協調的安全保障、軍備管理と軍縮 (政策提言 No.104)
2021年02月12日配信
人道イニシアチブと核兵器禁止条約(TPNW)
アレクサンダー・クメント
本稿(Alexander Kmentt著)は戸田記念国際平和研究所の政策提言No.104「人道イニシアチブと核兵器禁止条約(The Humanitarian Initiative and the TPNW)」(2021年2月)に基づくものである。
1)TPNWの人道的根拠
「人道イニシアチブ」とは、核兵器に伴う人道的な影響とリスクへの重点的取り組みを言う。その所産であるTPNWは、核の現状の安全保障、責任、正当性に関する核兵器国のナラティブに反論することによって、核兵器を巡る言説の前提に異議を唱え、新たな解釈を加えた。
世界規模の人道的影響、人的被害への対処能力の欠如という視点から、核兵器国による“国家中心”の安全保障論と並ぶ人間の安全保障という文脈の中に、核兵器の問題を明確に位置付けたのである。それによれば、核抑止力に依存する国々が主張する安全保障の視点は、より狭義で、利己的で、しかし結局のところ短絡的であり、他の全ての国々の安全保障を犠牲にしたうえで成り立つものである。
人間の安全保障の視点から見ると、責任という問題が浮上する。敵対国間の相互確証破壊の脅威のみならず、世界規模の破滅的な人道的影響をもたらすリスクを伴うものが、責任ある政策と見なされ得るだろうか? 非核兵器国の責任とは何だろうか? このように、核兵器の人道的影響とリスクを巡る人間の安全保障の議論は、全ての国の責任感に訴え、核軍縮・不拡散体制の規範的枠組みを強化するよう呼びかける。
核兵器の人道的影響とリスクに着眼すると、核兵器国の安全保障政策を巡る言説において核抑止力が「常態化」されていることへの疑問が生じる。核兵器国が核軍縮に向けて信頼できる措置を講じようとしない、あるいは講じることができない状況を考えると、自らの手で問題に取り組むことが非核兵器国の責任であり、正当な安全保障上の利益であるとする人道的議論の論調が強まった。非核兵器国が自ら達成することができる一つの具体的な行動として、核兵器の禁止が浮上したのである。
2)カウンターナラティブ
TPNWに関して、核兵器国や核の傘の下にある国は多くのカウンターナラティブを提示し続けている。詳細に分析すると、TPNWの手続き面や実質面に関する幅広い批判は比較的容易に反論することができ、精査に耐えられない、および/または立証不可能であることが分かる。それらはむしろ、核の現状を維持したいと望む国々の政治的動機に基づくカウンターナラティブや、核不拡散条約(NPT)が義務と誓約という面で意味することに関する特定の解釈を表現したものである。
忌避
核兵器国は、人道イニシアチブの主要な結論に対して回答も詳細なコメントも出していない。恐らく、確かな根拠のある反論がないためだろう。もしそのようなやりとりがあれば、全人類に対する影響を、核抑止力に基づく安全保障と安定性という概念を維持するために「必要な付随条件」として受け入れようとする姿勢が明らかになったことだろう。しかし、それどころか、核兵器国(と核の傘下国)の反応は、禁止条約の可能性を忌避し、批判することだった。
逸脱と分断
「良く言っても[TPNW]は(……)逸脱である。最悪の場合、それは政治的分断を深刻化させる」
核兵器が地球全体にもたらす人道的影響とリスクの深刻さを考えると、「逸脱」という主張は非常に問題がある。さらに、TPNWが他の軍縮措置の実施を邪魔するという主張も無理がある。なぜなら、そのような措置を核兵器国が実行しているわけではないからである。
この問題を巡って「分断」が存在するのは、NPT第6条の実施状況に対する信頼の欠如が理由であり、それを是正するためのTPNWのようなイニシアチブのせいではない。核兵器国が議論やプロセスに同意せず、これをボイコットする、あるいは不関与を選ぶ場合、定義により、それは関与の拒否ではなく議論やプロセスが分断的だということになってしまうわけだ。
無効性
「(……)そのような『有効な』核軍縮が、核兵器保有国の関与なしに進展すると期待するのは現実的でない」
「無効」という反論は、核兵器保有国または依存国がTPNWに参加しない理由として主張している。論理的には、この因果関係は堂々巡りである。核兵器を持つ国は、TPNWに参加したがらない。なぜなら、彼らの考えでは、TPNWは核兵器を一つも削減しないからである。当然ながら、核兵器国が参加しない限り、TPNWそれ自体は核兵器を一つも削減できない。しかし、その理屈を別にすれば、この主張は、核兵器を無差別に禁止する法的拘束力のある条約によって、核兵器削減の法的基盤とその目的に向けた実際的手段が生まれる、という点を見失っている。
核兵器と核抑止力の合法性と正当性に対する異議申し立ては、現行の核兵器関連の慣行や核抑止に影響を及ぼす可能性がある。人道イニシアチブの観点から見ると、それこそがTPNWが有効である理由を示すものである。
また、TPNW支持派は、意図しないとはいえ独裁主義国に有利に働き、民主主義国に不利をもたらしていると暗に非難されてもいる。なぜなら、民主主義国のほうが市民社会から大きな圧力を受けるからというのである。この主張の内容は、民主主義的政治体制の当然の機能である。民主主義体制においては、人道的影響とリスクを含め、核兵器問題に関する開かれた社会的議論がなされることが想定されるべきであり、むしろそれが期待されなければならない。
TPNWは「安全保障環境」を考慮に入れていない
非核兵器国が認識する脅威は、人道的観点だけでなく、それと同じぐらい正当かつ妥当な安全保障上の考慮事項にも基づいている。TPNW反対派は、NPTを解釈する独占権を持っているわけでもなく、安全保障に関して他者より正当な見解を持つ唯一の審判者というわけでもない。
安全保障上の問題が進行する今の状況において、必然的に、軍縮、軍備管理、不拡散を目指す全ての努力を進展させなければならない。TPNWの観点から見ると、厳しい国際安全保障環境、さらには核保有国による核兵器への継続的依存のため、核軍縮の努力はいっそう喫緊の課題となっている。将来、核軍縮の前提条件としてもはや核抑止が必要とされない安全保障環境が実現するまで待たなければならないという主張は、不誠実である。なぜなら、国家間には常に安全保障の不均衡という事実または認識が存在するからである。
また、核兵器保有量の大幅削減や軍縮の検証といった核軍縮措置は、強力かつ包括的な核兵器禁止という基盤があればより容易になり、むしろ、その場合にのみ可能であるといえるかもしれない。核兵器が道徳的に許容できないものと見なされ、かつ法的に禁止されていれば、その可能性はより高まる。
最後に、多くの非核兵器国は、核兵器「依存」国の安全保障環境と同程度以上に厳しい安全保障環境に置かれていると正当に主張することができる。核兵器国と核の傘下国は、安全保障環境の厳しさと、ひいては核兵器の必要性を絶えず強調することによってTPNWへの反対を表明しているが、それは安全保障の概念に関する著しいダブルスタンダードを浮き彫りにすることにほかならない。
TPNWはNPTを弱体化させる
第1に、NPTを最も強力に支持してきた国々の中で、TPNWプロセスの第一線にも立っている国を非難しているのは、主にNPTの実施状況が精彩を欠いた国々である。そもそもそれが理由で、人道イニシアチブとTPNWプロセスが発足したのである。むしろTPNWは、NPTが創出した枠組みに明白かつ構造的に適合しており、NPT第6条の実施に必要な手段となっている。したがって、これは不誠実な非難である。
第2に、上述のとおり核兵器国は、国家安全保障のために核兵器を維持する必要があると主張している。核兵器の価値を宣伝することは、拡散を助長する。それどころか、そのような宣伝は、安全保障の望ましい「保証」という核兵器の概念を拡散させる行為であると言うことさえできる。少なくともこれは、NPTの精神に逆行するものだ。
強力な反論がなければ、核兵器は必要であり望ましいという意見は魅力を増すばかりである。TPNWは核兵器を法的に禁止するとともに、それらが道徳的に許されず、全ての人の減損しない安全保障を阻害すると宣言することにより、核兵器の保有と核抑止の実践の両方を現実のタブーとしており、したがって、全てのNPT締約国が誓約している核兵器のない世界という目的の達成に向けて、決定的な貢献をしている。
「保障措置」
TPNWの保障措置条項に対する批判は、不誠実である。TPNWは、各国が最低でも既存のIAEA保障措置義務を確実に維持するようにする。また、TPNWは、将来この義務を強化する可能性を明言している。重要な点であり、批判者が触れようとしない点として、TPNWは核兵器国に関連する事項でもNPTの先を行っている。つまり、TPNWは、部分的にNPTより厳しい保障措置基準を設定する一方、部分的にはNPTのアプローチに可能な限り厳密に従い、NPTの基準から逸脱しないようにしている。
3) TPNWの影響: TPNWが象徴するものは何か?
民主主義
人間の安全保障の重視は、核兵器に反対するさらなる論拠を非核兵器国にもたらした。核兵器が全ての人類の生存に対する脅威であることを考えると、核兵器は、選ばれた少数の国の国家安全保障上の特権として、あるいは限られた安全保障政策専門家グループによって扱われるべきではない。
つまり、人道イニシアチブとTPNWは、核兵器に関する議論の民主的移行を象徴している。さらに、いかなる当事者にも例外を認めないTPNWの明快な核兵器禁止は、核兵器に対するより平等主義的なアプローチが求められていることのさらなる表明である。
核軍縮の論理的根拠
核兵器禁止に対する規範設定的なアプローチは実行可能な前進への道であると、大多数の国家が考えるようになった理由には、二つの要素がある。第1に、核兵器国の関与がなくても達成が可能な変革的ステップは、それしかありえなかったからである。第2に、核兵器国自身が、核兵器のない世界をいかにして達成し得るかというビジョンを策定することはおろか、核軍縮に対する切迫感もリーダーシップも示すことができず、そのつもりもなかったからこそ、それが浮上したのである。
つまりTPNWの採択は、核軍縮は緊急の優先事項であり、NPTが定める核兵器国の軍縮義務と誓約の実施状況は、到底満足のいくものでも信頼できるものでもないということを、非核兵器国の側が法的に拘束力のある形で明確にしたものである。
核抑止への異議申し立て
TPNWは、核兵器の人道的影響とリスクに関する証拠に対する特定の法的反応であり、これらの影響とリスクは核兵器による安全保障上の推定利益に対して比較されるべきである。核兵器が大規模戦争を抑止し、防止するという信念と、核抑止を含め、抑止が失敗して重大な人道的影響やその他の影響をもたらす場合があるという知識との間には、どのような確率的バランスがあるだろうか? 核兵器の人道的影響とリスクに目を向けると、核抑止の根拠となっている前提に対する疑義が生じる。
核兵器の爆発による短期的、中期的、長期的影響、そしてこれらの影響の相互関係が重大であるだけでなく、これまで認識されていた以上により重大であり、まだ十分に理解されていない場合、それは、核抑止の信頼性あるいは費用対便益分析に影響を及ぼすだろうか? 経済、公衆衛生、移住、食料安全保障に対する影響、またはそれらの集合的影響がどの水準にあれば、抑止の均衡に変化が生じ始めるのか? どのような分野の人道的影響が、誰にとって許容可能か? 核兵器国は、自国民、想定敵国の国民、紛争に無関係な第三者への人道的影響を、核抑止の計算に一体どうやって組み込むのだろうか?
さらに、核計画立案者は、軍事目標と巻き添え被害を一体どうやって比較するのだろうか、その際のパラメータは何か? 核兵器使用の影響は国境を越えて広がる可能性があることを考えると、国際人道法の区別原則と均衡原則は、紛争当事者ではない第三国を含む各国の国民に対してどのように適用されるのだろうか? 核兵器の事故または使用の後に除染を行い、補償を提供する責任や能力については、どうだろうか? この責任は、核兵器国における意思決定や核ドクトリンにどこまで盛り込まれるのだろうか? ひとたびこれらの問題が具体的に議論されれば、核抑止正当化論や議論のバランスは大きく変化する可能性がある。
非核兵器国にとって核爆発がもたらす重大な人道的影響とは、核兵器の意図的使用、誤算から発展した核紛争、あるいは何らかの形の事故により、自らの意思に反して、コントロールの及ばない部分で直面させられるリスクである。
この観点から見ると、核抑止はリスクの高い実践とも見なされる。なぜなら、それを行うのは人間であり、人間により設計された機械やプロセスに依存するからである。核武装国またはその指導者の単独の行為や行動は、高いリスクを伴いがちであるが、その一方で、全ての核武装国とその同盟国の集合的な核兵器政策と核行動こそが、複合的かつ相互に関連する一連のグローバルな核リスクをもたらすのである。
したがって、非核兵器国は、意図的であれ、不注意であれ、非意図的であれ、あるいは人的または技術的理由による偶発であれ、核兵器が爆発する可能性を低減することを望んでいる。これは、核兵器国が追求しようとするリスク低減のアプローチとは異なる。核兵器国のリスク低減のアプローチは、「戦略的リスク低減」、すなわち核抑止関係を弱体化させ得るリスクに対抗し、核抑止の効果をより高めることに重点を置いており、核抑止の実践自体のリスクは考慮していない。
リスク低減策は、それが核抑止の計算に影響を及ぼさない限りにおいて、考慮される。ここに、本質的な矛盾と難題を見ることができる。すなわち、核抑止に信頼性を持たせ、意図的であれ、非意図的であれ、人的または技術的過失によるものであれ、核兵器が決して使用されないようにするためのリスク低減策に包括的に取り組むには、核兵器をいつでも使用する用意と決意があることを示す形で核兵器を維持する必要があるからである。
結論
このようにTPNWは、核兵器の爆発による人道的影響やその他の影響に対する抽象的な評価ではなく、具体的な評価に裏打ちされている。核のリスクは、全ての核武装国による核兵器の保有と核抑止の実践から生じる集合的リスクという観点で検討されている。影響、合法性、リスクを精査することによって、TPNWに盛り込まれた法的、倫理的、合理的結論に至るのである。それらは、核兵器に安全保障上の価値を持たせる主張や、核抑止の実践を維持することに知恵を見いだす主張を拒絶している。
アレクサンダー・クメントは、オーストリアの外交官であり、同国外務省軍縮・軍備管理・不拡散局長を務めている。軍縮・不拡散問題に関する幅広い取り組みを行っており、核兵器の人道的影響に関するイニシアチブや核兵器禁止条約(TPNW)の立案者の1人である。2016年より欧州連合政治・安全保障委員会のオーストリア常駐代表を務めた後、サバティカルで2019~2020年にキングス・カレッジ・ロンドンで上級客員研究員を務めた。著作に、‘The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons: How it was achieved and why it matters’(2021年)がある。
本論説に表明された見解は執筆者の見解であり、オーストリア外務省の立場を必ずしも反映するものではありません。