Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラメッシュ・タクール  |  2021年08月09日

核兵器禁止から核軍縮への道

Image: Shutterstock

 この記事は、2021年8月6日に「The Strategist」に初出掲載されたものです。

 広島と長崎への原爆投下から76年経ち、核兵器を非合法化する国際条約が初めて発効した。先月私は、核兵器禁止条約(正式には、核兵器の禁止に関する条約)に関する論文集を完成させ、出版社に送ったところである。執筆は、学術界、シンクタンク、各国外務省、市民社会から、多くのよく知られた方々に担当していただいた。32の章には、多くのテーマが繰り返し登場する。

 核不拡散条約(NPT)が半世紀にわたって国際安全保障体制の重要な柱であったことを疑う執筆者は一人もいない。NPTが破綻すれば、極めて有害な結果がもたらされるだろう。とはいえ、核軍縮という大義を前進させるうえで、NPTはその潜在力の限界に達してしまったのではないかという疑念が徐々に増大してきた。これは、NPTがその実証済みの強靭さにもかかわらず、かつてない圧力にさらされている理由の一つである。保有国と傘下国が核兵器を手放すつもりがないのなら、非核兵器国は、NPTから離脱することによって何を失うというのか? 恐らく、より切迫した事情として、核武装国の政策に働きかけるために彼らに残された唯一の手段が離脱の脅しではないだろうか?

 戦略的安定性を支えるというNPTの歴史的実績についていかなる意見があろうとも、近年、地政学的緊張の高まり、核兵器の役割の拡大、核兵器と精密通常兵器の境界の曖昧化、さらには核、宇宙、サイバー、AI領域の拡大を背景に、核リスクが増大している。また、冷戦時代の核の二国間対立が、絡み合う核の鎖へと変容し、その一部は核武装する敵対国同士が隣り合う地理的状況において、核武装国間の戦略的安定性を管理する従来的なアプローチの妥当性が低下しており、また、非国家主体によるリスクが増大していることは言うまでもない。

 ノルウェー国際問題研究所のスベレ・ルードガルドが述べるように、「NPTは悲惨な状態にある。核軍縮の面では裏切られ、中東では身動きが取れず、アジアの核武装国にはほとんど無意味になっている」。

 禁止条約の制定を動機づけた重要な要因は、五つの核兵器国がNPT第6条に定める核軍縮義務の履行をかたくなに拒んでいることである。背景にあるこの現実を認識することは、NPTに加盟する非核兵器国の間で苛立ちが高まり、それが徐々に怒りへと変わり、核軍縮アジェンダの主導権を取るという決意へと変わったことを理解するために不可欠である。このように精彩を欠く第6条の履行状況により、NPTは著しく弱体化した。禁止条約の新たな規範的基準は、弱点を是正し、NPTを強化する努力である。

 議論の焦点を安全保障問題としての軍縮から喫緊の人道的懸念へと捉え直すことが、交渉を成功裏に完了させるために重要な役割を果たした。旧来のパラダイムでは、オーストリアの外交官アレクサンダー・クメントが「核抑止ドグマの壁」と呼ぶものを突破することはできないことが証明された。従来的な安全保障論議を人道主義的議論へと捉え直すという重要な前例は、対人地雷を禁止したオタワ協定に見ることができる。オタワ協定に見られる同じように重要な特徴は、市民社会とのパートナーシップという馬車に乗った国家という闘士が、国際会議や首脳会合で良好な成果をもたらすために果たした役割である。

 核兵器禁止条約に対する核兵器廃絶国際キャンペーン、オタワ協定に対する対人地雷禁止国際キャンペーンが、市民社会団体や同じ志を持つ国々の世界的連携を形成するために果たした役割も同様である。それはまた、核をめぐる議論の民主主義的移行を促した。非核兵器国が、国際体制における中心的な民主主義的機関である国連総会を、交渉や採択の拠点と討論場として利用したのである。

 禁止条約は、同盟主導国の核兵器からなる核抑止に基づく安全保障体制に依存してきた非核兵器国に影響を及ぼす。NPTは、多くの国が核軍縮を支持するふりをしつつも、純潔について言い訳をする聖アウグスティヌスのように「しかし、まだです」とばかりに、自国内に核兵器を受け入れ、国家安全保障を核抑止に依存し、同盟国の核の傘下に身を寄せるという根源的欺瞞をカモフラージュしてきた。とはいえ、禁止条約とNPTとの間に法的不一致はない。NPTは、傘下国が核同盟の一員であることと核軍縮へのコミットメントとの間の葛藤をごまかすことを可能にしていた。しかし、禁止条約によって、彼らは真っ向から偽善と向き合うことを余儀なくされる。だからこそ、彼らはあれほど激しく反対したと言えるだろう。それは、自国民に対する不誠実さを映し出す鏡であり、彼らはそれが嫌なのだ。

 核兵器国と傘下国は、効果的に互助グループを形成している。それを利用し、同盟国が核抑止に基づく安全保障を求めていると言うことによって、核兵器保有を正当化しているのである。しかし、禁止条約は決定を強いる。核依存国は、核の傘に身を寄せ続けるつもりか、あるいは非核兵器国らしく振る舞い始めるつもりか? 言い換えれば、禁止条約は、核兵器と核抑止戦略の役割に関する根本的な国内議論を再開させることにより、傘下国に気まずい思いをさせることができるのだ。同時に、元カナダ軍縮大使のポール・メイヤーが言うように、「譬えとしての『核の傘』を閉じるために必要となるのは、傘下に身を寄せる国々に傘の下から出ても安全であることを納得させ、核の傘は保護というより危険であるかもしれないと認識させること」、つまり厄除けではなく核の避雷針になっていると認識させることである。

 元国連軍縮担当上級代表のアンジェラ・ケインは、禁止条約が長年にわたる政治的願望を法的枠組みへと転換させたと主張する。しかし、禁止条約の法的義務を非署名国に適応することはできないため、2021年1月22日の条約発効をもって九つの核武装国による核兵器保有がいきなり非合法になったわけではない。しかし、同様に、国連が認めるプロセスと会議を経て国連で交渉された条約が、核兵器保有や慣行の合法性と正当性に何の意味も持たないという主張も、やはり妥当性を欠く。

 核兵器を保有する非署名国は、自分たちを「法の外」にいると考えているようで、国家、個人、企業に対するインセンティブとディスインセンティブのバランスが再調整されている。南アフリカのウェスタンケープ大学のジョリーン・プレトリウスは、慣行のパターンや期待が進展して禁止条約が国際慣習法として定着すれば、いずれは懲罰的な結果が待ち受けているだろうと言う。

ラメッシュ・タクールは、国連事務次長補を務め、現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長を務める。近著に「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」 (ルートレッジ社、2022年)がある。