Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ハルバート・ウルフ | 2025年04月05日
スマート・パワーから愚かなパワーへの転換
ドナルド・トランプは選挙には強いかもしれないが、政権発足後の数カ月における彼の政策は、混乱に満ちた非合理的な決定がその特徴といえる。ヒラリー・クリントン元国務長官によれば、「危険で愚かな」ものであった。
3月末、トランプ政権幹部が機密扱いとされるべき戦争計画を「シグナル」のチャットで話し合い、そのグループに誤ってジャーナリストを加えるという大失態を犯した直後、クリントンは、ニューヨーク・タイムズ紙でトランプの政策の不誠実だけでなく、その愚かさを批判した。彼女自身は、「スマート・パワー」の活用を主張してきた。「ソフト・パワー」「ハード・パワー」「スマート・パワー」という言葉は国際政治学で用いられ、政府がさまざまな形で影響力を行使するための手段、特に外交政策ツールを指す。
「どこまで愚かになるのか?」
パワーのソフトかつスマートな活用は、クリントンが国務長官を務めた第1期オバマ政権における米国の外交政策の象徴だったと、ニューヨーク・タイムズ紙の記事で彼女は指摘する。トランプ政権の最初の2カ月について、彼女は「どこまで愚かになるのか?」と問う。
著名な米国の政治学者であり、政治家であり、著作家であるジョセフ・ナイがソフト・パワーという概念を提唱したのは、1980年代のことだ。彼はこの用語を、政府が強制力や軍事力によって他国を屈服させるのではなく、友好国や敵対国、パートナーや対立者を取り込む能力を描写するために用いた。ソフト・パワーは、文化交流、国際協力、開発協力、そして共通の価値観の強化に依拠している。インドのナレンドラ・モディ首相が世界にヨガを広めようとするなら、彼はインドのソフト・パワーを用いてインドの人気を高めようとしているといえる。ポップミュージックやハリウッド映画は、その人気ゆえに間違いなく米国のソフト・パワーの顕著な象徴といえる。
米国は、ハード・パワーの行使をほとんどためらったことがない。それが発揮されたのは、朝鮮戦争やベトナム戦争だけではない。ブッシュ政権は、イラク介入によってハード・パワー政策を実践した。冷戦中、欧州諸国は東西ブロックの対立において米国の核兵器による抑止の恩恵を被っていたかもしれないが、グローバルサウスの多くの国々は米国のハード・パワーになすすべもなくさらされることがしばしばであった。中南米では米国が支援する軍事クーデターが多発し、国際的な批判が高まったため、より受け入れられる持続可能な外交政策の手段として、特にソフト・パワーの人気を高め、活用するということになったのである。
慈悲深い覇権国とはほど遠く
「スマート・パワー」は、ソフト・パワーよりはるかに遅れて広く知られるようになった。例えば国連は、1990年代初めにイラクに対して「スマート制裁」を導入した。スマート・パワーとは、ソフト・パワーとハード・パワーの組み合わせである。例えばクリントンは、自身の記事の中で臆面もなく、「オバマ政権の国務長官として、私は、軍事力というハード・パワーと、外交・開発援助・経済力・文化的影響力といったソフト・パワーを統合するスマート・パワーを提唱した。これらのツールのいずれも、単独では用をなさない。これらを組み合わせることで、米国は超大国になる。トランプのアプローチはダム・パワー(愚かな力)だ」と書いている。
米国はその歴史を通して、ただ慈悲深いだけの覇権国、グローバル秩序の機能を担保する温厚で無欲な西側のリーダーとはほど遠い存在であった。米国は、友好国をしばしば犠牲にし、あるいは、自ら宣伝する国際的価値やルールをしばしば踏みにじって自国の利益を追求した。時には、自国の利益のためにゲームのルールが変更された。オバマの外交政策は、間違いなくソフト・パワーを最優先し、人権を促進し、国際法の支配を強化し、個人の自由や民主主義や報道の自由といった価値観を促進するための試みだった。しかし同時に、オバマの任期中には、テロリストを追い詰め殺害するためにドローンの運用が拡大された。これらの超法規的な処刑、つまり正当な手続きを経ない恣意的殺人は、国内法と国際人道法に違反するものだった。ヒラリー・クリントンが描写するように、スマート・パワーとは、外交という友好的な顔と米軍のハード・パワーを組み合わせたものだ。従って、それはハード・パワーとソフト・パワーを組み合わせたハイブリッド・アプローチである。
しかし、スマート・パワーの行使は、必ずしも武力や軍隊の使用に頼るものではない。EUが外交イニシアチブを策定し、これらのイニシアチブを世界に広めるために経済的インセンティブと組み合わせる場合や、あるいはトランプの関税政策に対して相互関税で対抗する場合、それもスマート・パワーということができる。中国が多くの国々に対して自己主張的な外交政策と経済援助を組み合わせるのであれば、それもスマート・パワーの一形態といえる。
愚かなパワーの行使は、欠陥ではなく特性
トランプの政策は、従来とは全く異なるアプローチであり、このような一貫した形で見られたものはなかった。現在の米国の政策は、ソフト・パワーやスマート・パワーとは正反対である。間違いなく「愚か」と表現することができる。それは他国に対して、時には自国に対してさえ害を及ぼし、また、結果に対してある意味盲目的であるか、あるいは是認して受け入れてしまう。
米国がカナダを51番目の州として併合することを望むのであれば、当然ながらそれは国際法に反する。米国政府の代表団が招かれもしないのに鳴り物入りでグリーンランドを訪問し、グリーンランドを乗っ取ると脅すのであれば、当然ながらそれは恥知らずで愚かなパワーの行使である。
- 核兵器の安全管理を担う何百人もの職員を解雇するのは、危険であり、愚かである。
- エボラ出血熱やHIV/AIDS対策として効果が実証されている保健プログラムを中止するのは、非人道的であり、愚かである。
- 欧州企業に対し、反差別プログラムを撤廃するトランプの政策を5日以内に実施するよう求める書簡を送るのは、世間知らずであり、愚かである。
- 過去にトランプを批判したからという理由で、判事、科学者、メディアを攻撃し、将官らを罷免するのは、悪意があり、愚かである。
- 信頼できる研究機関の資金を剥奪するのは、自傷行為であり、愚かである。
- シークレットサービスの職員を何千人も解雇するのは、短絡的で、愚かである。
- 大規模に関税を課すのは、世界貿易に害を及ぼし、間違いなく米国経済にも害を及ぼす。このような政策は非合理的であり、愚かである。
ヒラリー・クリントンは、「わが国のソフト・パワーがズタズタにされている」と言う。トランプの政策はこれまでのところ、適切に策定された大戦略のようには見えないかもしれないが、愚かな政策を苛烈な手段によって実施したからといって、望ましい結果が得られないとは限らない。愚かな政策を適用することが、必ずしも失敗を意味するわけではない。
トランプの馬鹿げた大統領令のいくつかは、核兵器の安全管理のように、すぐに修正される可能性がある。他方、グリーンランドへの嫌がらせのようなものは、世界的に有害かつ違法と見なされている。しかし、経済的手段や軍事的手段によって、トランプ政権は、もし大統領がそのつもりなら、グリーンランド国民、デンマーク政府、あるいは欧州の同盟国に対しても自国の主張を押し通す手段を握っている。米軍がパナマ運河の支配に乗り出せば、恐らく数日のうちに掌握できるだろう。
トランプが追求する「愚かな」パワーは、単なる愚かさにとどまらない。彼は、その馬鹿げた政策に経済力も組み合わせている。また、ウクライナの場合のように、脅迫、すなわちハード・パワーの行使もいとわない。保護を提供しないのに保護料を強要するようなものだ。トランプは、新たな戦争を始めることはないと何度も強調しているが、彼のガザ再建計画やイエメンにおけるフーシ派拠点の空爆を見れば、米国の軍事力を行使することや、イスラエルの場合のように軍事支援と武器供与によって、他国に際限なく戦争を継続させることに良心の呵責を覚えることはないのは明らかだ。また、ウクライナの場合のように、支援を撤回し、もしかしたらロシアに対抗する同国に致命的な帰結をもたらす可能性もある。
トランプは今後も、少なくとも米国にとっての黄金時代を瓦礫の上に築くために、破壊の概念を追求し、国内外に確立された関係をズタズタにし続けるのだろうか?彼がこの不穏な道筋をどこまで成功裏に実践することができるかは、とりわけ米国社会と国際社会の両方に生じ得る対抗能力にかかっている。
ハルバート・ウルフは、国際関係学の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)元所長である。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学・開発平和研究所の非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所の研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会の一員でもある。