協調的安全保障、軍備管理と軍縮 (政策提言 No.239)
2025年08月06日配信
核兵器に対する懐疑論者の見解
ラメッシュ・タクール

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核兵器が戦争兵器として初めて使用されたのは、1945年8月6日の広島だった。最後の使用は、その3日後の長崎だった。人間は、重大な出来事について過剰な分析や不必要に複雑な解釈を行う傾向がある。1980年代のピーク時には米国とソ連が保有する核弾頭数は何万発にも達したにもかかわらず、なぜ1945年以来、80年間にわたって核兵器が再び使用されなかった最もシンプルな説明は、核兵器は本質的に使用できないということである。
核兵器は今日では合計9カ国に拡散しており、他の多くの国々でも指導者や科学者が核兵器の魔力に魅了され続けている。その根底には、相互に補強し合ういくつかの神話があり、その魔法にかかっているのだ。神話の筆頭は、第2次世界大戦の太平洋戦域において核兵器が連合国の勝利をもたらしたというものである。政策決定者、アナリスト、評論家の間には、1945年に日本が降伏したのは広島と長崎への原爆投下があったからだという考えが広く浸透している。
ロバート・ビラードは最近、ブラウンストーンジャーナルにおいて、見事な概見を示してくれた。当時の米国では幾人かの政策決定者や上級士官は、戦争を終わらせるという点で原子爆弾の軍事的価値は疑わしく、原爆は極めて非倫理的であると考えていたというものである。さらに言えば、トルーマン政権も当時、二つの原爆が戦争の勝利をもたらす武器であるとは考えていなかった。
むしろ、その戦略的影響は大幅に過小評価されており、既存の戦争兵器の段階的な改良型程度にしか考えられていなかった。後になって初めて、原子爆弾/核兵器を使用する決定の軍事的、政治的、倫理的な重大性が徐々に理解されるようになったのである。
とはいえ、重要な問題は、米国人が何を信じていたかということより、なぜ日本の政策決定者が降伏する気になったかである。当時の米国人の認識を精査しても、この問いに答えるには的外れである。別の分析の枠組みから浮かび上がるのは、原爆は日本が降伏を決断する決定的要因ではなかったというビラードの命題を強力に裏付けるものだ。広島の爆撃は8月6日、長崎は9日だった。一方、モスクワが日ソ中立条約を破棄して日本を攻撃したのは8月9日。東京は8月15日に降伏を宣言した。原爆投下から日本の降伏までの時系列的接近が偶然の一致であったことの証拠は驚くほど明白である。
8月初めまでに、日本の指導者らは自分たちが敗北し、戦争に負けたことを知っていた。彼らが直面していた重大な問題は、誰に降伏するかであった。それによって、誰が敗戦した日本を占領する勢力となるかが決まるからである。さまざまな理由から、彼らは、ソ連ではなく米国に降伏することに強く動機づけられた。これについては、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の近代ロシア・ソ連史を専門とする長谷川毅教授が、2007年にThe Asia-Pacific Journalに掲載した論文の中で詳細に分析している。日本の意思決定者の頭の中で無条件降伏を決定づけた要因は、基本的に無防備な北方を侵攻してソ連が太平洋戦争に参戦したこと、先に米国に降伏しなければスターリンのソ連が占領軍になるだろうという日本人の不安である。この重大な決断は、どの外国が日本を占領するかだけでなく、戦後の太平洋地域における冷戦終結までの地政学的状況全体をも決定したのである。
核の五つの逆説
核軍備管理と核軍縮に悪影響を及ぼしている三つの危機は、1970年以降の世界の核秩序の基礎となっている核不拡散条約(NPT)の義務に対する違反に起因している。すなわち、未申告の核活動に従事する国もあれば、NPT第6条に基づく軍縮義務を守らない国もある。NPTの締約国ではない国もある。また、核兵器を獲得しようとする非国家主体もある。
核の平和がこれまで保たれてきたのは、金庫番が堅実な仕事ぶりだったのと同じぐらいに、幸運のおかげであり、核兵器国による瀬戸際事故や誤警報は驚くほど多数発生している。80年にわたって核兵器と隣り合わせに生きてきたわれわれは、その脅威の重大さや切迫性に鈍感になってしまっている。しかし、慢心の暴政は、核のアルマゲドンによって恐ろしい代償を強いるかもしれない。国際政治を覆うキノコ雲の影は、本当はとうの昔に解消されているべきだったのだ。
世界の核軍備管理問題には五つの逆説がある。
第1に、核兵器は、それらを使用するという脅しに信憑性がある場合に限って抑止に役立つが、抑止が失敗しても決して使用してはならない。なぜなら、核兵器のいかなる使用も、あらゆる人にとって壊滅的な被害を悪化させるだけだからである。
第2に、核兵器は一部の者にとっては有用である(なぜなら、よく分からない理屈により、核兵器を保有することで彼らは一夜にして責任ある核兵器国になるからだ)。しかし、他の誰にも広がることは阻止されなければならない。
第3に、核兵器の解体と廃棄の最も大幅な進捗は、米国とソ連/ロシアの2国間条約、合意、措置の結果として生じた。しかし、核兵器のない世界は、不正行為や核兵器再開発を防ぐための、合意された信頼性と強制力のある検証メカニズムを備えた、法的拘束力を持つ多国間の国際的制度に基づかなければならない。これは、軽視できないハードルである。
第4に、既存の条約に基づく体制は、集合的に国際安全保障を支えており、多くの成功と重要な成果を挙げてきた。しかし、これらの体制は、例外や短所、欠陥が増え続けていることから、規範として消耗した状態にあり、総体として成功の限界に達してしまっていると考えられる。
最後の第5に、今日存在する核兵器は冷戦期に比べはるかに少なく、ロシアと米国の間で意図的な核戦争が始まるリスクは低く、モスクワとワシントンの関係を形成するうえで核兵器が果たす役割は低下している。しかし、核戦争のリスク全体は拡大している。なぜなら、不安定な地域におけるより多くの国がこの致命的な武器を入手しており、テロリストは核兵器を獲得しようとし続け、最も先進的な核武装国においても指揮統制システムはヒューマンエラー、システムの故障、サイバー攻撃に対して依然として脆弱だからである。核弾頭と、殺傷力の大きい爆発出力を持つ通常兵器の精密誘導弾との戦略的区別は、薄れつつある。
冷戦時代の核競争は、二極秩序の頂点にあるイデオロギー対立、二つの超大国の競合する核軍備増強とドクトリン、そして戦略的安定性を維持する堅牢なメカニズムの発達によって形成された。大国間競争の場は、欧州から中東やアジアへと拡大している。現在の核時代を特徴づけるのは、協力と対立が交錯する核保有国の多面性、指揮統制システムの脆弱性、3カ国以上の核武装国の間で同時に生じる脅威認知、その結果9カ国の核武装国の間でさらに複雑化する核の均衡である。1カ国の核態勢が変化すれば、他の数カ国に連鎖的な影響が生じ得る。
武器は、敵の攻撃を抑止するため、攻撃に対する防衛のため、敵を自国の望み通りの行動に強制するため、地位を得るため、張り合うため、敵対国や大国の行動を利用するためという六つの理由のいずれか一つまたはいくつかのために、求められ、いったん獲得されると保持されるものだ。ごくわずかな主要能力の獲得を誇示することによって、たとえ貧困に苦しむ弱小国であっても、先進軍事大国の認識に影響を与え、外交と戦争に関する意思決定モデルを変えることができる。核拡散をもたらす個別の要因は多数多様であり、通常は現地の複雑な安全保障情勢に根差している。しかし、それらはいずれも、核兵器の神秘性をめぐる一つまたはそれ以上の神話を信じることによって動かされている。
神話その2: 核兵器が冷戦期の平和を維持した
原爆投下が太平洋戦域で第2次世界大戦を終わらせるために決定的役割を果たしたと信じられた結果、その後の冷戦ではどちらの側にも、核兵器が東西ブロック間の緊迫した平和を維持しているという同類の信念が浸透した。しかし、冷戦中、ソビエト陣営やNATOがいずれかの時点で相手を攻撃する意図がありながら、相手側が保有する核兵器ゆえに攻撃を思いとどまったことを示す証拠は存在しない。
平和があれほど長く続いたことを説明する有力な要因として、核兵器の相対的重要性と影響力、西欧の統合、西欧の民主化をどう評価するか? 議論の余地もない点は、ソ連が赤軍の前線を越えて東欧と中欧に劇的な領土拡大を成し遂げたのは、米国が核兵器を独占していた1945~1949年の時期であったこと、そして戦略的均衡が達成された後に(ただし、それが理由ではなく)ソビエト連邦が崩壊して東欧から撤退したことである。
冷戦終結後、両サイドが保有する核兵器は、米国がNATOの勢力範囲を拡大してロシア国境に迫るのを止めることはできず、ロシアによる2014年のクリミア併合と2022年のウクライナ侵攻も止めることはできず、NATOによるウクライナの再軍備もウクライナによるロシア領内深部への攻撃も防ぐことはできなかった。米ロ間の核の均衡はおおむね一定しており、冷戦終結以降の地政学的情勢の変化を説明する理由としては無関係である。現在進行している米ロ関係のリバランシングを理解するには、別の要因を検討しなければならない。
神話その3: 核抑止は100%安全である
世界がこれまで核の大惨事を回避してこられたのは、賢明な管理もさることながら、それと同じぐらいに幸運のおかげでもある。1962年のキューバ・ミサイル危機がその最たる例である。ロシアとNATOとの間に起こるかもしれない戦争は、最も深刻な結果をもたらすものではあるが、五つある核の火種の一つに過ぎない。残りの四つは、全てインド太平洋地域にある。中国と米国、中国とインド、朝鮮半島、そしてインドとパキスタンである。インド太平洋の多重的な核関係を理解するために、北大西洋の二項対立的な枠組みと教訓を移し替えるだけでは、分析的に欠陥があり、核の安定性の管理をめぐる政策上の危険をもたらす。
例えば、この亜大陸の戦略地政学的環境は、冷戦時代にも類を見ないものである。三つの核武装国が互いに国境を接する三角形、重大な領土問題、1947年から繰り返される戦争の歴史、核兵器を使うか失うかを迫られる限られた時間、政治の不安定性、そして国家が支援する国境を越えた反乱とテロなどだ。計画的な核攻撃が核戦争に至る可能性は低いように思える。しかし、核備蓄の増大、核兵器運搬手段の拡大、領土回復主義的な領有権の主張、制御不能なジハード主義グループといった危険要素の混在により、インド亜大陸は懸念すべきハイリスク地域になっている。
朝鮮半島もまた、4カ国の核武装国(中国、北朝鮮、ロシア、米国)に加えて、米国の主要同盟国である韓国、日本、台湾を巻き込む核戦争の危険な戦場となり得る。いずれの側も望んではいない戦争に至る道筋には、瀬戸際外交や軍事演習を道具として利用する際の致命的な判断ミスなどがある。そのいずれかが金正恩を脅かして核の先制攻撃に走らせるかもしれないし、あるいは韓国や米国の軍事対応を引き起こし、それが歯止めの効かないエスカレーションの悪循環を生み出すかもしれない。
核の平和が保たれるためには、抑止となおかつフェイルセーフ機構が毎回その都度働かなくてはならない。核のアルマゲドンが起こるには、抑止またはフェイルセーフ機構がたった1回機能しないだけでよい。これでは気が休まるどころではない。抑止の安定性は、常に全ての当事国で理性的な意思決定者が政権に就いていることに依存している。金正恩、ウラジーミル・プーチン、ドナルド・トランプの時代にあっては、不確かな、あまり心強いとはいえない前提条件である。同じぐらい決定的に依存している条件は、不正な発射、ヒューマンエラー、システムの誤動作がないことである。あり得ないほど高いハードルだ。
事実、世界は、誤解、判断ミス、ニアミス、事故のせいで核戦争にぞっとするほど近づいたことが何度もある。
- 1961年1月、通常の飛行中のB-52爆撃機が制御不能なきりもみ状態に陥り、4メガトン(広島に投下された原爆の260倍)の核爆弾がノースカロライナ州上空で爆発するところを、一つの普通のスイッチがかろうじて食い止めた。
- 1962年10月のキューバ・ミサイル危機では、ソ連の核搭載潜水艦に乗り組む3人の司令官全員が戦争勃発と判断した場合は爆弾を発射する権限があらかじめ委任されていた。幸いにもソ連海軍のヴァシーリー・アルヒーポフが異議を唱えた。彼は世界を救った人間といえるだろう。
- 1983年11月、モスクワはNATOの軍事演習「エイブル・アーチャー」を本物の戦争と勘違いした。ソ連は、西側に全面核攻撃を仕掛ける寸前までいった。
- 1995年1月25日、ノルウェーは北部地域で強力な科学研究用ロケットを発射した。3段目のスピードと軌跡は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)「トライデント」とそっくりだった。ロシアのムルマンスク付近にある早期警戒レーダーシステムが、発射から数秒以内にこれを米国による核攻撃の可能性と判断した。幸いなことに、ロケットはロシアの領空に迷い込むことはなかった。
- 2007年8月29日、米国で、核弾頭を実装した空中発射巡航ミサイル6発を搭載したB-52爆撃機がノースダコタ州からルイジアナ州までの1,400マイル(2,253キロメートル)を許可を受けずに飛行し、実質的に36時間にわたり無許可離隊状態にあった。
- 2014年のウクライナ危機の後、ロシアとNATOの航空機や船舶が関与する深刻な危険性の高いインシデントが数件記録された。
- 「グローバル・ゼロ」も、南シナ海と南アジアにおける多くの危険な遭遇事案を記録している。
神話その4: 核兵器は核の脅しに対抗するために必要な抑止力である
核による脅しを避けるために、核兵器に関心があると公言する者もいる。「強要」とは、脅しまたは行為によって強制力を用い、すでに行われつつあることを中止または撤回する、あるいは本来なら行わない行動を敵対者に強いることである。しかし、核兵器があれば、国家は本来なかったはずの強制的交渉力を展開することができるという思い込みを裏付ける証拠は、歴史上ほとんど存在しない。脅しを受けている非核保有国が、核兵器で攻撃されるかもしれないという公然または暗黙の脅威によって行動を変化させた明確な事例は、ウクライナを含めて一つもない。
これまでに発明された最も無差別に非人道的なこの兵器に対する規範的タブーは極めて包括的かつ頑強なものである。そのため、考え得るいかなる場合にも、非核兵器国に対して核兵器を使用することは、その政治的コストに見合うものではないだろう。米国国民の間では核兵器に対する規範的タブーが弱まりつつあるかもしれないことが、いくつかの研究によって示唆されている。しかし、世界の核政策決定者と定期的に関わってきた人々の間では、核に対するタブーは依然として強固なものであるという根強い確信が残っている。
だからこそ核保有国は、武力紛争を核レベルまでエスカレートさせるよりはむしろ、非核保有国への敗北を受け入れてきた(ベトナム、アフガニスタン)。核保有国である英国のフォークランド諸島に至っては、1982年に非核保有国であるアルゼンチンによる侵攻を受けた。繰り返される挑発行為に対して北朝鮮を攻撃する場合、最大の警戒材料は核兵器ではなく、韓国の人口密集地域、例えばソウルに通常兵器によって打撃を与える強大な能力と、中国がどのような反応をするかという懸念である。平壌が現在および将来保有する核兵器の貧弱な量とそれらを確実に展開し使用する能力の未熟さは、抑止力を評価する際の第三の遠い要因である。
神話その5: 核抑止は100%有効である
核兵器は、核武装した敵対国に対する防衛力として使うこともできない。第二撃報復能力への相互脆弱性は近い将来にわたって極めて確実であるため、核兵器使用に踏み切るようなエスカレーションは、双方の国家的自殺にまで本当に至る恐れがある。上述の四つの神話が、現実の世界に結び付かない幻想であると認められるのであれば、核兵器の唯一の目的と役割は相互抑止の保証ということに尽きる。事実、それは、核兵器を支持する論拠として最も広く取り上げられている。残念ながら、核兵器国、中堅国、小国を巻き込んだどのような二者対立に対してさえも、この論理は機能しない。
「抑止」とは、検討されているかもしれないがまだ開始されていない敵対行為や攻撃を敵対国が開始するのを思いとどまらせるための脅しを指す。9カ国の核武装国の間では、対立する核武装国による核の脅しや核兵器の使用を通常兵器によって抑止することはできないという考え方が支配的である。これは真実かもしれないが、その逆は真ではない。核兵器を獲得すれば、敵対国による核の脅しや核兵器の使用に対するハードルを上げるかもしれないが、完全に妨ぐことはできない。そうでなければなぜ、核武装したイスラエルがイランの核兵器獲得を存亡の脅威として恐れるだろうか? 抑止が本当に効果を発揮するなら、地域のほかのどの国が核兵器を獲得しようとも、イスラエルは自国が核兵器を保有するだけで十分安心できるはずだ。
核兵器は、核保有国と敵対する非核保有国との間の戦争を阻止できていない(朝鮮戦争、アフガニスタン戦争、フォークランド紛争、ベトナム戦争、1990~91年の湾岸戦争)。標的となり得る国の間で、核兵器は強力な規範的タブーであるゆえに本質的に使用不可能であると信じられているため、その抑止効果は著しく制限されている。同盟国の核の傘に守られている国々について言えば、彼らの安全保障ニーズが通常兵器による堅牢な拡大抑止によって十分満たされないはずがない。
大国の場合と同様に中堅核保有国の対立においても、国家安全保障戦略の立案者は根本的かつ解決不能なパラドックスに直面する。それぞれの核武装国は、より強大な核保有敵国による通常攻撃を抑止するために、攻撃されたら核兵器を行使する能力と意思があるということをより強い国に悟らせなければならない。しかし、本当に攻撃が起きた場合、核兵器の行使に至るまでのエスカレーションは、最初に核攻撃をした側にとっても軍事的破壊の規模は大きくなる。より強い国はそう考えているため、核兵器の存在は警戒の追加材料になるかもしれないが、弱い側が完全かつ無限に攻撃を免れることを保証しない。核兵器は、1999年にパキスタンがカシミール地方のカルギルを占領するのを止めなかったし、インドがカルギル奪還のために限定戦争を仕掛けるのも止めなかった。パキスタンが関与しているとインド政府が信じている重大なテロ攻撃が再びムンバイやデリーで起これば、国境を越えて何らかの報復行うよう求める圧力は、パキスタンが核兵器を保有していることへの警戒をはるかにしのぐ可能性がある。
これは、2025年4月にカシミール地方のパハルガムで発生したテロリストによる大量殺害事件の際に起こったことであり、それを受けてインドは5月にシンドール作戦を実行し、亜大陸の敵対関係にニュー・ノーマル(新常態)をもたらした。これまでの常態とは、パキスタンに対してテロ・ネットワークの解体を求める二国間圧力、パキスタンを国際的に孤立させる外交努力、パキスタン国内の個人やグループに対する国連のテロリスト指定、そしてテロ・インフラを解体しない場合のパキスタンに対する経済制裁を行使することであった。パキスタン領内深部に先進ミサイルやドローンを投入して、軍事資産を無力化しテロ・インフラを標的とする能力と意志は新たな常態である。一方、そのエスカレーションの段階を管理し得たことは、宇宙やサイバーを含む初めての多領域戦も発生した伝統的敵国との2国間関係において、ナレンドラ・モディ首相のレガシーになる可能性がある。
2025年6月には、イスラエルと米国が12日間戦争でイランの核施設、機関、軍司令官、科学者を攻撃した。イスラエルは、NPT体制の枠外で未承認の核爆弾を数十発保有しており、米国は世界で最も殺傷力の高い核弾頭、ミサイル、運搬手段を保有している。イランに対する彼らの攻撃の正当性を大きく制限する不都合な真実である。両国はイランの核インフラの機能を損なうことに成功したが、破壊することはできなかった。長期的に見れば、イランが秘密裏に追求してきた計画を破棄するよりも、核兵器を何としても開発する決意を強めるという結果になる可能性が高い。
核抑止力の基本的論理を信奉する人々に対し、シンプルな質問を投げかけたい。その信念を証明するものとして、現在核武装国が1カ国だけ存在する中東の平和と安定性に寄与するためにイランが核兵器を獲得することを支持するのですかと。せいぜい頑張ってください。おやすみなさい。ケネス・ウォルツはかつて1981年に、核兵器は抑止の安定性を高めるので「慎重な拡散」によって核武装国が増えれば概して世界はより安全になるだろうと主張した、知的信念に基づく勇気を持った極めて数少ない人々の一人であった。基本的に彼は、抑止力と防衛力が高まれば戦争が起こる可能性は低くなり、新たに核武装した国々は新たな立場に伴う責任を社会的に受け入れられるようになると主張したのである。
おわりに
核兵器は、その極端な破壊性から、政治的にも道徳的にも他の兵器とは質的に異なり、事実上使用不可能である。これは、なぜ核兵器が1945年以降使われていないかを説明する最も真実を突いた理由かもしれない。核兵器を支持する論拠は、核兵器の有用性と抑止論を信じる迷信的で魔術的なリアリズムに依拠している。
抑止ではなく規範こそが、いかなる場合も核兵器の使用は容認できず、不道徳で、恐らく違法であるとして断罪してきた。核兵器を軍備に導入し、軍の機構とドクトリンに組み入れている国であっても例外ではない。1945年以降の最も強力な規範の一つは、核兵器の使用に対するタブーである。ほとんどの国は、国民の圧倒的多数がこの恐怖を掻き立てる兵器を忌み嫌っているため、核兵器を保有しないことを選択している。作戦上の非有用性が、規範の力をいっそう強めている。先に論じたように、核兵器の膨大な破壊力はそう簡単に軍事的有用性や政治的有用性につながらない。
9カ国が核兵器を保有していることで、世界は核の災害へと無意識のうちに突入するリスクにさらされている。思い出して欲しい、夢遊病状態にあるとき、人は自分が何をしているか自覚していないのだ。核兵器拡散のリスク、そして核武装国(その全てが不安定な紛争多発地帯にある)による使用のリスクは、現実的な安全保障上の利益を上回る。核リスク低減に向けたより合理的で慎重なアプローチは、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会の報告書で明らかにされた、最小化、削減、廃絶を目指す短期、中期、長期の行動計画を積極的に提唱し、追求することだろう。
核兵器が存在しなければ、それが拡散することはなかったという主張は、経験的にも論理的にも真実である。9カ国の軍備に核兵器が存在するという事実そのものが、他の国々に核兵器が拡散し、いつか再び使用されることの十分な保証である。逆に言えば、核軍縮は核不拡散の必要条件である。従って、現実の世界における選択肢は、核兵器の廃絶か、または連鎖的な拡散と確実な使用(意図的か事故かにかかわらず)のどちらかしかない。核兵器の支持者は、核兵器の重要性を誇張し、その大きなリスクを軽視し、それらに核抑止力とも呼ばれる「えせ魔力」を吹き込む「核の夢想家」である。
ラメッシュ・タクールは、元国連事務次長補。オーストラリア国立大学名誉教授であり、オーストラリア国際問題研究所フェローを務める。戸田記念国際平和研究所の元上級研究員。「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」の編者。