Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラケッシュ・スード | 2022年07月06日
核秩序崩壊を防ぐ決め手は核タブー
Image: 'Trinity' explosion at Los Alamos, Alamogordo, New Mexico. July 16, 1945. Photograph taken 9 seconds after the initial Trinity detonation Everett Collection/Shutterstock
本稿は、2022年6月24日(金)に戸田記念国際平和研究所とウィーン軍縮不拡散センター(VCDNP)が、VCDNPにて開催した研究発表会において、ラケッシュ・スード大使が行った発表のテキストです。
今日の核シナリオは、混乱をきたしているようだ。一方では核タブーが維持され、核不拡散条約(NPT)はほとんど普遍的な条約となっており、核兵器備蓄量は冷戦最盛期の4分の1である。しかし、他方では核リスクがかつてないほど高まっているという認識がある。
そのような現在、基本原則、すなわち70年以上前に核秩序の基盤構築を促した認識に立ち返ることが有益だろう。
1945年7月16日に米国が成功させたトリニティ核実験から得られた第1の認識は、この新型兵器の甚大な破壊力であった。きのこ雲を目にしたロバート・オッペンハイマーは、「いまや我は死神なり、世界の破壊者なり」と慨嘆した。翌月、広島と長崎に原爆が投下され、この認識をいっそう強めた。
第2の認識は、いまや他国もまたこの道をたどるのではないかという懸念であった。1946年、この懸念から国家が核兵器を保有することがないよう国際機関に管理を移行することを構想したバルーク・プラン(バーナード・バルークが立案)が提案された。しかし、米国内に意見の相違があり、ソビエト連邦は米国を信用していなかった。1949年にソ連が自前の核爆弾を爆発させると、バルーク・プランは自然消滅した。米国とソ連は、核軍拡競争に乗り出してもなお、核物質とノウハウは制限されなければならないという考えに一致点を見いだしていた。不拡散が共通の目的となり、1968年の核不拡散条約へとつながった。
第3の認識は、核リスクの管理が必要不可欠だということである。それを強く印象付ける出来事が1962年のキューバ・ミサイル危機であり、米国とソ連の指導者は両国が核応酬の瀬戸際まで行ったことを認識したのである。その結果、軍備管理体制と併せて、絶対確実な通信手段、ホットライン、核リスク低減措置が確立された。
これら三つの認識の折り合いをつけることが、冷戦の政治力学によって形成された核秩序の基盤となったのである。二極化した世界において、核の2国間対立が一組、すなわち米国とソ連の2国間対立があり、抑止は2国間ゲームだった。戦略的安定性は核の安定性に還元され、その答えは核軍備管理だった。それが、同盟国を牽制し、第三世界の国々に対して二つの核超大国が「責任をもつ」姿勢であることを保証したのである。
核軍備管理は、「均衡」と「相互脆弱性」という概念を中心に発展した。なぜなら、米国とソ連の核備蓄は、同様の3本柱に基づいていたからである。弾道弾迎撃ミサイル制限(ABM)条約(1972年)は、ミサイル防衛を制限し、それにより相互脆弱性を保証するものだった。一方で、戦略立案者や交渉者が戦略兵器発射装置および弾頭の数量制限に取り組み、それがSALT I及びII(第1次及び第2次戦略兵器制限交渉)、START I及びII(第1次及び第2次戦略兵器削減条約)、そして2010年の新STARTへとつながった。これらの軍備管理措置やソ連崩壊後になされた一方的取り組みにより、米国とロシアを合わせた核弾頭数は、1980年代初には65,000発近くあったが、現在は12,000発を下回り、80%以上削減された。このほか、両国以外の7核武装国が1,300発の核弾頭を保有している。
1995年にNPTが無期限かつ無条件に延長され、不拡散は規範となった。ほぼ全世界が遵守するまでになったが、インド、イスラエル、パキスタン(未加盟国)と北朝鮮(NPTから脱退)の4カ国は条約の外に留まっている。この4カ国はいずれも核武装国であるため、NPTは成功の限界に達したと言える。
最も重要な点は、間一髪の状況があったとはいえ、核タブーが破られていないことである。
今日、このような「タブー」、軍備管理、不拡散からなる核秩序は緊張にさらされている。「タブー」は規範に過ぎず、軍備管理はほころびかけており、NPTはその成功の犠牲者となっている。
根本的に、政治秩序が変化している。抑止は、もはや2国間のゲームではない。核の2国間対立は複数あり(米国・ロシア、米国・中国、インド・中国、インド・パキスタン、米国・北朝鮮)、それらがゆるい鎖でつながり合っている。現代は、ドクトリンと軍備の両面において、均衡ではなく非対称の時代である。「均衡」と「相互脆弱性」なくしては、軍備管理を再定義する必要がある。その一方で、増大する不信感があり、新たな一致分野を定義する大国間の有意義な対話を妨げている。
NPTは拡散を非合法化したが、核兵器を非合法化していない。核兵器の研究開発は継続され、ほとんどの核大国は軍備を近代化し、拡張している。今日、核科学技術は誕生から80年の成熟技術である。「核敷居国」「リードタイム」「ブレークアウト」といった言葉は、NPTの交渉が行われていた頃は存在していなかった。5年ごとの再検討会議のたびに、特に1995年以降、NPTに内在する政治的課題が浮上している。
最後に、技術は立ち止まらない。ミサイル防衛、サイバー・宇宙技術、極超音速などのデュアルユースシステム、通常兵器のグローバル精密攻撃能力の開発により、通常兵器と核兵器の間の境界線が曖昧になっている。これが核のもつれを生み出しており、透明性とガードレールがない状況では、故意、不注意、偶発、または判断の誤りにより核兵器が使用されるリスクを高める。グローバル・テロの出現とともに新たな脅威が浮上し、核安全保障の重要性を浮き彫りにしている。
ウクライナにおける紛争は、増大する核リスクを際立たせている。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は繰り返し核レトリックを弄しており、ロシアの戦力を「特別警戒態勢」に置き、その後は「予測不能な結果」を警告した。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、ウクライナが1994年のブダペスト覚書に署名して自発的に領内の核兵器を放棄していなかったら、ロシアは侵攻していなかったはずだと不満を述べた。そのような発言は、核兵器の顕著な特徴を浮き彫りにしている。軍事力が上回る敵対国に脅威を感じている国々にとって、核兵器は究極の安全保証手段なのだ。それは同時に、核抑止力を持つ国が核兵器を持たない小国を侵略できるということを意味する。NATO加盟国は何十億ドルもの武器供与を行っているが、NATOは、ウクライナに派兵することもできず、核武装国ロシアとの直接紛争に発展しかねない「飛行禁止区域」の設定もできずにいる。
核秩序の基盤は、核軍備管理、核不拡散、核タブーであった。今日、旧来の核軍備管理モデルはほとんど効力を失い、新たな一致点に到達する可能性はありそうもない。不拡散は、新たに見いだされた核兵器の魅力を前に試練にさらされている。非核兵器国は原子力潜水艦の取得を積極的に検討しており、それがNPTをめぐる議論にさらなる緊張をもたらす。「核タブー」は、そもそも規範に過ぎず、現在はロシア、そして近年では米国、北朝鮮、インド、パキスタンの指導者が核レトリックをエスカレートさせるなかで力を失いつつある。
しかし、旧来の認識はまだ生きている。核兵器は、依然として人類に対する実存的脅威である。理想的世界においては、軍備管理が復活し、不拡散が増強され、望ましくは法的手段によって「タブー」が強化されるべきである。しかし、われわれは理想的世界に生きておらず、選択をしなければならない。軍備管理を復活させるためには、大国間の暫定協定が締結されるのを待たねばならない。また、「不拡散」と「タブー」の間では、核兵器の使用に対する「タブー」を保持することのほうが「不拡散」よりも重要であると、私は確信している。世界は、当初2カ国、後に5カ国、そして現在は9カ国の核兵器保有国と共存してきた。もしかしたらもう1~2カ国ぐらいなら、NPTと世界は共存できるかもしれない。しかし、もし核兵器が1945年以降初めて使用され、核タブーが破られてしまえば、NPTも不拡散体制も存続することはできない。「タブー」を破れば、核秩序全体の崩壊を招くだろう。
今日、NPTと核兵器禁止条約を調和させ、核リスクを低減する唯一の方法は、核タブーを強化することである。それは、1945年から存続してきた。新たな核の時代の課題に対して、より永続的な解決を共同で取り決めることができるよう、このタブーが21世紀を通じて存続することを確保する必要がある。
ラケッシュ・スードは、ニューデリーのObserver Research Foundation (ORF)の特別フェロー。ジュネーブ軍縮会議における初めてのインド代表部大使、後にアフガニスタン、ネパール、フランスでの駐在大使を歴任。2013年に引退後、2014年まで軍縮・不拡散担当特使を務めた。