政策提言

(政策提言 No.105)

2021年03月11日配信

攻撃にさらされ、弱体化する法の支配

ハルバート・ウルフ

 本稿(Herbert Wulf著)は戸田記念国際平和研究所の政策提言No.105「攻撃にさらされ、弱体化する法の支配(The Rule of Law: Undermined and Under Attack)」(2021年3月)に基づくものである。

 今日、法の支配は攻撃を受けて弱体化し、正当な武力行使の国家による独占はほぼ全世界でリスクに晒されている。大半の紛争に関して、国際社会は、国連の承認に基づき暴力を阻止するために介入する用意も意思もない様子である。本政策提言では、正当な国家による武力行使の独占に対する課題および将来の可能性について検討する。

 目下の安全保障環境は、世界的にも、また多くの国の国内においても、極めて不安定だ。世界の一部地域における、長引いている複雑な危機および戦争、地域における影響力または覇権をめぐる威圧的な活動、再び台頭する地政学的な敵対関係、残虐行為および大量虐殺、盛り返す独裁政権、未曽有の規模の強制大量移民、ならびにテロ攻撃による死者数の増加によって悩まされている。国内においては、多くの国が、国家の権威と正当性に異議を唱える過激な運動に直面している。

 歴史的に見れば、ヨーロッパにおける安全保障は、少なくとも1648年のウェストファリア体制からは、主として国家の他国に対する安全保障として捉えられてきた。政府当局と法執行機関、特に警察、軍隊および司法が市民を守る。誰人も法を我がものとし、私刑を行ってはならない。しかし、この概念は国際的にはルールではなく例外に留まっている。

 20世紀の終わりから21世紀の初頭にかけて、グローバル化とともに、平和および安全保障の政策において大きな変化が起こった。この政策提言では、国家による武力行使の独占に立ちはだかる四つの深刻な課題、すなわち、1) 国家から人への焦点の移動、2) グローバル化および安全保障の提供における国家の役割の縮小、 3) 武力行使の濫用、4) 暴力の民営化、について検討する。

 第二次世界大戦後、正当な国家による独占についてのウェストファリア基準が拡大され、人権を含むようになった。1948年の世界人権宣言は、1990年代に人権概念の発展によって 補われた。人間開発報告書(国連開発計画、1994年)および2005年世界サミットで国連加盟国が合意した「保護する責任」(R2P:Responsibility to Protect)は、この流れの中で役立った。人権原則が国際政治の中心に躍り出たのだ。

 このことは、物理的な実力の行使にとって次のような意味があった。すなわち、人間の安全保障を国家中心の安全保障に並置するとともに、国家の白紙委任的な合法性に疑問を投げかけ、その代わりに、人権の保護こそが国家の武力行使の正当性のリトマス試験紙になると主張された。

 人権の尊重は、国際的な介入にも影響をもたらした。それは国家の主権を疑問視して、他国の内政に介入することを意味しうる。国連憲章に明記されている国家主権の原則と、個人および集団の人権の特別な保護との間には、潜在的な緊張関係が存在するのである。

 国際社会は、重大な人権侵害のケースに介入することが認められるだけでなく、実際にそうする義務があるという理屈に変化した。R2Pは、「介入の権利」の問題ではなく「保護する責任」の問題だと結論付けることで、議論における用語の表現自体の変更を求めた。このことは、国家の安全保障から人々の安全保障へと焦点が変わることを意味した。

 グローバル化によって、国境はますます紛争の対象となり、また、突破しやすいものとなっている。領土のロジックに支配される国境の外では、多くの主体が活動することができる。経済、貿易、金融、通信および文化の国際交流と、テクノロジーの発展とが、このプロセスを生み出し、強化してきた。

 グローバル化は安全保障の提供における国家の役割を縮小させた。そして、非国家アクター(大企業やNGO、武装または非武装の非国家主体)の重要性が増したことで、改革された安全保障提供体制が求められている。

 国家による武力行使の独占という概念を批判する者の多くは、国家がしばしば武力を悪用し、権力を濫用するという事実を指摘する。国家は違法に、もしくは正当でないかたちで、武力を行使しうる。これを、R2Pのコンセプトは「国家による悪用または搾取的な利用」と呼び、正当でないものとした。

 国家による社会の管理は、物理的な実力によらなければならないわけではない。テクノロジーの発展により、新たな力学が加わった。テクノロジーは人々を抑圧するツールにもなればば、解放する役割を果たす可能性もある。また、私たちは、ヘイトスピーチや暴力の賛美がメディアから姿を消してほしいと考えるが、何が言論の自由の範囲で、何が違法となるのかは、経済的に優位な起業家らに任せるべきではない。というのは、彼らの検閲は恣意的で一貫性がないものになるからである。

 理想の世界においては、国家は中立的な仲介者または調停者として機能し、競争する社会・経済的アクターの間で公平な立場を提供する。しかし、政府はその力を濫用するとき、統治される側の合意に依拠しているふりをすることはできない。時として、政府は、たとえば、地域的または地政学的な目的を追求して、テロリスト、犯罪者またはその他の武装集団を支援するために権力を取り引きすることがある。

 過去20~30年間のトレンドとして、ボトムアップ(軍閥、民兵、反乱軍、準軍事組織、ギャング、暗殺集団、子ども兵士および組織犯罪を通じたもの)であれ、トップダウン(政府が、従来の軍および警察の機能の民間セクターへの委託を通じて意図的におこなう)であれ、安全保障の提供の民営化ということがある。暴力と安全保障の民営化は、国家による武力の独占に対する根本的な挑戦である。

 数多くの非国家アクターがボトムアップによる暴力の民営化に関与している。その理由は、自分たちを攻撃から守るため、政権を転覆するため、単に経済的利益のため、あるいは、政治的またはイデオロギー的な目的を追求するためなど多岐にわたる。非政府系の武装勢力の活動の結果、多くの地域で不安定化が見られるようになった。しかし、搾取的な国家の安全保障機関が自国民を脅かしているときには、武装勢力が地域とそこに住む人々の安全にとって唯一の保証となっているケースもある。

 トップダウンおよびボトムアップの民営化に加え、一部の国では、伝統的な集団が、武力の行使を含め、慣習法を適用する権利を留保していることもある。このアプローチは、国家の形成という一般的な概念と衝突しうるが、これら二つの異なる概念が、実りある協力関係として融合しているケースもある。

 ウェストファリア条約の概念は、重要な文明の進歩となった。それがうまく機能しているところではどこであれ、この前進を擁護することが不可欠である。しかし現在、伝統的な国民国家に基づく武力行使の概念の将来に疑問符を付ける大きな課題がある。この概念はいまや完全には機能していないからであり、根本的な改革が必要とされている。著者の主張は、存続可能な概念は、国家を超えた視野をもち、独占という考え方を克服し、何が正当なのかを明確にし、目的を説明しなければならないということである。

  1. 誰による誰のための安全保障か?  第1の目的は人々の安全保障でなければならない。安全保障は公共善として概念化される必要がある。
  2. R2P文書に規定されている、安全保障を提供する国家の責任という規範を擁護する。
  3. 規範としての人々の安全保障および国家の主権 。「保護する責任」は、人々の保護を含む主権の概念の改定を要請する。
  4. 力ではなくルールに基づく安全保障。国家であれ民営化されたものであれ、思い付きによる、恣意的で違法な暴力が絶対に存在しないことが、安全保障を力ではなくルールに基づくもの、言い換えれば、正当なものとする基礎でなければならない。
  5. 一主体としての国家。安全保障の提供において、国家は引き続き主要な主体ではあるが、唯一の主体ではない。非国家主体も安全保障上の正当な主体として認識できる。
  6. 多様な(細分化した)安全保障の提供者を認識する。国家が非国家の安全保障提供者を認知し、職務を委任する必要がある一方で、国家は安全保障がどのように提供されるかについて市民に対する責任を負う。
  7. 武力の行使を組織化する:この問題の要は、誰が実力を行使するか(公的アクターか民間アクターか)ではなく、その行使がどのように組織化されるかである。
  8. 武力の独占というよりも微妙なもの。非国家アクターを含め、武力の行使を統制する権限を有する複数の層を特定することができる。
  9. 安全保障セクターの統制と公的な精査:武力行使は統治される側の同意に基づかなければならず、あらゆる安全保障機関は説明責任を負わなければならない。
  10. グローバルレベルでの承認。国連は、国際レベルの軍事力による介入の承認のために必須の機関であり、その承認もルールに基づくものでなければならない。

 我々の今日いる地点は、武力を正当に行使する、ルールに基づき公的に管理された、人々の保護と安全保障を目的とするシステムからはほど遠い。この領域で冷戦終結以降もっとも野心的で受け入れられてもいる改革案はR2Pであった。結果は様々であるが、R2Pに致命的な欠点があるということではなく、むしろ明確な実施基準をもつ、よく練り上げられた概念である。しかし、国連加盟国、とくに大国の間で明白な利益の衝突があったために、一貫した適用が行われてこなかった。

 平和と安全保障の領域におけるもっとも深刻な問題に対処するため、平和と安全保障の規範を擁護し、その適用のためのプロセスを始めなければならない。そのプロセスは段階的なものとなるだろう。我々の生きる世界には、それぞれの歴史と社会文化的経験に基づく多様な政治システムがある。その中には好ましくないと思うものもあるかもしれないが、我々は、リベラルで民主的な単一の秩序に向けた世界規模の青写真は持っていない。力の濫用は受け入れられないが、事実、世界の多くの国で行われている。

 武力の行使の将来およびウェストファリア条約の概念がどのように発展していくかにについて考えることは、単なる論理的な問題ではない。選択肢の一つは、ルールと制約に基づき、武力行使が公的管理を受ける、進歩的でリベラルなビジョンである。または、統治される側にとって正当性がない、信頼されない政府による、恣意的でその場しのぎで、権力に基づいた、しばしば権威主義的な武力行使という、より悲観的なビジョンであるかのいずれかである。

本稿は、戸田記念国際平和研究所の英文ウェブサイト上に引用文献も含めて掲載した政策提言No.105の要約版である。本政策提言は、著者が2014年から2017年にかけて共同代表を務める栄にあずかった、フリードリヒ・エーベルト財団の不確実性の時代における安全保障の提供に関する検討グループ(ベルリン、2017年)の報告書を活用している。

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF: Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。