北東アジアの平和と安全保障 (政策提言 No.217)
2025年03月31日配信
米中の安心供与:理論と実践
カイ・ヘ(Kai He)

Image: Kritsapong Jeantaratip/shutterstock.com
はじめに
世界は今、相互に重なり合う複数のグローバルな課題として定義されているポリクライシス(複合危機)に直面している。今なお続くウクライナの戦争や中東における軍事衝突の激化が国際的な安定を脅かしている。その一方、アジア太平洋地域の平和と安全は、米中間の戦略的競争の激化によりますます危険にさらされている。米国と中国はともに核保有国であり、インド太平洋地域における重要なアクターであるため、両国間に軍事衝突が起きた場合、世界の安定に広範な影響を及ぼす壊滅的な結果をもたらすだろう。
このような不安定な状況において、2国間関係を安定させ、米中間の軍事衝突を防ぐための戦略的アプローチが緊急に必要とされている。本報告書は、激化する戦略的競争の中で増大する軍事衝突のリスクに対処し、脆弱な「東アジアの平和」を維持するための紛争予防手段としての「安心供与」の必要性を強調している。米中間の紛争の可能性を軽減することは、戸田記念国際平和研究所の北東アジアに関する第1研究クラスター(Toda Research Cluster: TRC)の主要な研究目標である。この目標を達成するため、本報告書は次の重要な問題に焦点を当て、米中間の安心供与の主要な理論的および経験的側面を検討する。
- 「安心供与」とは何か?
- なぜ安心供与が必要なのか?
- 国家は理論上、どのように安心供与戦略を実施しているのか?
- 米国と中国は、どのようにして互いに安心供与戦略を実行できるのか?
- 効果的な米中の安心供与を実現するための課題は何か?
本報告書[1]の目的は、両大国間の緊張を緩和し、より安定した協力関係を促進するための実行可能な洞察を提供することである。
安心供与とは何か?
安心供与とは、敵対国との軍事衝突や戦争のリスクを軽減することを目的とした国家政策や戦略的アプローチである。安心供与は、明確で一貫したメッセージを通じて友好的な意図を伝えながら、相互抑制を促す行動をとることで機能する。安心供与は、認識されている脅威を軽減し、相互の信頼を醸成することで、エスカレーションや武力行使の可能性を低下させる。
安心供与は抑止と同様に、敵対国間の紛争や危機を管理するための戦略である(Stein 1991; Lebow 1987; Jervis 1978)。しかし、この二つの戦略は焦点が根本的に異なる。抑止は、防衛能力を示したり、報復を示唆したりすることによって侵略を防ぐことを目的としているのに対し、安心供与は、平和的意図を示すことによって敵対国の疑念を和らげようとするものである。
安心供与の重要性を強調することは、抑止の役割を否定することを意味するものではない。安心供与と抑止は相互に排他的ではなく、補完的であることを認識することが重要である。一部の学者(Schelling 1966; Christensen 2022; Glaser, Weiss, and Christensen 2024)は、抑止は信頼できる保証や安心供与なしには完全に成功することはできないと主張している。従って、政策立案者は、効果的な抑止を達成し、敵対国との意図しない紛争を防ぐために、信頼できる安心供与戦略をどのように実施するかを理解する必要がある。
この文脈では、敵対国間の安心供与と、パートナーや同盟国間の安心供与(または保証)とを区別することが重要である。敵対国間の安心供与は、誤解や誤算を減らして意図しない軍事衝突を防ぐことを目的としており、同盟国間の安心供与や保証はパートナーシップや協力を強化することを目的としている。本報告書は、不必要な軍事衝突や戦争を回避するための、潜在的な敵対国間の安心供与戦略に焦点を当てている。
安心供与の主な特徴:
- 目標:敵対国間の軍事衝突や戦争の可能性を最小限に抑える。
- 手段:国家の友好的な意図と行動を、明確かつ信頼できる形で伝達し、実証する。
- メカニズム:安心供与のシグナルに対する信頼を醸成し、敵対国に国家の平和的意図を認識させる。これにより誤算が減り、紛争のリスクが低下する。
安心供与を支える主要な前提:
- 紛争は誤算に根ざしている:戦争や軍事衝突は、しばしば誤算や誤解、あるいはある国の防衛行動が他の国から攻撃的と認識される安全保障上のジレンマの力学から生じることが多い。
- 国家の優先事項としての安全保障:ほとんどの国は、国際システムの中で何よりも自国の安全保障を優先しており、認識されている脅威を説得力をもって軽減することができれば、安心供与戦略は効果的になる。
誤認に対処し、安全保障上のジレンマを緩和することで、安心供与戦略は紛争管理、特に米中間の高リスクな関係において重要なツールとなる。
なぜ安心供与なのか?
米国と中国は現在、戦争を防ぐために軍事的抑止に大きく依存しているが、このアプローチは警戒すべきものであり、かつ不安定なものである。米国がインド太平洋の同盟国やパートナーとの安全保障上のパートナーシップを強化する一方で、中国は軍事力を急速に拡大している。最近の例としては、中国が太平洋で大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験に成功したと報じられたことや、2機の新型ステルス戦闘機の試験飛行、世界初の電磁カタパルトを搭載した強襲揚陸艦の進水などがある。同様に、米国は2025年2月、陸上核戦力の継続的な安全性と有効性を確保するため、無弾頭のミニットマンIII ICBMの発射実験を行った。
現実主義的な観点から見ると、米中両国は戦略的競争において最悪のシナリオに備えて抑止を強化することで合理的に行動している。抑止は、十分に確立された紛争管理戦略として防衛能力を示したり、信憑性のある報復を示唆したりすることによって侵略を防ぐことを目的としている。
しかし、経験的証拠によれば、抑止だけでは安全保障を追求する国家間の紛争を防げないことが多い。抑止への過度の依存は、典型的な安全保障上のジレンマをエスカレートさせるリスクがあり、双方が相手の防衛策を攻撃的または積極的と解釈する(Herz 1950; Jervis 1978)。この相互の疑念と対抗策のサイクルは緊張を煽り、誤算、危機、さらには戦争のリスクを高める。
核の時代において、そのリスクは極めて高い。米国と中国のような核保有国同士の紛争は壊滅的なものとなり、その結果は想像を絶するほど深刻である。このような背景から、誤算のリスクを軽減し、安全保障上のジレンマの根底にある力学に対処するための重要な戦略として、安心供与が浮上している。
安心供与は抑止に取って代わるものではなく、むしろそれを補完するものである。抑止が侵略を防ぐために懲罰の脅威に依存しているのに対し、安心供与は平和的な意図を示すことによって敵対国の疑念を和らげ、信頼を築くことを目的としている。これらの戦略を組み合わせることで、戦略的競争、特に米国と中国の間の高リスクの関係を管理するための、よりバランスのとれた効果的なアプローチが提供できる。
敵対国に対する理論的な安心供与の方法
安心供与に関する理論的アプローチは、国家が敵対国との緊張を緩和し、信頼関係を構築するために用いることができるいくつかの戦略を示唆している(Jervis 1979, Stein 1991; Kydd 2000; Lebow 2001; Montgomery 2006; Steinberg and O’Hanlon 2014 and 2015; Zhang and Lebow 2020):
1.不可逆的な関与
指導者は、友好的な意図を示し、不信感を減らすために、大胆で不可逆的な関与を行うことができる。歴史的な例として、1977年にエジプトのアンワル・サダト大統領がイスラエルを画期的に訪問し和平交渉への道筋を開いたことや、1988年にミハイル・ゴルバチョフがアフガニスタンからソ連軍を撤退させると公約し、緊張緩和を心底望んでいることを示したことが挙げられる。
2.戦略的抑制(一方的および相互的)
国家は、平和的意図を示すために一方的に抑制を課すことも、緊張を緩和するために相互に抑制措置を講じることもできる。例えば、インドとパキスタンは1987年の危機の際に、相互に軍事行動を抑制し、数カ月間にわたって2国間の緊張を緩和した。これらの措置は、紛争を引き起こす可能性のある行動を回避するという取り組みを示している。
3.非公式または公式の競争規範
各国は協力して、競争を規制し、誤算のリスクを最小限に抑える非公式の規範を確立することができる。冷戦中、米国とソ連は、中東における競争を制限することについて暗黙の了解を築き、同盟国が超大国の介入を誘発し、地域紛争をエスカレートさせる可能性のある軍事行動を防いでいた。
より公式な例は、中国とインドの国境紛争管理に見られる。1996年の「印中国境の実効支配線に沿った地域の軍事分野での信頼醸成措置に関する協定」では、双方とも実効支配線(LAC)から2キロメートル以内で発砲してはならないと明記されている[2]。この規範は、2020年のガルワン渓谷のような国境紛争地域における最近の衝突においてさえ、軍事的エスカレーションを防ぐ上で重要な役割を果たしてきた。
4.公式または非公式の制度
公式または非公式の制度を確立することは、敵対国間の信頼関係を構築し、不確実性を軽減するのに役立つ。例えば、米国とソ連は、SALT I、SALT II、START I、START II、新START、オープンスカイズ条約、米ソ海上事故防止協定など、一連の信頼醸成措置を策定した。これらの制度は、信頼醸成の枠組みとなり、意図しないエスカレーションのリスクを軽減した。
これらの戦略はそれぞれ、国家がどのようにして敵対国に効果的に安心供与を講じることができるかについての貴重な洞察を提供し、緊張を緩和し、リスクの高い関係を安定させるのに役立つ。これらの戦略は、米国と中国がどのようにして相互に安心供与する措置を実施できるかを理解するための枠組みを提供している。
どのようにして安心供与を行うか
何に対して安心供与を行うか
米中の戦略的競争の激化は、四つのホットスポットで顕著であり、それぞれが軍事衝突や戦争にエスカレートする可能性がある。これらの重要な地域は次の通りである。
- 台湾
- 朝鮮半島
- 南シナ海
- 東シナ海
このような地域的な火種にとどまらず、いくつかの戦略領域は、軍拡競争を不安定化させ、危機をエスカレートさせ、潜在的に紛争につながる重大なリスクをもたらしている。これらの中核的な戦略的領域は次の通りである。
- 核兵器
- 通常兵器の軍事能力
- 宇宙安全保障
- サイバーセキュリティ
- 海上安全保障
これらのホットスポットと戦略的領域は、米中間の紛争の潜在的な引き金要因を示している。このリストを拡張または精緻化して追加の領域や地域を含めることにより、潜在的リスクのより包括的な視点が得られるかもしれない。
政策提言
安心供与理論から得られた知見をもとに、米中間の信頼を醸成し、緊張を緩和し、安定を促進するための4段階の安心供与アプローチを提案する。重要なことは、激しい戦略的競争の中、潜在的な敵対国間で安心供与措置を実施することは非常に困難であるということである。安心供与は、効果的に管理されなければ、敵対国からは自国の弱さを示すものとして、また国内世論からは宥和的なものとして受け取られやすい。その結果、米国と中国の政策立案者は、自国が開始するものであれ、敵対国が開始するものであれ、安心供与政策を追求することに極めて慎重である可能性が高い。
これらの課題に対処するために、安心供与戦略を実施する際には、以下の三つの原則を採用することを推奨する。
- 言葉から行動へ:言葉による保証にとどまらず、信頼できる一貫した意図を示す具体的な行動へと移行する。
- 両国間の互恵性:相互性を確保する手段として、敵対国による具体的な安心供与措置に対して自らの具体的な措置で対応する。
- 行動から規範への段階的移行:具体的な行動から、共有された規範や制度の確立へと、時間をかけて段階的に進んでいく。
以下の4段階の安心供与アプローチはこれらの原則を反映するように設計されており、現在進行中の米中戦略的競争の中で、誤算を減少させ、緊張を緩和し、安定を促進することを目的としている。われわれは、安心供与が両国間の効果的な抑止を強化する上で補完的な役割を果たすことを認識している。しかし、信頼できる安心供与がなく、抑止のみに依存すると、米中間の軍事衝突や戦争のリスクが増大する可能性がある。
ステップ1:長期的な意図を示すための信頼できる約束の表明
第1段階では、米中間の誤解や誤算を減らすために、信頼できる約束を交わすことの重要性を強調したい。これには、両国の指導者にとって比較的リスクの低い行動である、友好的な意図を示す「言葉」または公的な約束を用いることが含まれる。信頼性を確保するためには、これらの表明は明確で透明性があり、相手国に対する平和的意図を明示するものでなければならない。
両国の指導者は過去にも様々な機会にこれらの約束の一部を表明してきたが、それらを公的に再確認することは、不確実性をさらに減らし、誤算のリスクを最小限に抑え、軍事衝突の防止に役立つだろう。これにより、戦略的競争を管理するための安定した基盤が構築できる。
米国への提言
- 体制転換の意図を公的に否定する:中国政府の弱体化を目的とした戦略から明確に距離を置き、共存と相互尊重への意向を示すことで、北京の包囲網や敵意への懸念を軽減させる。
- 「一つの中国」政策を公的に再確認する:米国が現在の対台湾政策を維持すると明確に公約すれば、北京の懸念は緩和され、台湾海峡の安定が確保されるだろう。
- 中国に対して「封じ込めをしない」と公式にに表明する:米国が中国に対して新たな冷戦を仕掛けるつもりはないという明確な声明を出すことは、緊張を緩和するのに役立つだろう。それだけでなく、米国は平和的かつ建設的な手段を通じて中国との経済的、技術的、戦略的競争に対処するという意向を強調することができる。
中国への提言
- 現在の国際秩序に対する関与を公式に表明する:中国は、既存の国際秩序を覆そうとするのではなく、米国が世界の安定維持のために重要な役割を担っていることを認識していると明確に表明すべきである。さらに中国は、気候変動、サイバーセキュリティー、AIの軍事利用、パンデミックの脅威など、グローバルな課題について米国と協力し関与していく意向を表明することができるだろう。
- 台湾統一に向けた平和的アプローチを繰り返し表明する:中国は、台湾問題を解決するための決まったスケジュールや期限はないことを再度表明し、平和的なアプローチを強調することで、友好的な意図を強化する。そうすることで、地域全体をエスカレーションし、不安定にする可能性のある台湾海峡での突発的な衝突に対する懸念を和らげることができるだろう。
- 麻薬取引対策に関する積極的な協力を公約する:米国へのフェンタニルや他の合成オピオイドの流入に対抗するために米国との継続的かつ積極的な協力を約束することは、相互の安全保障上の懸念に対処するという中国の意図を示すことになる。
両国は、公に表明されたこれらの方針を遵守することで、相互に、そして国際社会に対して抑制と安定の強力なシグナルを送ることになる。理想的には、米中が第5次共同声明に署名することで、これらの約束の一部を正式なものにすることができるだろう。しかし国内の政治的な考慮によりこれが現実的でない場合でも、両国の指導者による公式声明は、不確実性と誤算を軽減するのに役立つ可能性がある。
これらの公約は、さらなる信頼醸成措置と協力的な取り組みの基盤となり、より安定的で建設的な戦略的関係構築に向けた道を開くことになる。
ステップ2:戦略的抑制の実施
約束を強化するための相互行動
安心供与の第2段階は、言葉から行動へと移行し、米中間の緊張を緩和するための戦略的抑制を実行することである。これらの措置は、安定と共存への関与示す信頼醸成メカニズムとして機能する。両国は、相手国からの相互的な行動を期待して単独で行動を開始することができ、相互抑制のサイクルが促進され、エスカレーションのリスクを軽減することができる。
米国への提言
- 特定の軍事展開を制限する:中国にとって脅威となり得るこの地域での先進的な兵器システムの配備を制限すれば、中国に対して親善を示すとともに、脅威を軽減させるだろう。
- 航行の自由作戦(FONOP)に注意を払う:南シナ海でのFONOPを事前に通告し、その強度と頻度を減らすことで、中国が自国の領土とみなして占領している自然島や人工島、岩礁への接近を避けつつ、航行の自由に関する米国の立場を堅持し、緊張緩和を図ることができるだろう。
- 情報収集・警戒監視・偵察(ISR)活動の制限:センシティブな地域付近での高強度の接近型ISR作戦を縮小することで、挑発行為という認識を緩和し、信頼を構築することができるだろう。
- 「一つの中国」政策を損なうことを控える:台湾への大規模な武器売却や米国高官による政治訪問を避けることで、米国の公約の一貫性を確保し、緊張を緩和するだろう。
- 公式声明で中国共産党(CCP)を標的にすることを避ける:体制の安全は中国の核心的利益の中心であることを認識し、中国共産党への公式な非難を控えることによって、米国の意図に対する疑念は軽減される。
中国への提言
- 過度な軍事演習を避ける:台湾周辺や南シナ海の紛争地域で事前通告せずに大規模な軍事演習を行うことを回避または縮小することで、地域の不安が軽減し、米国の相互行動を促すことになる。さらに米国の要人による訪台など、挑発的と思われる行為に対して慎重かつ適切な対応をとることが、安定を維持することにつながるだろう。
- 安全な距離を保つ:FONOPやISRに参加する米海軍の艦艇や航空機と安全な距離を保つことで、緊張が緩和されるだろう。
- 軍事的コミュニケーションを定期化する:既存の軍事コミュニケーション・チャネルを強化することは、特に危機の際に誤解やエスカレーションのリスクを最小限に抑えることになる。このアプローチは、2001年のEP-3衝突などの過去の事故から学んだコミュニケーションの重要さという教訓に基づいている。
- 「グレーゾーン作戦」への依存を制限する:海上民兵活動などの準軍事的行動を控えることで、紛争海域における信頼と安定を高めることができる。南シナ海における他の主張国に対する強制的な行動を回避すれば、米国との戦略的緊張がさらに緩和される。
- 法的拘束力のある行動規範(COC)に関するASEANとの交渉を強化する:ASEANとの法的拘束力のあるCOCの締結を進めることは、南シナ海、特に中国と米国との間の海上緊張を大幅に緩和することになる。紛争予防を重視することで、安定性をさらに高めることができる。
これらの戦略的抑制行動は、どちらの国も単独で開始し、実施することができる。しかし、安心供与の効果は、相手側の適切な相互的行動にかかっている。もし一方が互恵性の欠如を認識すれば、裏切られた、あるいは不利な立場に置かれたと感じ、信頼が損なわれ、エスカレートするリスクが高まる可能性がある。
従って、両国が互いの善意を保証するためには相互抑制を講じることが不可欠である。このプロセスは継続する可能性も頓挫する可能性もあるが、具体的な戦略的抑制を示すことは極めて重要である。相互抑制のサイクルを促進することで、両国は安心供与の規範と体制を発展させる道を開き、最終的にはより大きな安定と安全保障に貢献することができる。
ステップ3:競争規範の構築
安心供与の第3段階は、競争規範の構築で、これには米中間の持続的な交渉と協力が必要である。これらの規範の構築は長期的なプロセスであり、有意義な交渉を開始するためには、基本的な理解と実践的な協力が必要である。競争規範の構築は、予測可能性を高め、緊張を緩和し、戦略的安定を維持するために不可欠である。
米中両国への提言
- 軍事活動を制限するための暗黙の合意:南シナ海や台湾海峡などの紛争地域での軍事活動を制限するという非公式な合意について交渉することは、軍事的緊張の緩和につながるだろう。例えば、米国と中国は南シナ海での対立を避けるために、米国の航行の自由作戦(FONOP)と中国のグレーゾーン活動を同時に縮小することで合意することが可能である。
- 洋上で不慮の遭遇をした場合の行動基準(CUES)の遵守を拡大する:拘束力のないCUESの本格的かつ広範な実施を奨励することで、海上の安全性を高め、特に混雑した海域や争いの絶えない海域での、海軍艦艇、海上監視船、沿岸警備船、漁船間のやりとりにおけるリスクを軽減するだろう。このアプローチは、事故や誤解を防ぐことにつながり、緊張をエスカレートさせる可能性を防ぐことになるだろう。
- 重要システムのためのサイバー規範:重要な軍事指揮統制システムや重要なインフラを標的にしないという暗黙の合意を確立することは、重要なインフラを保護し、不安定化を招くサイバー攻撃のリスクを軽減することになる。この措置は、両国のデジタル・エコシステムの安定に貢献し、意図しないエスカレーションを防ぐだろう。
これらの非公式および公式の規範は、2国間の緊張を緩和するだけでなく、より広範な国際的環境における責任ある行動を促し、地域の関係者に利益をもたらし、グローバル・ガバナンスを強化するだろう。
ステップ4:長期的な信頼を築くための体制の確立
安心供与の第4段階は、米中間の信頼を強化し、緊張を緩和するための公式・非公式の体制を構築することである。規範の構築とは異なり、体制の確立には、対話、危機管理、協力のための構造化されたチャネルを提供する公式合意や制度的枠組みが必要である。こうした体制は、2国間の意思疎通における予測可能性と安定性を高める。このような体制の確立には、2国間の持続的な交渉と協力が必要である。
米中両国への提言
- ハイレベルの危機コミュニケーション・メカニズムを確立する:これには、相互理解を深め、誤算を避けるための首脳の相互訪問や定期的なハイレベル協議が含まれる。
さらに国際会議を最大限に活用し、対話の機会を増やすべきである。 - 重要な2国間問題について特使を任命する:貿易や地域の安定など、2国間の重要な問題について特使を任命することで、外交関係が活性化されるだろう。これらの特使は、持続的な対話の中心的な役割を果たし、緊張が高まっている時期でもオープンなコミュニケーション・チャネルを確保するだろう。
- 戦略的安定のための2国間枠組みについて交渉する:核不拡散や軍備管理、その他の戦略的安定の問題に関する2国間協定や条約を策定することで、相互の抑制を示すことができる。例えば2国間の軍備管理の枠組みは、極超音速ミサイルやAIを活用した兵器システムなどの先端技術に関する懸念に対処することができる。軍備管理に関する定期的な協議が奨励されるべきである。
- 制度化されたコミュニケーション・チャネル:軍対軍のチャネルを含む複数のレベルでの危機管理コミュニケーション・メカニズムを強化し、制度化することで、リアルタイムの紛争管理能力を向上させることができるだろう。国家指導者と軍指導者の間の既存のホットラインは、より頻繁に利用されるべきである。さらに、両国の戦域司令官によるコミュニケーションは定期的に行われるべきである。
- 先端技術のセキュリティー体制の確立:AI、サイバー戦争、宇宙技術に関する拘束力のあるルールと制度に関する交渉を開始することで、これらの分野が不安定な競争の場になることを防ぐだろう。合意には、自律型致死兵器の禁止や宇宙の軍事化の禁止などが含まれる可能性がある。
- 西太平洋のための多国間安全保障会議を構築する:西太平洋に焦点を当てた多国間安全保障会議の設立を提唱することで、対話を制度化し、紛争の可能性を減らすことが可能となる。この会議は、アジア太平洋安全保障協力会議(CSCAP)やASEAN地域フォーラム(ARF)のような既存のメカニズムを補完し、地域の紛争を管理し、西太平洋の主要な関係者間の協力を促進するための専用のフォーラムを提供するだろう。
- 南シナ海とそれ以遠の海底ケーブルの安全性に関する交渉を開始する:米国と中国はASEANと共同でイニシアチブをとり、南シナ海とそれ以遠の海底ケーブルの安全性に関する宣言について交渉することができる。他国の排他的経済水域(EEZ)にケーブルを敷設する自由を確保することは、国連海洋法条約(UNCLOS)によって保証されている。バルト海での事件からも明らかなように、その地域の石油やガスのパイプライン、電力ケーブル、デジタル通信ケーブルへの依存が高まる場合、これらのインフラは破壊行為から保護する必要がある。米国と中国は、偶発的または意図的なケーブル切断を調査する取り組みを主導し、重要インフラの安全保障に貢献することができる。
これらの公式および非公式の体制を形成することにより、米国と中国は、責任をもって競争を管理する努力を制度化し、競争を安定的かつ予測可能な状態に保つことができる。これらの制度的枠組みはまた、より広範な国際協力を促進し、地域および世界の安全保障に貢献するだろう。
出発点と今後の課題
米中間の安心供与の努力が成功するかどうかは、両国指導者の政治的意思、戦略的ビジョン、実行可能な約束にかかっている。提案された4段階の安心供与アプローチは、激しい戦略的競争の中で信頼を築き、誤算を減らし、予測可能性を高めるための漸進的な道筋を提供する。安心供与措置によって2大国間の競争がなくなるわけではないが、意図しない軍事衝突のリスクを減らしつつ、責任ある平和的な競争を促すことはできる。
安心供与に資する環境を構築するために、米中は以下の五つの出発点を考慮すべきである。
米中両国にとっての五つの出発点
- ハイレベル外交の強化:両国は、首脳外交を優先し、制度化し、それを通じた定期的かつ体系的な関与を確保すべきである。安心供与措置の実施のための特使を任命することは、外交の継続性を高め、緊張期においても開かれたコミュニケーション・チャネルを維持することになる。
- 戦略・経済対話の再開:オバマ政権時代に確立された戦略・経済対話を復活させるか、あるいは貿易戦争を乗り切るまたは防止する方法に焦点を当てた新たな目標を定めたハイレベルのコミュニケーション・チャネルを創設することで、相互信頼を高めることになるだろう。これらのメカニズムは、誤解や誤算を防ぎ、戦略的安定を促進することにもつながる。
- 定期的な軍事協議を制度化する:中国人民解放軍(PLA)と米インド太平洋軍との定期的な会合を確実に開催する。中国の軍事演習に米国のオブザーバーを招待し、その逆も行う。両政府は、危機的状況の場合でも協議を中断しないことを約束すべきである。
- 情報共有の強化:米国は軍事、経済、医療、技術の進展に関する最新情報を共有することができる。一方中国は紛争地域における自国の意図について透明性を高めることができるだろう。軍同士の対話を制度化することで、情報共有のために構築されたプラットフォームを提供し、不確実性を軽減し、透明性を促進するだろう。
- 敏感な問題に対処するための合同作業部会を設置する:合同作業部会を設置し、機微に触れる問題についてのハイレベルな外交対話を促進する。例えば、米国と中国は、サイバー攻撃禁止とする機密標的を特定したり、AIを搭載した軍事システムの人的監視を確保したりすることができるだろう。これらの協力メカニズムによって、相互信頼を高め、戦略的誤算のリスクは軽減されるだろう。
これら五つの出発点を追求することによって、米中は効果的な安心供与の基礎を築くことができ、より安定した予測可能な戦略的関係構築に寄与できる。
今後の課題
安心供与戦略には潜在的な利点があるものの、米中間での実施を成功させるためには、次のいくつかの重要な課題に対処する必要がある。
1.安定化前のエスカレーション
米中の戦略的競争は、どちらかが安心供与の必要性を十分に認識する前にエスカレーションする可能性が高い。この対立が深まるにつれて、双方は互いのレッドライン(超えてはならない一線)への挑戦が増え、誤算のリスクが高まる。両国の意思決定者は、地域の安定を維持し、紛争を防止するために、安心供与が不可欠な役割を担っていると十分に認識することが重要である。
米国は、この競争における支配的な大国として現在優位に立っているが、それは同時に、この対立を建設的かつ安定的な形に方向付けるためのより大きな責任を負っているということである。ワシントンは競争を管理し続け、公然の紛争にエスカレートしないように、模範を示すことを検討すべきである。一方、台頭する大国である中国も、2国間の緊張を緩和し、より安定した米中関係を促進するために、特に台湾と南シナ海における戦略的抑制を模索すべきである。
2.国内の制約
米中両国の国内の政治的・社会的要因は、安心供与戦略を実施する上で大きな課題となっている。世論、政治的圧力、硬直した制度によって、指導者は、宥和的あるいは弱腰の政策を追求していると認識され、意欲と柔軟性を制限される可能性がある。米国では、2大政党の対立と中国に対する国民の懐疑的な見方が政策転換を妨げる可能性があり、中国では、ナショナリズムと体制の安全への懸念によって、戦略的柔軟性が制限される可能性がある。こうした内部の力学は、戦略的競争において短期的な利益よりも長期的な安定を優先させる努力を難しくしている。
3.指導者のリスクを冒す行動
両国の指導者は、国内の政治的な考慮に基づきリスクを冒す行動に出る可能性があり、このことは、誤算や意図しないエスカレーションの可能性を著しく高める。貿易戦争、挑発的な軍事行動、対立的なレトリック、係争地域における一方的な行動(特に台湾に関して)は、緊張を高め、対話の可能性を損なう。こうした行動は、相互信頼を損ない、壊滅的な結果をもたらし得る危機を高める危険な賭けである。
しかし、トランプ大統領も習近平国家主席も、大胆な決断ができる強い指導者であるという見方もある。米中間の大胆な合意は、21世紀の戦略的競争の管理に向けた、新たな平和的枠組みを提供する可能性がある。このようなアプローチを実行できるかどうかは、両国の最高指導者間の建設的かつ持続的な外交的関与に大きく依存する。この文脈において、安心供与は外交対話を促進するための重要な出発点となり得る。
結論として、これらの課題を認識することによって、米中の政策立案者はリスクを軽減し、安心供与措置の有効性を高めるための戦略的アプローチを策定することができる。しかし、これらの課題を克服するには、双方の政治的意志、戦略的ビジョン、外交的英知が必要である。これらの障害に立ち向かうことによってのみ、両国は戦略的競争に責任をもって対処し、世界の安定を維持することができるのである。
注記
〔1〕本報告書は、北東アジアにおける予防外交、安心供与、紛争管理、協力に関連する事項に対処する目的で設立された戸田研究クラスターシリーズの最初の報告書である。本報告書は、「米中の安心供与」に関する戸田研究クラスター(TRC)の議長であるカイ・ヘによって執筆されたものであり、同クラスターは、議長のほかカーラ・フリーマン、パク・ジュンヨン、周波の3名で構成されている。TRCは、2024年から2025年にかけて、オンライン会議が2回、東京でのワークショップが1回、戸田記念国際平和研究所の主催でチャタムハウス・ルールのもとで開催された。本報告書は、議長であるカイ・ヘによって導き出された結論を反映したものであり、必ずしも個々の参加者の見解を代表するものではない。
〔2〕「インド共和国政府と中華人民共和国政府との間の印中国境の実効支配線に沿った地域の軍事分野での信頼醸成措置に関する協定」、ニューデリー、1996年11月29日、第6条を参照。https://www.mea.gov.in/Portal/LegalTreatiesDoc/CH96B1124.pdf。
著者
カイ・ヘ(Kai He)は、オーストラリア・グリフィス大学政治・国際関係学部の国際関係学教授。これまでに米国平和研究所(USIP)のノンレジデント上級研究員(2022年~2023年)、オーストラリア研究会議(Australian Research Council,
ARC)のフューチャー・フェロー(2017年~2020年)、プリンストン・ハーバード・中国国際関係研究プログラムのポスドク・フェロー(2009年~2010年)を務めた。
短編書シリーズ「Cambridge Elements in Indo-Pacific Security」(ケンブリッジ大学出版)の共編者であり、7冊の本の著者・共著者、および8冊の編者・共編者である。主な著作に、「After
Hedging: Hard Choices for the Indo-Pacific States between the US and China」 (co-authored with Huiyun Feng, Cambridge
Elements in IR, 2023)、「Contesting Revisionism: China, the United States, and Transformation of International
Order」 (co-authored with Steve Chan, Huiyun Feng, Weixing Hu, Oxford, 2021)、「China’s Crisis Behavior: Political Survival
and Foreign Policy」 (Cambridge, 2016)、「International Organizations and Peaceful Change in World Politics」 (co-edited
with T.V. Paul and Anders Wivel, Cambridge, 2025)がある。「The Upside of U.S.-Chinese Strategic Competition: Institutional
Balancing and Order Transition in the Asia Pacific」 (co-authored with Huiyun Feng, Cambridge University Press,
2025)は、近日出版予定。