Contemporary Peace Research and Practice オリバー・リッチモンド | 2021年10月04日
平和紛争研究が重要であり続ける理由 第2部
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第2部: 平和紛争研究の移行後に向けた準備をめぐる考察
さて、現在われわれが経験していると思われる体制移行の後、平和紛争研究(PCS)には次に何が起こるだろうか? 第1部で挙げた肯定的な側面にもかかわらず、また、過去には新たな戦争が迫りつつある時期に荒野の唯一の声であったにもかかわらず、PCSは、昨今起こりつつあるこの局面の多くを予見することができなかった(いくつかの優れた例外はあるが)。その理由の一部は、平和紛争研究が再び政策主導型になり、余りにも狭いものになったこと、政治史的プロセスの深い知識から注意がそれ、プロパガンダ主導の社会ダーウィン主義復活に気付かなかったこと、そして、最近になって初めて日常的体験や非西洋的体験に目を向けるようになったことである。国連平和維持活動がいまなお反植民地主義的要求に対する有効な回答であるとか、リベラルな平和構築がソ連崩壊から生じた紛争を凍結するためにいまなお有効であるとか想像するのは短絡的であり、深さの欠如、背景に対する浅い理解、グローバルノースの利害に基づく自己中心的な関心を示すものである。
これは、グローバルノースが自らの世界的野心を支える平和研究にのみ関心を抱き(そのようなダイナミクスは、西側の一部と東側で平和が反体制的で信用ならないものと見なされていた冷戦時代の大半で見られた)、幅広い声を仲立ちするプラットフォームの役割を果たす平和研究には目を向けないという立場に似ている。このことは、科学的知見と、それ以上に正当性、正義、紛争後の持続可能性に対する境界を越えた理解から生まれる政治倫理を背景に考えなければならない。後者の多元的で規範的な関与として、一部の学術研究を挙げることができる。前者の権力に基づく制度的かつ国家レベルの枠組みは、研究者たちが代償を払って無視している。PCSは、プラットフォームとして限界があったが、その限界に対する取り組みもなされている(ハイブリッドな政治秩序、日常的平和、フェミニスト的・脱植民地的見直し、および権力に関する研究、さらには、学際研究の広がり、マルチメソッド・アプローチの発展、グローバルノース以外の出身の研究者による貢献の拡大など)。
結局、われわれの研究領域の一部が過度に経験主義的かつ無政治的な研究へと後退し、手法の政治倫理的欠陥を示唆するものとなるリスクはありながらも、17世紀の(300年前にさかのぼる)カントの業績を反映し、ただし、それよりはるかに多元的方法論に基づく新たな研究の可能性も存在する。平和の理論に関する次のブレークスルーや世界を変える学術研究は、おそらくグローバルサウスから現れるだろう。なぜなら、そのような背景において現行のアプローチでは対処したことのない戦争や暴力の規模は膨大だからである。グローバルノースの研究成果は最盛期を迎えたが、自身の視点を超えて暴力に取り組むことはできていない。
いまや、現代の問題に取り組むためには、暴力に対する理解の絶え間ない進化とそれに呼応する平和、正義、持続可能性に向けた対応をするという観点から、国際システムが再び崩壊する前に、対策を国際平和体制(IPA)全体に組み込む必要がある。これまでのところ、限定的な対策しか講じられていない。これが次回の切り札にならないことを確認しておこう(19世紀と20世紀の帝国主義戦争、全面戦争、核戦争を阻止しようとした前回の試みのように)。PCSは、非常に膨大な知的資源を提供して、IPAの新たな局面を支えることができる。それは、国連の持続可能な平和のアジェンダをより良くし、さらに人種、階層、ジェンダー間の不平等の問題にも取り組み、持続可能性とジョン・ドライデン(2019)が「惑星的正義(planetary justice)」と呼んだもの(平和をより明確に、社会、分配、歴史、環境面における正義と関連付けるもの)に議論を結び付ける必要がある。それは、領土国家や準帝国、西側およびグローバルノースの利益、そして、いまや「啓蒙」を覆しかねない(ピンカーの逆)それらの幾重もの「囲い」から引き離す必要がある。次の歴史的局面にグローバルな正義を伴う平和を実現するためには、歴史的正義と再分配システムが国際システム全体にわたって実施される必要がある(ケインズが20世紀の全面戦争から学んだが、戦勝国によって悲劇的にも拒絶された教訓)。PCSは、こういった研究すべてをつなぎ合わせるために、より優れた仕事をすることができる。
この新たな時代、PCSは良好な立場にあり、いまやいくつかの学問領域の中心に位置し、より多くの政策決定者に受入れられ、これまで以上に多くの多元論者に受け入れられている。政策主導のアジェンダへの取り組みと市民社会のアジェンダへの重点のバランスを取り、それらが横断的に国境を超えて実施されるようにするべきである。PCSは、公式、非公式、あるいは多国間にまたがる地域および世界のアクターのネットワークと連携するべきであり、そこには公式の国家制度を超えたもうひとつの「国際」が立ち現れつつある。しかし、PCSは、学術的独立性から離れるという誘惑に駆られるべきではない。それは、まさにわれわれ皆が働いている国家や制度によって損なわれつつある(ただし、私個人は、その大部分に従うことを拒否しており、それはおそらく自身にとって多少の代償を伴う)。平和知識の長期的信頼性は、その真実性と倫理的意図によって決まる。一方、この世界では、権力が搾取し、国家、帝国、階級制度を確立し、さまざまな形のプロパガンダによってそれらを巧みに偽装し、人々を持続不可能で制約された合理性に追い込んできた。相手はありえないほど手強く思える。平和の概念と実践は、この戦いに幾度も挑み、悲劇的な勝利を収めてきた。政策アジェンダに対して無批判に取り組み、あるいは些末な問題に集中し、民族政治的合意理性から切り離されたデータを収集するような方法論的習慣は、私の意見では、もはや立ち行かなくなっている。
過去になされた研究と比較すると、われわれは、国際戦争、内戦、軍縮、核兵器、和平ツール、人権の問題、そしていまや新たな形の暴力(特に、都市紛争、デジタルダイナミクス)など、PCSのアジェンダの多くについてはるかに深く理解している。この成果を、新たに生まれたグローバルな平和体制に結び付ける必要がある。われわれは、もっと堂々と自らの知見をより広いコンテクストに適用する必要があり、制度、組織、国家によって、さらにはデジタル世界において、それらの知見が軽視され、誤解される(または都合よく利用される)ことのないようにする必要がある。
オリバー・リッチモンドは、国際関係学、平和、および紛争研究の分野で主導的役割を果たす研究者である。世界数カ所の紛争影響地域において、国連をはじめとする国際組織や市民社会組織と協力を行っている。また、東ティモール、スリランカ、キプロス、ボスニア、コソボ、コロンビアで、地方、国、国際レベルの平和構築問題に関するフィールドワークを行っている。