国とパキスタンの密接な核協力を理由として5回の実験を行った後、自らを核兵器保有国であると宣言した。
パキスタンのズルフィカール・アリ・ブット首相は、1972年に核能力の開発着手を命じた。パキスタンは、1987年頃に最初の核爆弾を完成させ、その後1998年に相次いで6回の核実験を行った。NPTの義務に違反してパキスタンの核兵器開発を可能にする中心的役割を果たしたのは、中国である。
中国は、インドを脅威とは見なしていない。むしろ、インド-パキスタン関係における不安定性と危機の深刻化を危惧している。したがって、インドの行動は中国のレーダーの範囲外であり、その戦略的選択にも影響を及ぼしていない。しかし、中国の挙動は、紛れもなくインドの核政策を駆り立てている。
インドが中心的核ドクトリンの目的として表明したのは、「信頼できる最小限の核抑止力を追求する」ことである。しかし、核による脅迫や強要を思いとどまらせ、奇襲を受けた際の生存を担保し、核兵器による報復を可能にし、より強力な中国と比べても信頼でき、なおかつ、より非力なパキスタンと比べては最低限であるような、「信頼できる最小限の抑止力」とは一体何であろうか?
危機安定性と信頼醸成措置
現在の複雑な戦略的環境には大きな非対称性があり、全体的な安全保障上の計算における核兵器の役割は変化しつつある。また、最新テクノロジーが、勢力図に新たな不安定性をもたらしつつある。こういったすべてのことが、軍備管理交渉にとって課題となっている。単純に弾頭数を数えるだけの削減は、もはや役に立たない。なぜなら、安全保障の不均衡に関する、より包括的な計算に目を向ける必要があるからである。
戦略研究の文献を見ると、欧州-大西洋の核関係ばかりが取り上げられており、世界の学術研究をアングロサクソン系ヨーロッパが支配していることがわかる。しかし、インド-パキスタン関係とインド-中国関係も、紛争の火種となりうる。核の2国間対立は核の鎖へと姿を変えており、冷戦時代の兵器統制構造は、もはや現代の均衡において目的にかなったものではなくなった。
本稿で論じる戦略的トライアングルを取り巻く戦略地政学的環境は、冷戦時代にも類を見ないものである。米国とソ連の関係とは異なり、インドとパキスタンは、いずれか一方が他方に対して核兵器を使用すれば、自身も放射性降下物の被害に遭う。両国は長距離にわたって国境を接し、互いの領土内に進入する可能性もある。両国間には重大な領土紛争がある。また、互いの距離が近いため、いずれかの国が核兵器を使用するべきか否かを決定しなければならない時間枠が劇的に短くなっている。インドは、核武装した中国とも長距離にわたって国境を接し国境紛争を抱えていることから、この戦略的均衡に三つ巴の領土紛争をもたらしている。冷戦時代にこのようなことは決してなかった。さらに、定期的に起こる国内の政治的変動性と不安定性が、これらすべての懸念に拍車をかけている。
中国-インド-パキスタンの3国関係において、計画的な核攻撃から核の応酬に発展するということはまずないと思われる。しかし、インド亜大陸における対立は、パキスタン側の国境を越えたネットワークに関連する個人やグループがインド領土内でテロ行為を行い、それが核の応酬の引き金となるリスクがないとは言えない。抑止力の安定性のもろさは、脆弱な危機安定性メカニズムと相関している。また、いずれの国も、相手が核兵器備蓄量と能力を増強する度にいっそう不安を募らせるだろう。
明らかにこの地域では、重要な関係における信頼の欠如が問題となっている。インド太平洋地域は概して、信頼醸成措置(CBM)の経験がほどんとなく、そのような措置を支える機構がなく、創造的アイディアの育成器としての役割を果たすいわゆる「トラック2」となる公式および非公式プロセスが存在していない。唯一の成功モデルは、東南アジア諸国連合(ASEAN)である。中国-インド-パキスタンの戦略的絡み合いが核リスクの火種となりかねない状況で、現行の地域安全保障体制の妥当性を検証する必要がある。核武装国の間で戦略的政策対話を行うことにより、それぞれの核兵器備蓄、兵器システム、ドクトリン、戦力態勢について、透明性を高め、誤解を減らし、曖昧性を取り除くことができる。また、参加国は、お互いの脅威に対する認識について理解を深めることができる。
インドとパキスタンの間には多少のCBMがある。中国、インド、パキスタンは、技術的ソリューションやその他の可能なCBMなど、あらゆる選択肢を検討する必要がある。3国間の先行不使用(NFU)合意、オープンスカイズ条約、海上事故防止協定は、信頼を醸成する優れた手段となりうる。
先行不使用(NFU)
核武装国の中で、中国とインドの2カ国のみがNFUの誓約を表明し、それにふさわしい戦力態勢を敷いている。どちらの国にとっても、NFU態勢を敷くことによって既存戦力の残存性がいっそう重要になり、核攻撃力開発の重要性は低くなる。両国が公表している核ドクトリンにおいて、核兵器は、核による脅迫と強要から国を守るための手段である。両国とも、核兵器を用いた戦闘という考え方を支持してはいない。両国とも、確証報復により許容できない損害をもたらす能力によって、敵国の核兵器使用を抑止している。核哲学の類似性が、2国間の戦略的安定性にいっそうの重しを加えている。
中国のNFU方針は、同国の「限定的抑止力」という概念に基づく論理的帰結と言える。中国は、2019年防衛白書でも改めて表明した公式ドクトリンに従って、核兵器を先行使用することは決してないだろう。不注意または不正使用を防止するセーフガードとして、平時には、核弾頭は警戒態勢を解除され、運搬システムと別々に保管されている。
インドにとって、1998年の核実験以降における最も切迫した外交課題は、安全保障上の必要と核拡散に関する国際的懸念の折り合いをつけることであった。インドは、責任と自制を強調することによって、それを試みた。インドが1999年以降採用している核ドクトリンの中心的要素には、信頼できる最小限の抑止力、そして、非核兵器国に対しては核兵器を使用せず、核武装した敵対国に対しては先行使用しないという一方的約束がある。
中印どちらの国でも、NFU方針は緊張状態にある。中国-米国の2国間関係が戦略的関与から対立に変化すれば、中国の核自制方針の基盤が崩れるおそれがある。一方、インドの場合、パキスタンとの武力衝突という観点から見ると、パキスタンは昔から優位に立っていたインドによる攻撃を抑止するために先行使用方針を明言しており、また、カシミールがインド連邦に完全統合された直後でもあったため、2019年、インドのラージナート・シン国防大臣はTwitterへの投稿で、NFU方針は今後何らかの状況下で棚上げされる可能性があると述べた。しかし、このような変化を求める声を信じることは、インドのNFUをめぐる政治に対する誤った解釈に基づくものである。
NFUは、深遠な象徴的価値があるだけでなく、実際面でも大きな影響を及ぼしている。それはハイリスクなドクトリンからの脱却を促し、核戦力態勢および開発にも、それに見合った対応を要求する。警戒解除、核弾頭とミサイルの切り離し、照準外しは、核兵器が偶発的または不正に使用される可能性を大幅に低下させるが、先行使用方針を維持するよりもはるかに難しいことであろう。また、NFUは、敵の攻撃を非常に受けやすい戦術核兵器の開発や配備を抑制する。その一方で、NFU態勢では応答時間を長く取り、脅威接近情報をクロスチェックする余裕ができるため、抑止態勢が緩和し、結果的に戦略的安定性がもたらされる。
2020年6月の中印衝突では、両軍に死者が出たにもかかわらず、両国とも核兵器に言及しなかったのは特筆すべきことである。学術誌「原子力科学者会報」に掲載された論文においてマンプリート・セティと私は、中国とインドの慎重な姿勢は両国のNFU方針による部分があると論じた。
オープンスカイズ条約(領空開放条約)
アジアにおけるこれら三つの核武装国は、北大西洋で策定された二つのメカニズムであるオープンスカイズ条約と海上事故防止協定が、彼らの核の鎖に何らかの意味を持つ可能性を模索するべきである。
オープンスカイズ条約は、1955年にアイゼンハワー大統領が行った大胆な提案に端を発する。彼は、最悪の事態を前提とする決定によって、果てしないエスカレーションのスパイラルが生まれることを危惧したのである。そのために、双方の航空機が相手の領土を無制限に査察することを認める相互合意を提唱した。ソ連政府は、このアイディアを拒否した。ジョージ・H・Wブッシュ大統領がこれを再提案した際、ソ連崩壊後のロシア政府はこれを受け入れた。オープンスカイズ条約は、1992年3月24日にヘルシンキで調印され、2002年1月1日に発効した。2020年までに締約国は35カ国に達している。
同条約は、これまでに約1,500件のミッションを承認しており、そのうち500件以上がロシア上空での飛行である。ロシアは、同条約に基づいて上空を最も多く飛行され、査察を受けた国である。飛行は直前の通知によって実施され、主要な軍備と欧州域内での経路を証明する写真が提出された。締約国は、飛行により収集されたすべての画像を見ることができた。オープンスカイズ条約は、当初から、信頼醸成とリスク低減を目指す政治的関与の輝かしい象徴であり、きわめて実際的な貢献であった。
2017年1月に開催されたアジア太平洋核不拡散・軍縮リーダーシップネットワーク(APLN)の会議では、インド-パキスタン国境について、印パ間および中印間の相互強化的な二つの2国間合意、または3カ国すべての間の3国間合意により“オープンススカイズ”協定を締結し、それに基づく上空からの査察によって、意図しない紛争のリスクを低減しうるというシナリオが提示された。
さらなる分析を行うべき重要な疑問はいくつかある。冷戦時代の教訓を、アジアにおける核の3国間関係と多極環境にどのように生かすことができるか? アジア太平洋が重点を置くであろう/置くべき道筋は、2国間関係か地域的アプローチか(あるいは、同時にその両方か)?アジア太平洋の地域構造は情報共有と問題解決の習慣を促すために重要な役割を果たしており、政治的雰囲気が緊張したときには決定的な重要性を持つ。
海上事故防止協定
潜水艦搭載核兵器によって継続的な海上抑止力を達成しようとする競争は、インド太平洋地域に不安定化をもたらすおそれがある。なぜなら、インド太平洋地域の強国は、十分に練られた作戦構想、堅牢で冗長性を備えた指揮統制体系、航行中の潜水艦の安全な通信を欠いているからである。
海上事故防止協定は、1972年にモスクワにおいて米国とソ連の間で締結された。同協定は特に、衝突の防止、相互の「編隊」への干渉禁止、混雑海域での機動回避、「監視対象船舶に困惑や危険をもたらす」ことがないよう安全な距離を維持した監視活動、潜水艦が付近で演習を行っている場合の船舶への通知、相手方の航空機または船舶に対して模擬攻撃を行わず、有害な物体をその近くに落下させない措置を講じるよう、両サイドに求めている。また、この協定は、実施状況を検討するための年次会合を開催することを定めている。
この機能的な海軍間プロセスが意図するところは、相互の軍事活動に関する知識と理解を深め、事故、誤算、コミュニケーション不足による紛争の可能性を低減し、平時においても危機においても安定性を強化することである。中国-インド-パキスタンの戦略的トライアングルにおいて同様の協定を導入する際に、これらの一般原則が重要な検討事項となるだろう。
核規制体制の制度化
世界の核秩序の中心的な規制枠組みは、依然としてNPTである。本稿で取り上げた三つの核武装国のうち、中国のみがNPT締約国である。CTBTは中国が署名国であるものの、3カ国のいずれも締約国ではない。2017年の国連核兵器禁止条約への署名には、3カ国とも一切関心を示していない。また、3カ国の核関係は、核をめぐる世界的な逆流の影響と無関係ではいられない。五つの世界的潮流が、過去10年間の世界情勢において着実に進行する核武装化に関する不安を増大させ、偶発的または意図的な核兵器使用のリスクを高めている。
- 地政学的緊張が高まる中で緊迫する国際安全保障環境
- 一部の核保有国首脳の無責任な発言
- 核兵器の拡散と、最新の核ドクトリンで想定されるその役割の拡大
- 新技術の出現
- 崩壊しつつある軍備管理構造
核軍縮は、依然として、見通しのきく範囲の先にある。しかし、上記のような協定や実践を核規制体制として制度化し、中国-インド-パキスタンの関係を強化することによって、危機安定性と軍拡競争にかかわる安定性の両方をグローバルレベルで強化することができるだろう。
本稿は、戸田記念国際平和研究所の英文ウェブサイト上に引用文献も含めて掲載した政策提言No.91の要約版である。
ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所の上級研究員、APLN理事を務めている。元国連事務次長補、元APLN共同議長。