Cooperative Security, Arms Control and Disarmament 文正仁(ムン・ジョンイン) | 2022年03月12日
回避できたはずのウクライナの悲劇
Image: Irpin, Ukraine, 9 March 2022 / Shutterstock
この記事は、2022年3月7日に「ハンギョレ」に初出掲載され、許可を得て再掲載したものです。
ウクライナで起きたことにはさまざまな見解があるだろうが、突き詰めて考えれば、最も重要なそして悲劇的な事実は、このすべての破壊は回避できたはずだということである。
2月24日、ロシアはついにウクライナに侵攻した。それにより、ロシア軍は演習を行っているだけであり侵攻はしないというウラジーミル・プーチン大統領の主張が嘘と判明した。
ロシアの野蛮な行動は、国際法と世界秩序を傷つけ、同時にウクライナの領土と主権、そして欧州の平和を踏みにじるものである。
ウクライナの強固な抵抗と国際社会からの反発や懲罰に直面し、プーチンは核戦力を警戒態勢に置くことによって対抗した。ウクライナの悲劇は、地政学とは本質的に弱肉強食の無政府状態であることを示している。
この戦争の一番の原因は、冷血な独裁者の軍事的冒険主義と被害者意識である。ロシアの政治体制がプーチンに民主的な歯止めをかけられなかったことも、もうひとつの要因である。
しかし、米国と西側にはまったく責任がないといえるのだろうか?
ヘンリー・キッシンジャーからジョージ・ケナンまで、対ソ封じ込め政策の立案者であった米国を代表する現実主義者たちは、ロシアの勢力範囲を認めることによって地域の平和と安定を保証することができると主張していた。
2008年、ブカレストで行われたNATO首脳会議で米国のジョージ・W・ブッシュ大統領が公式にジョージアとウクライナのNATO加盟を推したとき、キッシンジャーは、これら2カ国をNATOに加盟させるのではなく中立のままにするべきだと主張した。ロシアがNATOの東方拡大を現状変更の兆しと見なすことを、キッシンジャーは懸念したのである。
ウクライナ侵攻1カ月前の1月19日、米国の時事問題専門誌「フォーリン・ポリシー」に、ハーバード大学のスティーブン・ウォルト教授による「自由主義の幻想がウクライナ危機をもたらした」と題する論説が掲載された。その中でウォルトは、米国と西側のイデオロギーに基づく積極的な外交政策がロシアを挑発してウクライナ侵攻を誘発する恐れがあると予測し、その予測は的中してしまった。
NATOが東方拡大するのは安全保障上の理由とされたが、実際には自由と民主主義の思想を広めることを目指すものだったと、ウォルトは言う。教授によれば、そのような動きはロシアを孤立させ、自身の支配を脅かすものになりかねないとプーチンが考え、強硬な軍事的措置によって対応することは、予想に難くなかった。
しかし、「勢力範囲」の政治が今回の危機の必要条件だったのに対し、ウクライナの国内政治は十分条件だった。今日のウクライナは、大国による分割統治戦術の産物である。
ウクライナが1922年にソビエト連邦に吸収されて以来、国内には二つの異なる集団が併存してきた。西の方には、ウクライナ語を話し、欧州人としてのアイデンティティーを好む多数派のカトリック教徒がいる。東の方には、ロシア語を話し、スラブ民族としてのアイデンティティーを強調する少数派のロシア正教徒が暮らしている。この二つの異質な集団間の対立と分断が、外国勢力による介入の口実となった。
突き詰めて言えば、今回の介入は2014年の危機の延長線上にある。欧州との結束を重視するウクライナ人たちが、市民運動「ユーロマイダン」の蜂起によって親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領を追放したとき、ロシアは反撃してクリミアを併合した。
今回の侵攻も、同じような経緯で展開している。ウクライナ政府は、NATO加盟の条件を満たすためにドンバス地方の親ロシア派反政府勢力を追放しようと躍起になっていた。一方、ロシアは、反政府勢力を保護するという口実の下に軍事介入という過激な対応を取った。ロシアが今回の侵攻を開始する直前、ドンバス地方のドネツクとルハンスクで分離派を後ろ盾にした政府の独立を承認したのも、同じような理由からである。
しかし、火種に火をつけたのは指導者たちの誤算である。プーチンの常軌を逸した侵攻の決定だけではない。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領の初期対応もそうである。
ゼレンスキーは2019年に、平和をもたらし腐敗と戦うことを掲げて大統領に選出された。ロシアの侵攻の後、ゼレンスキーは軍隊や国民とともに団結して抵抗し、国際社会への積極的な外交を展開して、国内外から広い支持を受けている。
しかし、感情はさておき、ゼレンスキーは危機管理と戦争回避に失敗した。彼は、支持者に対してはNATO加盟をちらつかせ、ロシアに対しては中立を約束し、西側に対しては核武装を訴えるという、矛盾するメッセージを発信して危機を悪化させた。その一方、外部の世界に対しては侵攻が迫っていると訴えて軍事支援を求め、ウクライナ国民に対しては侵攻の可能性はほとんどないので冷静を保つようにと呼びかけるなど、矛盾したレトリックで危機を複雑化させた。
ゼレンスキーが米国とNATOから軍事支援を受けられるかもしれないと甘い考えで期待したことも、巻き込まれるリスクへの両者の懸念を考えると、もうひとつの間違いだったといえる。
ロシアのウクライナ侵攻については、人によってさまざまな見解があるだろう。しかし、米国と西側がロシアの勢力範囲の現状を変更することに対してもっと慎重だったら、ウクライナの国内政治がもっと結束していたら、そして、ウクライナの大統領がもっと危機管理に長けていたら、この悲劇は回避できていただろう。
これら三つの要因は、ウクライナ戦争がもたらす重大な教訓であり、われわれが細心の注意を向けるべき教訓である。
文正仁(ムン・ジョンイン)は世宗研究所理事長。戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会メンバーでもある。