政策提言

気候変動と紛争 (政策提言 No.106)

2021年04月14日配信

コロナ禍を契機とする都市部から地方への逆移住:ツバルの事例

キャロル・ファルボトコ/タウキエイ・キタラ

 本稿(Carol Farbotko and Taukiei Kitara著)は戸田記念国際平和研究所の政策提言No.106「コロナ禍を契機とする都市部から地方への逆移住:ツバルの事例(Urban–Rural Re-Relocation as a Response to the COVID-19 Pandemic: The Case of Tuvalu)」(2021年4月)に基づくものである。

 コロナ禍の間、太平洋諸島では移住パターンに逆転が見られた。都市の有給雇用が減少するなか一部の地方への移住が増加し、多くの場合は国の政府がそれを奨励した。当初の地方移住の後に都市部に戻る移住者もいたものの、コロナ禍の間に生じたこの都市部から地方への移住は、たとえ一時的現象だとしても、太平洋諸島の人々の間では地方との文化的・血縁的な結びつきというものが、特に外的ショックにさらされた場合にレジリエンスを維持するのに、いかに助けとなるかを理解するうえで参考となる。

 ツバルでは、コロナ禍の少なくとも初期に、首都フナフティの島から地方の島々への国内移住が多く見られた。ツバルは、新型コロナの市中感染拡大を免れた数少ない国の一つだ。新型コロナがツバルの検疫の境界を破った場合、ツバルの離島はそれぞれの「ファレカウプレ」(伝統的長老会議)の統治プロセスを通してロックダウンを決定する可能性が高く、その場合、地方の島々のレジリエンスが究極の試練に直面する。

 ツバル政府の新型コロナ健康安全保障計画では、主要な柱として、首都在住者が自発的に離島に移住することが奨励された。もし新型コロナが国内に流入すれば、政府は「コロナウイルスの管理および抑制に関する規制」(Management and Minimisation of the Coronavirus Regulation)に基づいて移住を強制することもできた。

 ツバルの人々は自発的移住の奨励に応え、多くの人々が速やかにフナフティを離れて首都沖の地方の小島や、親族の絆をたどり、土地の所有権や使用権を主張できるような、より遠い離島へと移住した。これにより、地方から都市部への移住トレンドが突如として逆転した。

 ツバルの離島や地方の小島は、資源を共有する習慣があり、食料も現地で調達できるため、新型コロナの国内流入が起こりうる首都から移住してきた人々を支えることができる安全かつ安心な場所として認識され、実際にそうであった。

 ツバルの首都人口の4分の1が政府の助言を聞き入れコロナ禍の初期に地方の島に移住し、受け入れ先の地元コミュニティーも彼らを温かく迎え入れたのは、何故なのか? 答えは、ツバルにおける土地、文化、歴史的な移動のプロセスなどがどのように絡み合っているかにある。ツバルで行われている慣習的な制度は、人々がより安全な地方に移住するための広範で革新的な方法を提供しており、それらの地域は平和的かつ効果的にコロナ禍の課題に対処することができる。

 土地は、個人が所有するというよりむしろ村落が所有している。コロナ禍以前のフナフティの人口の大部分は、主に雇用のために離島から首都に移住した国内移民からなっていた。首都へ移り住んだ彼らは都市部の土地への慣習的な使用権を持っておらず、したがって、首都の土地の慣習的所有者であるフナフティの先住民と異なり、住居を賃借しなければならない。土地への結びつきが慣習的に強いため、何世代にもわたって他の土地に定住した後も「フェヌア」(故郷の島)に戻る人々がいるのは珍しいことではない。

 他にも多くの人は故郷の島に戻ることを夢見ている。これは、やむことのない望郷の思いのためでもあり、故郷の島とその地元社会に対する慣習的な責任感のためでもある。しかしそれは、安心感のためでもある。ツバル人はしばしば、自らのフェヌアを安全な場所と認識しており、例えば戦争やサイクロンの際にはそこに居たいと感じている。コロナ禍の緊急事態で首都を去ることを選んだツバル人の多くにとって、自分か配偶者がフェヌアの結びつきを持つ島を移住先として選ぶのは分かり切ったことだった。親族の絆が強いため、首都から故郷の島に戻る移住者が土地も親族の支援も得られないということは、極めてまれなことである。

 国の政府は離島が人口増加に対応できるよう財政的支援を行い、全体的な計画の助言を行ったが、移住する人々の定住と支援は既存の地域的・慣習的な統治制度に委ねられた。親族の土地に住む長年にわたる権利と地場の食料が入手可能であることは、首都からの移住を推奨する政府の計画の成功に不可欠であった。

 「カイタシ」(一族の土地、文字通り「一体となって食べる」)から食料を調達する権利は、非常に広い範囲の家族、つまりどれほど遠くても血縁関係があるなら誰にでも適用される。したがって、長期にわたって不在だったとしても一族のメンバーであれば、カイタシにおいて既存の住居に滞在し、食料を収集するなど、一族の土地を利用して支援を得る権利の分け前を主張することができ、実際にそうするのである。さらに、帰郷した移住者家族はその広い親族に属する世帯から、より永続的な滞在場所を提供される可能性が高い。

 政府の「タラアリキ計画」は、地方への移住を支援するために、食料の安全保障に関する慣行の重要性を認識していた。計画は、慣習にのっとった食料生産、保存、配分活動の強化を推進しており、いずれも、新型コロナウイルスの感染が拡大した海外からの物資供給や人道支援への依存を抑えることを目的とするものだった。

 また、タラアリキ計画は、全体的なレジリエンス計画の一環として慣習的な知識に基づく慣行を取り入れている。計画では、教育の責任を負うのは教育省だけにとどまらず、家族や島の地域社会も部分的に教育の責任を担うことになっている。コロナ禍の影響で学校教育が中断された結果、ツバルの若者たちは、慣習的な食料調達の慣行に新たに触れ、参加するようになった。それは、親族とともに行う場合もあれば、魚の保存、プラカ芋の栽培と施肥、ココヤシ樹液の収穫など、特定の技能開発を目的とする地域での研修会で学ぶ場合もある。

 緊急事態の間、地域住民の一致協力を確実にするために、島ごとのファレカウプレによる慣習的な統治が行われた。都市の暮らしに慣れた新住民を定住させるにあたって、彼らは、より「オラ・ツ・トコタシ(ola tu tokotasi)」あるいは「カロ・バオ(kalo vao)」(個別化されたライフスタイル)に慣れているといった課題は確かに存在する。また、新住民が増えたことにより、離島の天然資源への負荷は増大しただろう。とはいえ、食料安全保障の問題は報告されなかった。このことは、慣習的制度が十分に機能していたことを示している。

 「ファレ・ピリ」とは、隣人の問題を自分のこととして扱い、したがって隣人を家族として扱うことを意味する。ファレ・ピリを通して、親族と土地を共有する責任は、親族ではないけれど健康を守るために首都の島を離れたいと思う他者へも拡大適用されるようになった。フナフティ出身者も初めて、首都沖の小島の土地をこれまで土地利用権のなかった非出身者の人々にも利用できるようにし、必要とする限りその土地に家を建て、食料を育てて収穫できるようにした。

 コロナ禍の間に地方への移住が増えた太平洋島嶼国はツバルだけではない。文化や地理の特性は明らかに異なるものの、ツバルほど地方との慣習的な結びつきが強くない国でさえ、恐らくは、地域全体のレジリエンスを醸成するうえで慣行は重視されていると思われる。これは、例えば、宗教的指導者が地域社会の話し合い、調停、問題解決を奨励することなどで達成される可能性がある。

 人々が地方に移住する際、特に国の政策的な支援がある場合は、衰退あるいは休止していた慣行が復活することもある。新しい状況に合わせて修正される慣行もあるだろう。また、ターゲットを絞った訓練プログラムにより、食料安全保障といった特定の目的のために慣行を活用することも考えられる。全体的に見て、コロナ禍によって生じた都市部から地方への移住は、太平洋諸島の人々にとって地方との文化的・血縁的結びつきがレジリエンスの維持にどれだけ助けとなるかを理解するうえで有益だということである。

 本稿は、戸田記念国際平和研究所の英文ウェブサイト上に引用文献も含めて掲載した政策提言No.106の要約版である。

キャロル・ファルボトコは、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の科学研究員およびタスマニア大学のユニバーシティ・アソシエートである。

タウキエイ・キタラはツバル出身で、現在はオーストラリアのブリスベーンに居住している。ツバルNGO連合(Tuvalu Association of Non-Governmental Organisation/TANGO)というNPOのコミュニティ開発担当者であり、ツバル気候行動ネットワークの創設メンバーでもある。ツバルの市民社会代表として、国連気候変動枠組条約締約国会議に数回にわたって出席している。ブリスベーン・ツバル・コミュニティー(Brisbane Tuvalu Community)の代表であり、クイーンズランド太平洋諸島評議会(Pacific Islands Council for Queensland/PICQ)の評議員でもある。現在、グリフィス大学の国際開発に関する修士課程で学んでいる。