政策提言

協調的安全保障、軍備管理と軍縮 (政策提言 No.100)

2021年01月15日配信

核兵器禁止条約(TPNW): ロシアの視点

ウラジミール・バラノフスキー

 本稿(Vladimir Baranovsky著)は戸田記念国際平和研究所の政策提言No.100「核兵器禁止条約(TPNW): ロシアの視点(The TPNW: Russia’s Perspectives)」(2021年1月)に基づくものである。

 核兵器禁止条約(TPNW)に対するロシアの評価は、概して言えば、この努力に反対する他の国々の姿勢と類似している。TPNW に直接的または間接的に異議を唱えるロシアの議論は、全体として4つのグループに分類できるだろう。

 第1に、この問題は原則の問題として提示されている。TPNWの概念そのものが、核兵器の完全廃絶と全面的かつ完全な軍縮という、二つの重要な要件に照らして評価されるべきだと強調される。ロシアによれば、TPNWはこの関連性を形式的かつ表面的に提示するのみで、全く不十分であるという。これらの条件が満たされなければ、核兵器禁止は非現実的というほかない。

 このような「概念」のレベルでは、もうひとつの本質的な反論がある。核兵器禁止は、すべての国の安全保障を平等かつ不可分なものとする原則を考慮していないという事実を指摘するものだ。特に、核兵器保有国の安全保障を無視するべきではない。TPNWは、安全保障のために核兵器に依存する国に対して差別的なものになっている。

 より広い意味では、TPNWは核兵器保有国や核の傘に依存する国とそうでない国を対立させ、核兵器の問題に関する分断を深めることにより、核不拡散の概念そのものを弱体化させる恐れがあり、国際システム全体の未来を不安定にさせると批判者らは言う。

 また、核兵器廃絶の問題に取り組む際には、米国の宇宙兵器開発計画、世界の ABM(弾道ミサイル迎撃)システム、 CTB(包括的核実験禁止)条約が未発効であることなど、戦略的安定性に影響を及ぼす他のすべての主要な要因、とりわけ非核戦略兵器を考慮に入れる必要があるとロシアは考える。 TPNWは、これらの要因を考慮に入れていない。

 第2に、TPNWは国際社会におけるロシアの特別な立場に対する挑戦と考えられている。モスクワは公式に「核なき世界」という考え方に賛同しているが、政治的にも心理的にも、ロシアの大国としての地位を築くうえで、核兵器は重要な(不可欠とは言わないまでも)役割を果たしている。この点で、安全保障理事会常任理事国の地位や世界のリーダーシップを競う能力といったいくつかの重要な要素は、特に核兵器保有という裏付けや強化材料がある限りにおいて説得力があると考えられている。

 広大な領土を持ち、世界的大国として台頭する中国と直接国境を接し、通常戦力が相対的に弱い国であるロシアにとって、核兵器は軍事的安全保障の中核的要素である。それに加えて、核兵器を用いない通常戦力だけの大規模紛争という理論モデルは、真剣に注意を払うにほとんど値しないと考えられている。

 第3に、核兵器の分野で主流となっている傾向はTPNWと比べると異なるベクトルを持っていると考えられている。核兵器保有国の核政策は多様である。しかし、それらはすべて、安全保障と政治の両面で核兵器が果たす大きな役割を踏まえたうえで策定されている。

 核兵器に関する考え方や計画の個別の要素に対する重点の変化は、特に顕著に思われる。たとえば、先制使用、エスカレーション/デ・エスカレーション(エスカレーション抑止論)の動き、紛争時の通常兵器/核兵器の境界値などである。過去には核の役割を低減するものとして公式または暗黙裡に受け入れられ、認められていた方法が、拒絶され、あるいは考え直されている。

 逆説的であるが、TPNWは核軍備管理のロジックにおいてさえ懐疑的な評価を受ける可能性がある。核軍備管理を支持する人々の一部によれば、実際問題として、核なき世界の創出という幻想のような任務ではなく、核抑止の不安定要因の最小化に重点を置くことが重要だという。しかし、むしろ、後者に移行する(特にTPNWを通して)なかで、最小抑止力が不安定化をもたらすために問題が生じる可能性もある。

 第4に、TPNWに反対する人々の中には、このプロジェクトが構想および実行される過程で示された多くの明白な欠点を踏まえて、否定的な反応をするようになったアナリストや政治家もいる。

 特に、TPNWは、真剣な注意に値する多くの事柄を無視している。TPNWは、最も壊滅的な大量破壊兵器に取り組む文書を装っているが、同類の他のすべての文書(ごくわずかな例外を除き)と比較すると、国際軍備管理条約というよりは注釈のようである。実質性が不十分であり、分析には深さが欠けている。

 特に、TPNWは、検証という重要問題を実際には避けて通っている。検証は、条約の交渉においても実施プロセスにおいても常に中心的要素のひとつとなっている。また、TPNWには、違反した場合に何がなされるべきかに関する規定がない。

  また、参加国が条約からの撤退を決めた場合、禁止の可逆性という問題が生じる。それはすでに、ABM条約や INF(中距離核戦力)全廃条約のような世界の安定性の基盤と目されてきた軍備管理協定に起こったことである。

 最後に、伝統的な軍備管理体制は、条約とはさまざまなアプローチの間で受け入れ可能なバランスを模索する、真剣な交渉の結果でなければならないという前提に立っている。多くの国は、自国の関与なしに作成された文書に調印することはできないと感じるだろう。ロシアも、TPNWへの批判でこの点を主張している。

 上記の記述は、TPNWに対する明らかに否定的なロシアの見解を示している。これが近頃のロシアの立場において支配的な特徴であることは間違いない。しかし、長い目で見ると、この問題をより多面的な視点から検討したほうが良いだろう。核兵器全面禁止に対するロシアの姿勢には、変化をもたらしうる要因が存在する。

 また、上記四つの「核兵器禁止反対」グループのいずれにも、バランスを取る議論を見いだすことができるだろう。つまり、核兵器全面禁止の取り組みが善意に基づくもので、前向きな評価に値すると認める融和的姿勢が生まれる余地があるのだ。

 特にこれは、全面的かつ完全な軍備縮小に関するレトリックに関係がある。1950~1960年代には適切だったものは最早適切ではなくなり、時代遅れで、運用や実施を可能にする具体的な内容を欠いているように見えるのは明らかであろう。このロジックを反TPNWの主張としてそのまま訴えることは、望ましい結果をもたらさず、逆効果になるだろう。

 また、目先の政治的配慮は抜きにして、より長期的な視点を念頭に置けば、核兵器禁止は核軍縮の目標を弱体化させるという考え方はそれほど意味をなさないことが分かる。独立したアナリストは、TPNWが核軍縮という公式の共通目標と両立するだけではなく、それを達成する最も直接的な道筋を切り開くと考えるかもしれない。

 核兵器全面禁止に対するよりバランスの取れた評価では、分析のコンテクストは肯定的であり、いっそう幅広い視野に立っている。「TPNWは、世界規模で非核化を進め、 WMD(大量破壊兵器)廃絶を目指す他の二つの国際条約、すなわち1975年に発効した生物・細菌兵器禁止条約と1979年に発効した化学兵器禁止条約に核兵器を追加する、具体的で明確な一歩である」(モスクワ国立国際関係大学(MGIMO)の専門家、 ウラジーミル・コージン )。

 ロシアの専門家コミュニティでは、核兵器全面禁止に関する集中的な知的議論がなされた形跡はない。しかし、この問題を取り上げようとせず、これに対する見解を表明しようとしないからといって、必ずしも非核化に関心がない、あるいはその実際的な実施に懐疑的であるというわけではない。むしろ、議論の欠如は、核兵器禁止条約に対する過剰な批判がないことを意味している。

 ロシアの一部の専門家は、NPTとTPNWの間に生じうる矛盾を最小限に抑えるために条約作成のプロセスで条約に盛り込まれた多くの前向きな変更に注意を払っているが、同時に、将来の革新的な軍備管理体制にTPNWを包める可能性も想定している。

 ロシアにおける核兵器関連の議論の全体像をより正確に示すためには、伝統的な軍備管理とそれに対する非核化支持的な姿勢を抜本的に見直すことを求める運動に触れないわけにはいかない。このような考え方によれば、核兵器は国際システムの優れた安定化装置として評価される。TPNWに対する拒絶は、この種のロジックから直接生まれている。だからこそ、このようなロジックが公式の政策方針によって認められたものではなく、むしろ、ロシアにおける核兵器に関する国内議論の重大な要素ではなく、風変わりな思考であることは特筆に値する。

 全体的な政治状況も、さまざまな形で作用している。公式の政策の枠内で活動する解説者らは、明らかに、核兵器に関する議論をもっと精力的に促してもよかったはずだが、彼らにその熱意が欠けている理由は、恐らく、「反西側」を柱にした線引きはが現実に不可能だからであろう。ある意味では、TPNWに対する支持的な姿勢は、政治的動機に基づき、新たな非西側的連合/パターンの形成を目的とした、より広範な同盟国/従属国志向の戦略であるといえよう。

 しかし、この方向性を後押しするのは、日和見的、状況主義的な動機だけではない。重要なのは、ロシアにとって核軍備管理は依然として重要事項であるという事実だ。一部の専門家は、ロシアが遅かれ早かれ核兵器全面禁止の議論を受け入れるようになると考えている。なぜなら、抑止論はますます時代遅れと見なされ、 それに代わる有益なロジックが必要になると思われるからである。

 モスクワは核兵器禁止の熱心な支持者にいらだってはいるものの、TPNWが核不拡散努力に分断をもたらす要因になりはしないかと懸念しているようである。このような懸念は、矛盾を削減し、共通のアプローチを見いだそうとする努力への道を開くものである。

 TPNWについて論じるとき、ロシアの専門家は通常、他の重要かつ実質的に達成可能な目標に重点を置くことも得策であると強調する。たとえば、新START後の進展、 CTBTの発効、 INF条約に代わる制度の模索、多様な地域的パターンに応じた通常軍備管理や CSBM(信頼・安全醸成措置)の(再)発足、「非公式」の核兵器国を多国間協力体制に組み込むこと などなどである。このようなデリケートな分野で国際安全保障を強化するためには、より幅広いアプローチが必要である。

 ロシアのアプローチは、次のように要約することができるだろう。「この条約は気に入らないが、すでに署名され、批准され(最低水準の数であっても)、現実となってしまった。現在の段階については触れないようにし、問題全体については、早急に忘れ去られるようにするのは無理でも、少なくともトラブルの元になる可能性を絶つのが得策だ」。そのようなロジックが、どうやら支配的なようである(モスクワが余り公言するわけではないが)。このように、現在の形での核兵器禁止に対するロシアの姿勢は、全体的にかなり懐疑的なようである。

 2021年1月のTPNW発効をもって、核兵器全面禁止をめぐる全体状況が様変わりしているわけではない。しかし、全世界に向けた最小限の政治的、倫理的、規範的なメッセージという形ではあっても、変化は現れている。ロシアは、それを無視して現行の方針を維持するかもしれないし、あるいは利用可能な選択肢の中からどれかを選ぶことによって、方針を変更するかもしれない。

  (i) TPNWに署名し、本格的に参加国となる。この選択肢は理論上のものに過ぎない。これを実現するためには、「ロシア-国際システム -核兵器」という三項関係に大幅な(おそらく抜本的な)変更を加える(3要素全てではないとしても、少なくとも二つに影響を及ぼす)必要があるだろう。

  (ii) 署名はせず、政治的にもメディアにおいてもTPNWを支持する。これに伴って、たとえば条約のどの条項を遵守する用意があるか、あるいはどのような修正を望ましいと考えているかなど、このプロジェクトへの部分的または条件付き関与に関する声明も考えられる。前提がかなり人為的かつ非現実的なため、このシナリオの妥当性は疑わしいと思われる。

  (iii) 積極的かつ精力的にTPNWに反対する。この選択肢は、ほぼ不可能と思われる。そのためには、モスクワが核不拡散に反対する動きの先頭に立つ覚悟と、旧来の国際体制を支持して「ニューウェーブ」に反対するというロシアの自己認識が必要になるだろう。それは、国際システムの最新動向とそこにおける国の政策に明らかに反する。

 (iv)TPNWを受け入れず、それと同時に、条約への声高で執拗な反対をやめ、むしろ条約への反対者と賛成者の対話を促し、お互いの主張への受容と寛容を高めることを目指す。

  (v) TPNWの参加国および賛同国との建設的な関与を促進し、核兵器禁止および/または核兵器関連の問題に対する共通のアプローチを構築することを目指す。

 最初の三つの選択肢は、多かれ少なかれ急進的な(TPNWに賛成、または反対の)アプローチをもたらすだろう。モスクワが、すでに急進的な外交政策にさらなる急進的な新機軸を加える意欲(または能力)があるかどうかは疑問である。最後の二つの選択肢は、核兵器全面禁止がもたらすネガティブな影響をやわらげ、さらには、ロシアが核兵器関連分野全体で建設的役割を果たすことを可能にすると期待される。

 本稿は、戸田記念国際平和研究所の英文ウェブサイト上に引用文献も含めて掲載した政策提言No.100の要約版である。

ウラジーミル・バラノフスキー教授は、モスクワを拠点とするシンクタンク、ロシア科学アカデミー・プリマコフ世界経済国際関係研究所(IMEMO)の理事である。また、モスクワ国立国際関係大学(MGIMO)教授、戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会メンバーでもある。