Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラメッシュ・タクール | 2022年01月31日
ウクライナ危機はパワーシフトの時代の地政学的な断層を映し出す
Image: Tomasz Makowski/Shutterstock
※本記事は、2022年1月28日に「The Strategist」に掲載されたものです。
あらゆる大国は、外交政策を貫く組織原則を必要とする。大国は歴史の潮流の中で盛衰するもので、繁栄が永遠に続く国もなければ、永遠に衰退し続ける国もない。ある大国の退潮が恒久的な衰退の始まりなのか、それとも単に一時的な後退なのかを確実に判断する方法はない。パワー移行期における地政学的な断層は、相対する大国の誤算に根差した戦争を引き起こす重大なリスクを孕んでいる。いま述べたことは、全て批判の余地のないことだが、この真理をいかなる出来事や領域にも適用することは、なかなか難しいことである。
今回の危機は、ウクライナを巡るロシアとNATO(北大西洋条約機構)間の緊張であり、これが中国と台湾問題に波及してくる可能性もある。西側諸国は、ウクライナや台湾の運命を、対ロシア・中国関係の組織原則としたいのだろうか。ウクライナ・台湾との政策を策定し、それに従ってロシア・中国との関係を構築していこうという感情的な思いに駆られることがあるかもしれない。しかし現実主義に立てば、まずロシア・中国との政策を策定し、その戦略的な枠組みの中で現在および潜在的な危機に対応していくべきである。
オーストラリアのギャレス・エバンス元外相は、政治回顧録『Incorrigible Optimist(仮訳:頑固な楽観主義者)』で、米国のビル・クリントン元大統領が2002年に私的な会合の中で、冷戦終結後に米国は厳しい選択に直面したと語った、と記している。米国は永遠に「最高権力者」の位置に留まろうと努力することもできるし、「もはや世界のブロックにおける最高権力者の地位にない状況でも安心して暮らせるような世界を作り出す」ために、その支配的なパワーを利用することもできる、というのである。1999年のコソボ介入でクリントン政権がそうしたように、米国の歴代政権が採ってきたのは第1の選択肢の方であった。
現在の危機の根原は、ロシアが2014年にクリミア半島を併合したことにある。ジョン・ケリーは2014年3月、「21世紀においては『完全に捏造した口実』で他国に侵攻することはできない」と宣言した。しかしそれは、同じく21世紀の出来事だった米国のイラク侵攻から11年後の事である。この米国務長官が自身の発言の持つ皮肉と偽善を自覚していなかったのは驚きだが、そのことはロシアだけではなく米国でも当時から指摘されていた。
米国の外交当局は、冷戦後のロシアが一時的に後退している大国なのか、それとも恒久的に衰退の一途をたどっているのかを判断しなくてはならなかった。コソボやその他で起こった出来事は、後者の見方への信念を裏切った。ウラジーミル・プーチン大統領の言動は、ロシアの後退を断固阻止するという信念に裏づけられているようだ。冷戦終結後に影響力を増した米国の外交エリートたちは、対等な相手として必ずしも受入れないまでも、ロシアの利害と感情を理解しようともしなかったために、ロシアに対処する経験や分析枠組みを喪失してしまったのである。そのために、親ロシアだが選挙で選ばれたウクライナの大統領を2014年に失脚させ、従順な反ロシア派を据える陰謀に積極的に関与するという、決定的な判断ミスを犯すことになったのである。
ビクトリア・ヌーランド米国務次官補による悪名高い「EUなんかクソ食らえ」発言を覚えているだろうか。2014年1月28日、ヌーランドはジェフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との同じ電話のなかで、ウクライナの反体制派指導者アルセニー・ヤツェニュクは「支援すべき男」であると発言しており、米国がウクライナ内政に「かなり深く食い込んでいることを白日の下に晒した」(「ワシントン・ポスト」の報道による)。ヤツェニュクは2014年から2016年まで正規にウクライナ首相を務めた。ヌーランドはジョー・バイデン政権の国務次官(政治問題担当)を務めている。米政府の誰も、彼女の指名をプーチンがどう受け止めるかを立ち止まって考えることをしなかったのだろうか。
ロシアがウクライナに対して強い関心を寄せるのには、言語・民族・歴史・ナショナルアイデンティティー・地政学に深く根差した理由がある。対照的に、米国側の関心は一時的で距離の遠いものであり、あくまで選択的に付け加えられたものにすぎない。クリミア半島にはここを本拠とするロシア黒海艦隊が常駐しており、海を通じて黒海沿岸諸国や中東へのアクセス拠点であることから、ロシアにとってクリミア半島を失うことは存亡の危機となる。クリミア住民投票の法的な正当性は疑わしいものだが、正しく住民投票を行ったところで、結果は同じようものであったであろうことは、疑いの余地はほとんどない。クリミアにおけるロシアの行動に対してコソボの前例のような事態が起きることをNATOは拒絶した。「われわれは1999年をよく覚えている」とプーチン大統領は2014年3月にロシア議会の両院合同会議で演説したが、NATOの拒絶はロシアには不誠実に映った。クリミア半島はエカテリーナ大帝の治世以来ロシアの一部であった。1990年代にNATOがバルカン半島で用いたロジックでいえば、ロシアとの再統合を望むクリミアに対してウクライナが抵抗するなら、NATOはキエフを爆撃して言うことを聞かせる必要があるということになるからだ。
バイデンのアフガン撤退をめぐる大失敗と、ロシアによるウクライナへの「小規模な侵攻」発言を巡る外交失策を目の当たりにして、私は、一瞬だけだが、引退を撤回して『ホワイトハウスの頂上に白旗がはためく』という仮題の本でも書こうかという誘惑に駆られた。しかし、ウクライナを巡る米国の無能は、米国の真の力を反映したものでも、死活的な利益が危機に晒された際に米国が行動を起こす意思やその真価を反映したものでもなかった。より深刻な問題は、アフガン撤退を巡るほぼ一致した厳しい批判と、「バイデンは与しやすい大統領だ」という評判がますます強まることで、彼が外交的妥協を取る余地が狭まって、厳しい軍事的反応を示さざるを得なくなっているのではないか、ということだ。
このため、自由な社会の価値観という、最後に残された核心的な利益が危機に瀕している。米国は「戦争疲れ」でハードパワーを展開する決意が弱まっていることに加えて、ソフトパワーもまた、その内部から損なわれつつある。どの国にも後ろ暗い過去はあるものだが、人類の福祉全体に対する西側社会の貢献には比類なきものがある。にもかかわらず、西側社会は、自己嫌悪と激しく分極化した文化戦争、政治の機能不全、漂流する道徳問題で揺れてきた。プーチンですら、西側の「キャンセル・カルチャー」や「ウオゥク(Woke=覚醒)・イデオロギー」――攻撃的に歴史を見直そうとする動きや、マイノリティの利益の特権化、ジェンダーアイデンティティーの曖昧化、伝統的な家族像の解体――などは、1917年のロシア革命以後のボルシェビキによる苛烈な抑圧と同調主義を彷彿とさせるものだ、と警告しているのである。
他方で、インド太平洋地域では、止めようもないグローバルなルール違反者としての中国が真の脅威なのではない。もしパワーシフトが順調に進むのなら(もちろんそれは確実ではないが)、より大きな脅威は、中国がルールを策定し、解釈し、執行する支配的な立場に立つかもしれないということである。これは、過去数世紀にわたって西側諸国が享受してきた役割である。中国当局は、一流の大国は、国際法を用いて他国にそれを順守するよう強いるが、自らの行動に対する法的規制は否定するという教訓を学んでいる。中国の行動を導いているものは、ロシアに対する米国の弱さというよりも、米国が最高権力者であった時代の行動ぶりに関する記憶なのである。西側は、中国的特徴を持ったルールに基づくグローバル秩序に心理的に適応することができるだろうか。
ラメッシュ・タクールは、国連事務次長補を努め、現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長を務める。近著に「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」 (ルートレッジ社、2022年)がある。