政策提言

気候変動と紛争 (政策提言 No.175)

2023年10月20日配信

変化する気候における太平洋地域とその人々: 太平洋の知恵と関係性の安全保障 ワークショップ・リポート

フォルカー・ベーゲ

Image: Willyam Bradberry/Shutterstock.com

本稿(Volker Boege著)は戸田記念国際平和研究所の政策提言No.175「変化する気候における太平洋地域とその人々:太平洋の知恵と関係性の安全保障」会議報告書(The Pacific and its Peoples in a Changing Climate: Workshop Report)(2023年10月)に基づくものである。

 戸田記念国際平和研究所とオーストラリア国立大学太平洋研究所は2023年9月6日~8日、キャンベラにおいて「変化する気候における太平洋地域とその人々: 太平洋の知恵と“多面的関係性の安全保障”」と題するワークショップを共同開催した。これには、太平洋島嶼国(PICs)、オーストラリア、ニュージーランドから、気候変動とその環境的・社会的・文化的な影響およぼ安全保障や環境・平和構築に関する専門知識を有する約50人の研究者、実務家、政策立案者らが参加した。

 ワークショップの目的は、気候変動が紛争の誘発や安全保障に及ぼす影響について、太平洋における考え方と世界の主流をなす考え方の間の対話を促進することで、異なる認識の溝を埋め統合するための選択肢を探ることである。

 本報告書では、主要な課題領域における中心的議論を要約し、研究ならびに政策や実務に特に関連のある成果に焦点を当てる。

 ワークショップのテーマ別セッションの口火は、オーストラリア外務貿易省(DFAT)のマシュー・フォックスが切った。彼は、気候外交・開発融資担当第1次官補(First Assistant Secretary for Climate Diplomacy and Development Finance)である。彼は「太平洋ファミリーにとって気候変動ほど大きな課題はない」と認め、「気候行動は地元から始まる」と述べた。フォックスは、現在のオーストラリア政府の意欲的な目標を挙げたが、政府による具体的な取り組み計画については触れなかった。最後に彼は、気候に関する政策や外交において文化の重要性や先住民の伝統的な知識と知恵が持つ可能性に注目する重要性を訴え、オーストラリア政府がPICsとの密接な協力に取り組んでいることを強調した。これに関連して、オーストラリアが2026年にPICsと共同でCOP31の開催へ努力していることに注意を促した。

 フィジー共和国スバにある太平洋神学大学(PTC)のウポル・ルマ・バアイ学長は、気候非常事態という課題を理解し対処するための地域に根付いた真に土着の方法として、太平洋的な「関係性」と「精神性」を取り上げた。太平洋的関係性については、西洋哲学とは対照的な「『生命全体』という意識」、「生命の哲学」として提示、また「脱植民地的ツール」と説明した。そして、これが気候非常事態に対処するうえで何を意味するか、あるいは意味し得るかを詳しく述べた。ウポル・ルマ・バアイは、これ以外にも、多元性、流動性、差異、緩慢性、相互内在性といった「関係性」の核となる原則について詳しく説明した。

 次に、キャンベラ在住でバナバ島にルーツを持つ「西洋の」研究者(あるいは、西洋の学界で研究者をしているバナバ人)であるカテリーナ・テアイワが、太平洋的関係性が実生活において、また、実生活を理解し説明するうえで何を意味するか、それが世界の認識と解釈をどのように変え得るかを示した。彼女はそれを、(西洋の大都市の視点から見て)「何もないところにある」小さな島の運命がいかに地球全体とつながっているか、世界全体に広がる関係のネットワークに組み込まれているかを示すことによって、説明した。彼女は、バナバ島の故郷における土地/人々/祖先の結び付きと、それがさまざまな場所、規模でどのように現れるかについて語った。「テ・アバ(te aba)」という言葉は、土地の本体、人々の本体、祖先の本体から成り、その全てが関連し合っているとして、彼女は、自分が故郷の島のある岩々と結び付いていることを話し、それによって、土地/人々の結び付きとこの結び付きに対する脱人間中心的理解が意味するものの実例とした。このバナバ島の例は、太平洋的関係性の原則を生き生きと描き出した。

 ジョージ・カーターは、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)での経験を例に挙げ、太平洋的関係性を表現するものとしての新たな太平洋外交について語った。カーターは、COPが気候植民地主義の舞台と見なされ得ることを認め、しかし、COPは、脱植民地的、反植民地主義的、反人種差別的、フェミニズム的政策の舞台でもあり得る(となり得る)とした。彼は、COPという状況における関係と行為主体性の重要性を強調し、また、COPの成果が決して十分なものでなくともCOPに関与するよう訴えた。彼は、PICsの小規模さを優位性と捉えている。コミュニティー、現場の人々、政治指導者の間に直接的な結び付きがあるからだ。これらの指導者たちは、親族のつながりにも組み込まれており、そのため近寄りやすい。

 実利的な政治と太平洋的関係性との間の緊張は、多くの論点を提起した。例えば、太平洋的関係性は、スローダウンすることを求めており、不急を原則としている。しかし、気候非常事態が時間のプレッシャーを生んでいる。地球を救うにはあまり時間が残されておらず今すぐ行動する必要があると、科学はわれわれに伝えている。大きな問題は、このような現実と太平洋的関係性へのパラダイムシフトに必要なスローダウンをどのようにすり合わせるかである。

 信仰と教会の役割も、もう一つの論点である。太平洋地域において教会は非常に影響力のある行為主体であり、従って、気候変動に関する言説の形成に大きな責任と機会を有している。しかし、気候変動に対し、信仰に基づく太平洋的関係性のアプローチを取るには、外部から太平洋地域に持ち込まれたキリスト教のあり方を脱構築する必要がある。それに関連して、太平洋の人々が悩まされている現在の気候変動影響は植民地時代の採取産業に端を発しており、また、気候非常事態は歴史的な植民地主義の継続と強化で、今や気候植民地主義という様相を呈しているという主張がなされた。

 そのような気候変動植民地主義の表出は、気候変動の影響に直面した太平洋の島々の居住(不)可能性と人々の(不)移動に関する議論に見受けられる。気候変動に関する主流の西洋的言説では、気候変動の影響により特定の島々が居住不可能になりつつあり、または少なくとも近い将来居住不可能になる運命にあり、住民は移住する(その準備をする)必要があると断定する傾向がある。このような居住不可能性のナラティブに、キャロル・ファルボトコが異議を唱え、「誰が、どのような基準に則って、どのような政治的利益があって、居住(不)可能性を定義するのか?」と問いかけた。彼女は、このナラティブを支持する科学的データについては議論が分かれることを示したうえで、将来の居住可能性のナラティブもあり、それを唱えているのは主に、外部者の説によって居住不可能になりつつあるとされる島々自身である。近頃では気候変動の影響だけでなく「将来の居住不可能性のナラティブ」が環礁島の住民にリスクをもたらしており、住民自身は「将来の居住可能性のナラティブ」に従っているとファルボトコは話を結んだ。

 メレワレシ・イェーは、気候変動に関連する(不)移動について論じた。近年、気候変動による移動のナラティブが支配的になっているとし、多くの研究が気候変動に起因する移住、避難、計画的移転に焦点を当てているが、気候関連の不移動に向けられる関心は大幅に低い。たとえ不移動が取り上げられるとしても、ほとんどの場合、それは非自発的不移動、すなわち、移動したいけれどもさまざまな理由から移動できない「捕らわれた人々」である。それとは対照的に、たとえ故郷が気候変動の影響で居住不可能である(になる)と宣言され、より安全な環境の場所に移転する選択肢を提供されていても、コミュニティーがその場所に留まる(ことを望む)理由について調査した実証的研究は、これまでのところほとんどない。居住(不)可能性は、科学的データを参照するのみでは評価することはできない。ほかにも、例えば祖先の霊、首長への慣習的義務、その場所の管理責任、先祖の墓を守る必要といった非物質的側面がある。プレゼンテーションでは、土地との精神的結び付きの重要性が指摘され、それがいかに土地における人々の物理的な存在を必要とするかが示された。

 土地との精神的結び付きは、ワークショップに参加したオーストラリアとアオテアロア・ニュージーランドの先住民にも顕著に表れていた。これらの国の先住民は気候非常事態により特に深刻な影響を受けている。太平洋の人々と特別な結び付きがあり、気候変動という課題に対する土着の非西洋的な理解やアプローチを彼らと共有している。

 発表者のイェシー・モスビーは、ゼナド・ケス(トレス海峡諸島)の人々のリーダーである。トレス海峡諸島は、海面上昇、高潮、洪水、サイクロンなど、気候変動によって他の太平洋諸島と同様の影響を受けている。イェシー・モスビーは、「Torres Strait Group of Eight」のメンバーである。8人の島嶼民からなるこの団体は、2019年に国連人権委員会に不服申し立てを行い、オーストラリア政府が気候変動への対策を怠り、島嶼民の生計、文化、伝統的な暮らし方に悪影響を及ぼすことによって、人権保護義務に違反していると主張した。これに対し国連人権委員会は2022年9月23日、不服に同意し、オーストラリアは不十分な気候変動政策によって、諸島民の家庭生活や住居に対する権利と文化への権利を侵害していると述べ、相当額の補償金を支払い、トレス海峡諸島の安全な存続を確保するために必要な措置を講じることを政府に義務付けるという画期的な決定をした。

 気候変動に対するマオリの視点についてプレゼンテーションを行ったサンディー・モリソンは、気候変動を植民地主義の継続と認識することが、この問題に取り組む出発でなければならないと強く主張した。太平洋的関係性と足並みをそろえるように、彼女は、精神性、生態系、親族関係、経済面における幸福の源泉として、関係性、責任、相互依存、敬意というマオリの価値観を紹介した。また、マオリを単なる対象として扱い、彼らの経験と知恵を利用して何も返さない学術的な(気候)研究を批判した。そうではなく、マオリのコミュニティーによって主導され、彼らとともに実施され、彼らに便益をもたらすカウパパ・マオリ(kaupapa Māori)研究を行うことを彼女は提唱した。国の気候政策、計画立案、意思決定に、マオリを含める必要がある。

 この二つのプレゼンテーションにより、植民地支配の遺産、特に先住民の移動を制限し、現在も制限し続けている植民地境界線の遺産について、改めて議論が交わされた。伝統的に、太平洋諸島民の土地との深い結び付きは、高い移動性と共にある。結論は、植民地主義を語ることなく気候非常事態を語ることはできないというものだった。

 気候変動に起因する人の移動は、気候変動の影響に関する議論、例えば気候・紛争・安全保障の関連性に関する議論において、特に大きなトピックとなっている。何百万人もの「気候難民」がグローバルノースの「先進」国という安全地帯に入るために国境を越えようとするというシナリオが誇張され、疑わしい目的(国境の強化、国家安全保障の強化)に利用されようとも、気候変動に起因する移動は今日の太平洋地域における現実であり、将来は恐らくもっと切迫した課題となるだろう。

 移転するコミュニティーと協力するフィジーのNGOの代表者3人は、具体的な事例を取り上げながら自分たちの経験について語った。トランセンド・オセアニア(Transcend Oceania: TO)のパウロ・バレイナコロダワが繰り返し述べたのは、影響を受けたコミュニティーの人々は、外部の者がやってきて、人々のストーリーを利用し、外の世界でそれを語り、コミュニティーに何も利益をもたらさないことにうんざりしているという点である。それとは対照的に、TOのジャストピース・バヌア・メソドロジー(JustPeace Vanua Methodology)は、伝統的な手順を守り、タラノア(敬意ある対話)の時間と場所を設け、コミュニティーとともにゆっくり進んで行くよう注意を払った。パシフィック・センター・フォー・ピースビルディング(Pacific Centre for Peacebuilding: PCP)のフローレンス・スワミは、気候変動の影響を受けているが、フィジー政府の移転リストに載っていないため、政府の援助を期待できないインド系フィジー人コミュニティーがあると説明した。都心周縁部の非公式居住区についてさらなる調査と実務的取り組みを行わなければならない。これらの居住区は、多くの場合とりわけ脆弱な地域に位置していることから、すでに気候変動による深刻な影響を受けており、今後も受け続けると見られる。スワミは、民族的分断を越える比較学習にもっと努力を注がなければならないと考えている。太平洋教会協議会(Pacific Conference of Churches: PCC)のフランセス・ナムムは、伝統的な精神性とキリスト教信仰は移転において大きな役割を果たすと強調した。人々は、移転するには祖先の同意が必要だと考えており、移転することによって神に背くことにならないかと尋ねてくる。太平洋島嶼民の大多数が敬虔なキリスト教徒であることから、教会は、信仰にかかわる問題だけでなく、気候変動への適応や移転といった統治に関する問題についても、コミュニティーに大きな影響を及ぼす存在である。

 フィジーの経験を補うように、続くプレゼンテーションでは、ソロモン諸島、バヌアツ、キリバスにおける移転問題が取り上げられた。レベッカ・モンソンは、ソロモン諸島における「関係性」と移転について論じ、移転自体の関係性、政策の関係性、そして政策の語られ方の関係性を区別した。モンソンは、教会の役割と非公式な場における女性の役割を指摘した。コミュニティーの強みと能力を認める一方で、彼女は、コミュニティー内の力の差を強調した。コミュニティーはフラットではなく、多くの場合、不平等と対立の場である。国際移住機関(IOM)のバネッサ・オルガノは、バヌアツでの「Wokbaot Wetem Kalja(文化とともに歩む)」プロジェクトについて報告した。これは、避難・移転政策に伝統と文化を取り入れるという政府の約束を実行することを目的とするプロジェクトである。バヌアツの「気候変動と災害に起因する避難に関する国家政策」には、伝統的知識と文化の重要性やコミュニティーの文化的アイデンティティーと精神的資源を守る必要性が述べられている。問題は、この約束を実行に移すことである。プロジェクトは、調査を実施し、避難を計画・管理するためのツールを開発し、文化と伝統的知識を利用し、それらを公式な政府の構造と手順に結び付け、バヌアツの人々は親族や商売のつてで移動する伝統があることを考慮に入れることによって、これを支援しようとしている。

 テアリナキ・タニエルは、プレゼンテーションの中で、キリバスの場合はコミュニティーの国内移転の選択肢は極めて限られていると指摘した。とにかく移転先の十分な土地がないのだ。従って、先住民の知識と先住民の解決方法に基づいてコミュニティーのレジリエンスと現地での適応を強化することに重点を置くしかない。コミュニティーの国内移転に制約があることから、海外への労働力の移動によって現地のレジリエンス構築と適応を補完することができる。しかし、このような移動は循環的で、人々は故郷に戻ってくる。「イ・キリバス」(キリバス人)は、今日自分がいる場所を自己決定する権利がある。

 この移転に関するプレゼンテーションから、レジリエンスをめぐる議論が起こった。危ぶまれるのは、太平洋の人々のレジリエンスに焦点を当てることによって、元凶が責任を逃れることになるのではという点である。気候非常事態の主な原因となっている行為主体、つまり、グローバルノースの国家や企業である。効果的な政策を実施するためには、レジリエンスのナラティブ、そして脆弱性のナラティブのバランスを取り、整合性を図ることが必要になる。

 提起されたもう一つの課題は、国際コンサルタントや外部研究者の仕事ぶりである。彼らはしばしば文化的手順を理解せず、これに従わないだけでなく、しばしば人々の反応を誤って解釈する。人々は敬意から、またホスピタリティの義務に従って、コンサルタントが聞きたいであろうような回答をしてしまう。

 環太平洋諸国のオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、米国には、比較的大きな太平洋諸島民コミュニティーがある。

 オーストラリア・クイーンズランド州在住のツバル人、タウキエイ・キタラは、ディアスポラの人々を、新たな土地に移住することを決意し、その新たな土地に故郷も移す人々と定義した。ツバル国外に在住するツバル人は、「ファレピリ」(隣人を大切にする)というツバルの原則を守っている。遠く離れていても、彼らは故郷の人々の良い隣人であり続け、困った時には彼らを助け、例えば労働移住政策などによって自分たちの後に新天地に来る人々の隣人となる。そして、ツバル人ディアスポラは、自らをより大きな「太平洋諸島民ディアスポラ」の一部と考えている。

 マヌイラ・タウシは、ニュージーランドのツバル人ディアスポラにおいてファレピリが実際にどのように機能しているかを説明した。彼は、ツバルのナヌマンガ島の出身である。ナヌマンガ島は、ツバルの他の島と同様、近年さまざまな台風により大きな被害を受けている。彼は、自宅に人を泊めることができるよう、故郷を去ってアオテアロア・ニュージーランドに移住することを決意した。新たな母国で彼は、仲間のツバル人たちのためにさまざまな形で尽力しており、「違法」ツバル人の永住権取得を支援し、ツバル文化に基づいてドメスティック・バイオレンスに取り組み、ツバル人の健康と幸福のために医師や歯科医と協力し、ツバル語週間を開催し、ツバル人幼稚園を運営している。主な目的は、人々が自分のアイデンティティーと故郷の島との結び付きを保つことができるよう、ツバルの言語と文化を守ることである。

 ベディ・ラクレは、西洋社会の中で太平洋諸島民としてのアイデンティティーを取り戻そうとする移民の若者である自分の奮闘について語った。彼女はマーシャル諸島で生まれたが、ハワイで育った。アイデンティティーの危機に立ち向かい、帰属意識を失う一方で、彼女や他のマーシャル諸島出身の若者たちは、差別、マイクロアグレッション(無意識な差別的言動)、絶え間ないステレオタイプ化にも立ち向かわなければならなかった。彼女のストーリーから、さりげないマイクロアグレッションは一種の「他者化」であり、太平洋諸島民は永久に外国人で、受け入れ国の社会の支配的文化とは「異質」であるという概念を強化するものだということが分かる。ヤングアダルトのベディ・ラクレは、太平洋地域における核と気候不正義の問題に取り組む市民社会活動に積極的に関与することによって、ディアスポラ状態にある太平洋の移民として傷ついた尊厳を回復した。他の太平洋諸島民の若者と力を合わせて祖国の権利を訴えることにより、自身の文化的アイデンティティーを再発見し、取り戻すことができた。

 プレゼンテーション後のディスカッションでは、祖国の外で暮らす太平洋諸島民の経験を表現するために「ディアスポラ」よりも良い言葉を見つけてはどうかという提案がなされた。

 気候非常事態を背景に、PICsから環太平洋の「先進」国、特にオーストラリアとニュージーランドへの労働移住は新たな意義を持ち、新たな視点で捉えられるようになった。ワークショップの労働移動に関するセッションでは、3人の登壇者がそれぞれの研究や活動の経験に基づいて、労働移動と気候変動という複合的問題を論じた。サンディー・モリソンは、ニュージーランドの認定季節雇用主(RSE)政策のもとでマオリ所有の企業が太平洋の労働移民を雇用した事例を紹介した。カースティー・ペトロウは、オーストラリアにおける賃金未払い、粗末な居住施設、人種差別、伝統的なリーダーシップ構造の弱体化を批判した。アッカ・リモンは、アノテ・トン元キリバス大統領の「尊厳ある移住」政策に関与した。この政策は、キリバスでは若年層の失業率が高いという現実から生まれたもので、労働移動は経済的機会であり気候変動への適応手段と見なされた。

 議論では、この労働政策の背後にある“抽出される必然性”が批判された。人々は祖国から引き抜かれ、カルチャーショックによる結婚の破綻、薬物やアルコールの乱用といった悲惨な結果を招くことである。気候非常事態と労働移住は、現行のグローバル資本主義システムの二つの側面である。労働移動の制度は、より敏感に気候変動に対応したものにする必要があり、そのためにはPICsのリーダーたちと意味ある協議を行う必要がある。

 ここ数年、あるいはこの10年、研究や政策において、気候・紛争・平和と安全保障の関連性への関心が、グローバルレベルでも特定の地域や国のレベルでもますます高まりつつある。しかし、「安全保障」に対する理解は非常に多様であり、太平洋地域では特にそうである。ワークショップでは、安全保障の多種多様な概念が検討された。

 ジョン・バーネットはこの検討を始めるにあたり、気候変動に伴う国家安全保障の危機を大袈裟に言うべきではないと釘を刺した。むしろ、初めに、太平洋地域は比較的平和で、大きな暴力的紛争が起こらない地域であるという認識を持つべきである。大規模な暴力的紛争の実際の危機は、太平洋地域の外から来る。つまり、太平洋地域は気候による紛争の多発地帯というよりも、そこから気候非常事態に平和的に対処する方法を学ぶべき地域なのである。気候に対して強靭な平和構築の選択肢がある。必要なことは、紛争誘発の可能性がある影響には早期に警告し対処できるよう、気候変動の影響を注意深く監視することである。また、紛争に配慮した適応策の規模拡大も必要である。しかし、気候非常事態の根本原因に取り組むためには、何よりもまず温室効果ガス(GHG)排出量の大幅削減が必要である。

 ローリー・メドカーフは、気候変動と安全保障に関するオーストラリアの国家安全保障観についてプレゼンテーションを行った。冒頭で彼は、安全保障とは単に武力紛争がないことではなく、むしろ社会の心理状態であるとし、オーストラリア社会は近年、安全保障に対してより全体的かつ包括的な考え方をするようになっており、また気候と安全保障の問題を外交政策に組み込んでいる。しかし、地域で必要とされる気候適応支援をオーストラリア単独で提供することはできない。だからこそ、米国、中国、ニュージーランド、フランス、EU、あるいは韓国とこの分野で協力する努力が行われている。最終的には、PICsのコミュニティーのレジリエンスを強化することが、PICsのみならずオーストラリアの安全保障にとっても不可欠となるとした。

 アンナ・ナウパは、「ブルーパシフィック大陸のための2050年戦略(2050 Strategy for the Blue Pacific Continent)」に言及し、この戦略は「平和的で、安全で、安定したコミュニティーと国を確保するため」、安全保障と太平洋の遺産、文化的価値、伝統的知識を結びつけるものだと説明した。これを出発点として、彼女は「社会の変化に直面しながらも社会的結束と文化的アイデンティティーが維持されること」と理解される文化的安全保障の主な要素を概説した。その要素とは、慣習的な統治と紛争解決、伝統的知識とその世代間継承、人と場所の関係、社会的包摂と保護、そして文化的イノベーションと適応である。人々は、伝統的な統治構造、慣習経済、文化に依存している。しかし、過去の植民地支配と現在の気候非常事態の到来により、これらが危機に瀕している。

 オーストラリア民軍連携センター(Australian Civil-Military Centre)のナタリー・マクリーンは、気候変動に起因する災害やその他の災害に際して太平洋の人々を支援する責任を負う機関について、外部者の視点からプレゼンテーションを行った。彼女は、民間と軍の相互連携、太平洋地域におけるオーストラリアの災害対応について話した。彼女は多くのさまざまな行為主体が協力する場が必要であることを指摘したうえで、行為主体はそれぞれの歴史、法的枠組み、義務、優先順位を持っている。重点は、現地のリーダーシップに置かなければならない。取り組みを重複させず、すでに存在するものを足掛かりにすることが重要である。準備が極めて大切であり、関係構築もしかりである。

 議論の中で、軍は災害状況における主要な対応者ではなく、またそうあるべきでもなく、気候変動への適応プロジェクトに従事することを軍の任務とするべきではないということが、繰り返し指摘された。また、一方の側(太平洋のコミュニティー)が被害者意識/脆弱性を持ち、他方の側(「支援」のために入ってくる外部者)が主体性/コントロールを持つというナラティブの複合的な問題が提起された。むしろ、全ての側に主体性があり、全ての側が脆弱である。最後に、物質的な安全保障という狭い視野では肝心な点を見逃してしまうため、非物質的な側面を安全保障の検討に含めなければならないということで、意見が一致した。

 これら四つのプレゼンテーションの後にパネルディスカッションが行われ、気候と安全保障の関連性のさまざまな側面についてさらなる考察がなされた。ヘンリー・イバラトゥレは、クック諸島の国家安全保障戦略がボエ宣言に見られる安全保障の拡大概念に基づいて策定された事例を取り上げた。マイケル・コページは、PICsの安全保障が地域の外の情勢に大幅に左右されるという点を強調した。ヨシコ・カペレは、国連開発計画-国連移住機関(UNDP–IOM)の「太平洋における気候安全保障」プログラムの一環としてマーシャル諸島共和国のメジャト島で取り組まれているエアロポニック栽培プロジェクトとレジリエントな女性たちについて話した。ジョン・キャンベルは、太平洋における気候と安全保障の関連性に関する自分の考えがどのように形成されたかを概説した。思索の旅は、人間の安全保障から存在論的安全保障、関係性の安全保障へと彼を導いたのである。ワークショップで彼の前に話した人々と同様、ジョン・キャンベルも、「バヌア(*banua)」(または「ヴァヌア(vanua)」、「フォヌア(fonua)」、「ウェヌア(whenua)」など)、すなわち土地/人の結び付きの重要性に改めて言及した。この概念には、海、動物、植物、祖先、土地が密接に関連するものとして含まれている。だからこそ、「関係性の安全保障」を論じることが望ましい。それは、物質的な要素と非物質的な要素、「バヌア」に根差した共同体と個人の結び付きを、太平洋という文脈における安全保障には不可欠のものとして考慮に入れている。安全保障をこのように理解することによって、移動は、気候変動に影響を受けた場所で失われた物質的安全保障を回復するためには意味があるが、関係性の安全保障を提供することはできず、そのために人々が移動を拒むのかが分かる。

 イアン・フライは、サイクロン、海洋酸性化、海洋温暖化、その結果起こる温暖化した海域からのマグロの移動など、気候変動に起因する極めて大きな損失と損害を、太平洋の人々が今日すでに被っていることを手短に説明した。そして、「損失と損害(L&D)」に関する国際レベルでの議論の沿革を概説した。必要なものは新たな資金源であり、また、「汚染者負担原則」に則って、国際的大企業はそのようなL&D基金に資金を拠出する責任がある。大きな問題は、気候変動に伴う精神的影響、不安といった非経済的な損失と損害(NELD)に、どのように対処するかである。

 ティナ・ニューポートは、非物質的な無形のNELDについてさらに詳しく説明した。彼女は、太平洋地域では過去にも土地が外部の者によって損なわれ、人々が強制的に移住させられたこと、その意味では気候変動は目新しいものではなく、すでに加えられた損害の継続であり、拡大であると指摘した。

 議論の中で、PICsの代表者にとって、国際的な場でNELDについて語るのはなかなか難しいことが明らかになった。金銭に換算できないため、温室効果ガス(GHG)の主要排出国は、経済的L&Dから目をそらすためにNELDについて長々と論じる。問題は、経済的損失をおろそかにすることなく、文化的なNELDをどのように扱うかである。もう一つの難しい問題は、L&D基金を、草の根レベルつまり直接的な影響を受けたコミュニティーにどのように届けるかである。大国/GHGの主要排出国によってL&Dへの資金提供が兵器化される危険がある。

 最後に、L&Dへの支払いについては何の法的義務もなく、執行メカニズムも存在しない。唯一の選択肢は、修復的正義という太平洋の理念に従った道義的・政治的圧力である。だがこれだけでは十分ではない。L&Dやその他の分野においても強制力のある国際的な法的メカニズムが必要である。

 ティナ・ニューポートはNELDについて話した際、不安やアイデンティティー喪失といった形のNELDに最も苦しむのは若者たち、特にディアスポラ状態にある若者たちであるという点を指摘した。ワークショップの最後のセッションでは、太平洋の若い研究者や活動家から、彼らがどのように対処し、将来に向けてどのように取り組んでいるかを聞いた。

 イェマイマ・バアイは、ディアスポラ状態にある太平洋の若者たちが経験している気候変動、土地の喪失、アイデンティティーの喪失に関する戸田記念国際平和研究所の研究プロジェクトについて報告した。プロジェクトの第1段階では、オーストラリア、アオテアロア・ニュージーランド、米国のハワイに暮らす移民の若者の経験を対象とした。その結果、尊厳の低下やアイデンティティーの喪失を示す幅広い表現が見られた。プロジェクトの第2段階では、フィジーのランビ島に暮らすバナバ人の若者と、フィジーのキオア島に暮らすツバル人の若者の経験を調査した。ランビ島とキオア島の若者たちは、尊厳と文化的アイデンティティーの喪失というトラウマを経験してはおらず、受け入れ先のフィジー人による差別にもさらされていなかった。ランビ島のバナバ人は、島を新たな故郷とし、バナバの文化を存続させ、バナバ人としてのアイデンティティーを保っている。

 ベディ・ラクレは、自分と仲間の学生たちが、政治活動を通してどのようにマーシャル諸島人としてのルーツを再確認することができたかを示した。彼女たちは、マーシャル諸島に残る核の痕跡を取り上げ、核実験の被害者のために信託基金を設立する運動を立ち上げた。他の人々と連帯して運動のために尽力する経験は、多くの希望を与えてくれると彼女は言う。課題は山積みだが、この活動を行うことで自分のコミュニティー、太平洋のアイデンティティー、自分のルーツとのつながりを取り戻すことができ、癒しになっているとベディ・ラクレは言う。

 ラエ・ベンテイス(Rae Bainteiti)は、気候正義運動に関与することには代償が伴うことは確かだと認める。特に、長老や年長者たちを動員することは難しいかもしれない。彼は、キリバスでコミュニティー活動や政治に関与した自分の体験を語った。そこでは、音楽、アート、ダンスを用いてキャンペーンを行った。アオテアロア・ニュージーランドに移住した後、彼はキリバス人ディアスポラ・コミュニティーの中でキリバスの言語と文化を守る取り組みを行った。さらにそこからランビ島に移り、現地のバナバ人コミュニティーで活動している。彼は、寄付者や外部の「パートナー」に対して批判的である。彼らはしばしば、包括的な関わりを期待するが、そのために多くの時間とエネルギーが取られてしまう。その時間とエネルギーをコミュニティーのために使ったほうが良い。

 議論の大きな論点は、太平洋のコミュニティーにおける年長者と若者の関係である。年長者への敬意は何よりも重要なことであり、そのため若者が遠慮なくものを言うことは難しい。しかし、状況は変わりつつあり、年長者たちは前よりも対話を受け入れるようになっている。また、もし移転が必要になった場合はコミュニティー全体での移転が重要であることも、この議論で確認された。そのほうが、文化やアイデンティティーの維持が容易になる。

 3人の登壇者全員が、国際的な気候変動会議で見られるような、他者の目的のために利用される形骸化、形式主義(tokenism)の問題を指摘した。彼らはまた、燃え尽き症候群の危険、メンタルサポートやカウンセリングの必要性、前に進み続けるために故郷で家族やコミュニティーとのつながりを取り戻す必要性も指摘した。太平洋の若者には諦めるという選択肢がないという点で、3人全員の意見が一致した。

 ワークショップ最後のセッションでは、太平洋地域全体と地域の全てのコミュニティーの利益のために、太平洋の若者は、必要とする全ての支援を与えられなければならないという点で意見が一致した。将来のリーダーである太平洋の若者のために、メンタリングプログラムを立ち上げる提案がなされた。また、「気候非常事態」や「気候変動と安全保障」の従来の狭い捉え方に対し、太平洋的な「関係性」の観点から異議を唱える必要があるという点でも意見の一致が見られた。このことはまた、「経済成長」崇拝的な新自由主義・資本主義のイデオロギー、政治、経済と気候変動や植民地主義との関連を明らかにしなければならないということでもある。特に、採取主義(鉱業、木材伐採、労働移住など、さまざまな形がある)と気候変動を切り離して考えることはできない。これらは相互に関連している。

 気候変動に関する言説を批判し、脱植民地化する必要がある。それには、「われわれの中の」植民地主義、太平洋の人々が「先進」世界を模倣しようとする意識を疑問視する必要が含まれる。また、「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」という思考を持ち、以下のような「相互矛盾」に取り組む必要がある。

  • 気候変動は新しい課題ではない、または気候変動は新しい課題だ。太平洋の人々にとって、気候変動の影響は、土地の破壊、強いられた立ち退き、伝統的知識の断絶など、すでに長期にわたって被ってきた植民地支配の有害な影響を持続させ、増大させるものにほかならない。その観点から見ると、気候変動は植民地支配の新たな局面に過ぎない。その一方で、気候変動は新たな性質を備えている。取り返しがつかない、かつてない規模の破壊をもたらす世界規模の偏在的な影響を伴う。
  • 太平洋の人々は脆弱である(ない)、または太平洋の人々はレジリエントである(ない)。どちらも、同時に真実である。どのナラティブが前景化されるかは状況によって異なり、また、どちらかを前景化することは非常に政治的である。もちろん、低標高の島に住む人々は気候変動の影響に対して脆弱であり、彼らはGHG主要排出国の行為の犠牲者である。もちろん、人々は自分自身の主体性を持ち、ただ被害者であるだけではない。自分たちの伝統的な環境知識に根差したレジリエンスを構築することができ、これらの知識と「外部」の科学や技術とを組み合わせて適応することも、そのための資金援助やその他の支援を得られるなら、可能である。
  • 移転は選択肢ではない、または移転は選択肢である。移動性と非移動性は、相互排他的ではない。太平洋の人々は、土地と密接に結び付いている。だからこそ、人々は移転したがらない。彼らにとって、立ち退きは、最も根本的な損失と損害のかたちである。しかし、太平洋の人々には長い移動の歴史がある。彼らには、家を離れて新しい家を構えながらも、起源地との結び付きを保ち、そうすることで存在論的、または「関係性の安全保障」を維持するという、伝統的な方法がある。プランAはずっとそこに留まることだが、移動するべき時が来たらプランBがある。移住は、戻るべき場所がある限り、そこに残っている人々がいる限り、移住することに問題はない。移住と土地との結び付きは相互排他的ではない。大きな問題は、帰る場所がなくなったとき、またはなくなるとしたら、どうなるのかである。
  • 時間は残り少なくなっている、またはスローダウンする必要がある。壊滅的な気候変動を防ぐべき時は今である。無駄にする時間はない。しかし、太平洋的な思考や行為は遅さに根差している。そうであってこそ、起こっていることに細心の注意を払うことができ、どのように物事を進めるかについて合意をまとめることができる。気候外交や寄付者から資金を得る気候適応プロジェクトの厳しい時間枠は、太平洋諸島の村落生活のリズムとは合致しない。また、そのような時間枠は気候非常事態の課題に対し、大多数の支持が得られ、破滅への軌道を実際に変えられるほど十分に抜本的な解決を策定する必要性にも合致しない。ここでもやはり、緊急に行動する必要性とスローダウンする必要性は共になければならない。

 問題は、いかにしてこれらの知見をさまざまな規模の政策に変換するかである。一つの前提条件は、政策、信仰、教育、社会運動、または気候活動といったさまざまな領域を結びつけることである。精神性を伴わない気候政策や気候実践は、太平洋では機能しないし、機能し得ない。脱植民地化した教育によって、外来の「西洋的」概念にただ従うのではなく、コスモセントリックで、多面性、流動性、関係性を備えた、真に太平洋的な気候政策と気候活動の基盤を構築することができる。太平洋的「関係性」に基づくパラダイムシフトが必要であり、特に、限りある地球上で永遠に経済成長が可能であるという新自由主義的資本主義の神話に異議を唱える必要がある。それに代わる道は、「抑制の知恵」(サモアで言われる言葉であり、世界中の先住民が持っている概念)である。

 太平洋的ナラティブを、気候変動(および平和と安全保障)に関する国際的言説に取り入れなければならない。主流の政策と学術界との間に、実利的な政治思想と太平洋的哲学との間に、現地の経験やプロジェクトと国家および国際、または地域レベルの戦略立案や計画立案との間に橋を架けなければならない。例えば気候と安全保障の関連性についてのプレゼンテーションや議論によって、橋を架けることは可能であると示された。「関係性の安全保障」という概念は、気候変動、紛争、安全保障の多面的で相互に関連する側面を捉え、直接的な物理的暴力だけでなく、さまざまな形の構造的、文化的、認識論的暴力に取り組むうえで、有望なアプローチを提供する。

 本稿の結びとして、関連する二つの実用的な政治的提案を行いたい。第1に、政府レベルで実用的な政治的検討を行う際は、新たに発足したオーストラリア先住民外交政策の可能性を模索するべきである。これには、気候外交も含まれることになっている。オーストラリア政府に責任逃れをさせてはならない。彼らに、発言と約束を守らせるべきである。第2に、2026年のCOP31をオーストラリアと太平洋諸国が共同開催することにオーストラリア政府は本気で関心を抱いていると思われるので、太平洋の利益や気候変動に対する太平洋の取り組み方を前面に押し出すことができるかもしれない。COP31の準備に力を注ぐとともに、太平洋的関係性のアプローチと先住民外交政策や気候外交が手をたずさえることによって、想像力とエネルギーを有効活用することができるだろう。

本稿は、戸田記念国際平和研究所の英文ウェブサイトに引用文献も含めて掲載した政策提言175の要約版である。

  1. 現在の国民国家の時代、面積わずか6平方キロメートルのバナバ島は、現在キリバス共和国の一部となっている。1900年から、外国の鉱業会社による島の破壊が始まった。数十年にわたってリン鉱石が採掘され、世界中の農業で使用されたのである。第2次世界大戦終結時、バナバ人は、英国植民地政府によってフィジーのランビ島に強制的に移住させられた。現在、島にはわずか300人ほどが厳しい状況で暮らしている一方、ランビ島や世界の他の場所には約6,000人のバナバ系人が暮らしている。

フォルカー・ベーゲ博士は、戸田記念国際平和研究所の「気候変動と紛争」プログラムを担当する上級研究員である。ベーゲ博士は、太平洋地域の平和構築とレジリエンス(回復力)について幅広く研究を行ってきた。また、クイーンズランド大学政治国際関係学部名誉研究員、ボン国際転換センター研究員、デュースブルグ・エッセン大学開発平和研究所研究員、ハンブルグ大学平和安全保障政策研究所研究員も務めている。紛争後の平和構築、混成的政治秩序と国家形成、紛争変容への非西洋的アプローチ、環境劣化と紛争について、オセアニアに地域的焦点を当てて取り組んでいる。また、オーストラリア平和紛争研究所の元所長である。