Contemporary Peace Research and Practice オリバー・リッチモンド  |  2021年10月03日

平和紛争研究が重要であり続ける理由 第1部

Image:  Mural by Peter Lorenz, East Side Gallery, Berlin/Shutterstock

第1部: 体制移行(あるいは体制後退)期における平和紛争研究

 地政学的にも環境的にも、そして認識論的な意味においても世界の地殻変動が起きている。紛争指標と関連データは、全領域にわたって赤く点滅している。おそろしく自己中心的で欧州中心的なジャーナリスティックな分析では、暴力は恒久的に減少したとされているが、そうではない。19世紀と20世紀に生まれた世界秩序は、幾度かの失敗の後、再び崩壊しつつあり、それまでは周辺で「許容」されてきた暴力が、(ウォーラーステインの概念を借りるなら)中核へと移行し、また、新たな形を取りつつある。帝国主義や国家主義的な資本主義の搾取的かつ略奪的な時代は、1989年以降の自由主義的な平和によってやわらげられたが、この新たな時代に新たな枠組みに向けて移行しつつあるようだ。しかし、それは平和にとって何を意味するのだろうか?

 実証的データを見ると、19世紀の帝国主義が20世紀の地政学および国家主義と重なり合い、新たな権力技術によってアップデートされた“デジタル”な再発明の出現を示している。このいわゆる「多極化」は、世界中で放棄され、凍結され、行き詰まり、阻止された和平プロセスと紛争、中東の「和平協定」をめぐる二枚舌、平和維持と平和構築の枠組みにロシアと中国が概念的にも実質的にも介入しようとする試みを説明する一助となるだろう。戦後数十年における和平プロセスは、いずれもその後ろ盾を失い、あるいは援助の弱体化に苦しみ、消滅しつつある(キプロス、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、カンボジア、スリランカに見られるように)。これは、古い確証や少なくとも合理的な妥協が失われつつある危険な瞬間であり、対立が歯止めが効かない状態で再出現し、古い支配のレトリックが、空洞化した国内・国際・多国間システムにおける正当な政治的言説の二枚舌として復活してきているのである。

 残念なことに歴史を見ると、このような状況においては、再生や刷新が生じうる前に大きな戦争が起こる傾向がある。今こそ、これらの復活した新たな紛争のダイナミクスに対処するための平和システムが緊急に必要であり、できれば別のシステム戦争が終わった後でないことを願う。どのような研究領域が、この任務を担うことができるのだろうか?

 英文学と古典文明、そして政治学と国際関係学を学んだ私が、平和紛争研究(PCS)に関心を抱いたのは、この研究分野が、その時代の政治学における多くの研究や政策策定に基本的真理を与えてくれるように思われたからである。ミトラニーやバートンの著作は、彼らの世代やそれ以降の多くの理論家のなかでも特に興味深かった。彼らの理論を学ぶと、冷戦期の政治分析は視点が短期的であり、見当違いであり、米国や保守派の権力、利益、持続不可能なやり方といった概念を補足するものであると感じられた(言い方を換えれば、しばしば責任を逃れるためにイデオロギーや外交政策を対象に入れた「エセ」政治分析とも言える)。きわめて重要な業績は、他分野からもたらされる、あるいは他分野に移行する傾向があり、1950~60年代の平和紛争研究もそうだった。要するに、国際関係学の理論的枠組みは時代遅れで、帝国主義が盛んだった19世紀にむしろふさわしいものだった。一方、平和紛争研究の開放性と倫理的な裏付け(非暴力、積極的な多元性、発言権の拡大、積極的な平等、幅広い持続可能性への理解と関連)は、建設的かつ前向きな認識論の新たな様態を見いだし始めるのに役立った。平和紛争研究は、暴力禁止に至った歴史的過程に対する知見を提供し、和平の文化とプロセスを理論化し、多くの場合弱く最も無力な人々がいかに和平プロセスを理知的に主導し、社会のために尽力したかを明らかにした。それによってわれわれは、戦争と暴力に対処するために法と共感に基づいた多国間枠組みがいかにして生まれたか、それに基づいて、学識者、政策立案者、活動家らがグローバルな認識論的枠組みを構築するためにいかにして国際横断的ネットワークを拡大することができ、それが暴力を大幅に減らし、人権を向上させたかを理解することができた。

 そのような思考を養い、機会が生じたとき(たとえば1940年代や1990年代)にはいつでもそれを権力の回廊に適用する能力は、国際政治や国内政治が、勢力均衡、帝国主義、国家主義、冷戦、核の政治をめぐる失敗、悲劇、修羅場を超えて先に進むためにある程度役に立った。F・H・ヒンズリーが1960年代に指摘したように、平和思想は常に他の思想の300年先を行っており(カントとキッシンジャーの対比を考えてみよう)、その時間的ギャップは、悲劇的にも戦争や信じられないような差別的、帝国主義的、国家主義的、ファシズム的な野望によって埋め尽くされた。現在、PCSは、権力に向かって真実を述べる能力を一時的に失っているように見える。しかし、新たな機会が現れれば、その力を発揮することができると期待する。

 平和紛争研究(PCS)は、人類にとって非常に大きな功績となったものへの窓を開いた。多くの歴史的な戦争への回答に通底し、これらを仲立ちしてきた国際平和体制(international peace architecture: IPA)である。これらには、勢力均衡、カントの恒久平和、そして、平等、反植民地主義、人権志向の外交政策、多国間主義に関するある種のマルクス主義的主張、仲裁への多大な社会的関与、さらには、ジェンダーから原住民の権利、環境主義、真実告知、平和的かつ持続可能な国際政治経済まで、多くの重要な分野における人権向上のために尽力するインフォーマルな政治機関や民間機関のグローバルネットワークなどがある。PCSは、全体的な、そして歴史的なIPAを安定させる多分野横断的試みを支え、また、未対応の新たな紛争要因が浮上した際にはそれを増強するため、芸術から人類学まで幅広いプラットフォームを提供している。

 だからこそ、漸進的な暴力削減に向けた近頃の貢献に(スティーブ・ピンカー風に)祝うべきものがあると言えるだろう。しかし、IPAは、きわめて脆弱でもあり、ほとんど理解されておらず、いまや保守勢力の「反革命的」攻撃にさらされている。それらの勢力は、国家、イデオロギー、国家主義に基づく偏狭な見通しのまわりに集まり、技術革新、搾取、社会ダーウィン主義的な不平等正当化につながりを持っている。事実、戦争と暴力の合理性と技術は現在急速に進化している。現在カブール(あるいは、シリア、ミャンマー、イエメンなど、他の多くの紛争影響国)の女性市民団体にいる人が、平和に対して楽観的になることなどできないだろう。グローバルノースの多くも、現在のボロボロになった国際政治システムの不吉な欠陥による影響を受けている。そして、戦争、内乱鎮圧、国家構築などの失敗が壊滅的な結果をもたらした後になってやっとそれに気づくという罪を、歴史上何度も犯している。

 このような反革命的時代において、より伝統的な様相を帯びた保守的な政治経済勢力の支援を受けた、悪質な、多くの場合はデジタルのプロパガンダ/メディアによって、寡頭政治、家父長制度、独裁体制的枠組みを再建しようとする動きが促進されている。デジタル技術は、IPAが成し遂げた多くのことを覆し(すなわち、世界中で人権の向上に異議を唱え)、民主主義を貶めることによって人権よりも地政学的権力と経済力を拡張し、解放ではなく権力の利益のために紛争影響地域や発展途上地域の治安を維持するために利用されている。予想通り、権力掌握争いと科学的知識の否定によって行きつく先はひとつしかない。ありきたりの言葉を使えば、バック・トゥ・ザ・フューチャーである。残念なことに国連安全保障理事会に属する数カ国がその道を進んでおり、他の国々は愚かにもその道を地ならししている(あるいは、彼らの後に続いている。それをどのように見なすかは人それぞれだろうが)。そして、いっそう悪いことに、民主主義が確立した国の人々が、そのような反科学的な後退に賛成票を投じるよう吹き込まれている(おそらく自国が戦争に走りがちな歴史と傾向を持っていることを忘れたのだろう)。

 言うまでもなく、われわれはかつて同じ場所にいた。かつて平和システムが崩壊した時、その後に続いたのはシステム戦争と地域戦争であり、さらにその後に平和体制の革新が起こった。多くの前進がなされたが、しかし、この力学は変わっていない。グローバルな階層構造を再構築しようとする試みにより、特定の和平プロセスがターゲットにされている。たとえば、ブレグジット(英国のEU離脱)や北アイルランドをめぐる聖金曜日協定、直近ではアフガニスタン情勢、また、前米国大統領による怪しげな中東和平合意、さらにはキプロスやバルカン諸国などにおける他の多くの凍結された紛争や和平プロセスなどである。これが、グローバル市民社会の正当性と多国間システム、さらには人権と民主主義を弱体化させているのである。

オリバー・リッチモンドは、国際関係学、平和、および紛争研究の分野で主導的役割を果たす研究者である。世界数カ所の紛争影響地域において、国連をはじめとする国際組織や市民社会組織と協力を行っている。また、東ティモール、スリランカ、キプロス、ボスニア、コソボ、コロンビアで、地方、国、国際レベルの平和構築問題に関するフィールドワークを行っている。