Global Challenges to Democracy ジョーダン・ライアン  |  2025年06月27日

選択は今もなお明白: 80周年迎えた国連憲章を再確認する

以下の記事は、2025年6月26日にジョーダン・ライアンが国連憲章調印80周年に寄せて語ったものである。

 今から80年前、サンフランシスコに世界中の国から代表者が集まった。ある文書に調印するだけではなく、ある約束をするためだった。

 人類の歴史上最も破壊的な戦争の灰燼の中から生まれた国際連合憲章は、後世の人々を戦争の惨禍から守り、全ての人間の尊厳と価値を守り、征服ではなく協調によって平和を築くという誓いを具現化した。

 その冒頭の言葉「われら人民」は、各国政府だけでなく全ての人類を指している。それは、より壮大で永続的なものへの転換を示していた。

 トルーマン大統領が米国上院で国連憲章を提示した際、「この憲章か、より良い憲章かではなかった。この憲章か、全く憲章なしかの選択だった」と述べたが、今日、われわれは同様の選択を迫られている。

 トルーマンによるサンフランシスコ会議閉会の辞は、厳しい真実を突き付けるものだった。「数年前われわれにこの憲章があったなら、そして何よりこれを用いる意志があったなら、死亡した何百万人もの人は現在も生きていただろう。将来、これを用いるというわれわれの意志が揺らぐことがあれば、今生きている何百万人もの人が必ずや死ぬだろう」。そして彼は世界に対し、「ファシズムはムッソリーニとともに完全に死んだわけではない。ヒトラーは破滅した。しかし、彼の無秩序な精神によってばら撒かれた種子は、あまりにも多くの狂信的頭脳の中に深く根を下ろしている」と釘を刺した。

 それは1945年のことだ。しかし、その警告は今なお響き渡っている。今日、これらの種子は新たな形を取るようになった。それらは制服を着ているとも限らず、戦場にいるとも限らない。異論を封じ込めるデジタルシステム、遺恨を生む経済的排除、真実よりも権力を重視するイデオロギーといった形である。外面は変わったが、その危険は同じままである。

 親しい友人の義父ジョン・ドライアーは、サンフランシスコのその場にいた。代表団としてではなく、会議を実現させるために舞台裏で尽力した若いプロフェッショナルたちの一人としてである。彼は38歳という若さで事務局の次長を務め、本会議の計画、演説の順序管理、会議を円滑に運営するロジスティクス機能などを監督し支援した。

 彼は妻への手紙の中で、最終投票について、「議長を務めたハリファックスが起立投票を呼び掛けた。議長が起立し、私が数え、投票結果をアルジャー[・ヒス]に伝えた。国連憲章が全会一致で承認されたことをハリファックスが宣言すると、誰もが立ち上がって拍手し、歓声をあげた。本当に自然発生的で熱狂的な瞬間だった」と描写した。

 彼は、会議全体の中で最高の瞬間だったと述べている。それは、この憲章が単に交渉によって取り決められたテキストなどではなく、信じるという賭けであったことをわれわれに思い起こさせる。それは、響き渡る希望だった。

 今日、ウクライナ、ガザ地区、スーダン、サヘル地域で戦争が勃発し、イラン空爆が中東における危険で新たなエスカレーションの様相を呈するなか、国際法は組織的に無視され、民間人を標的にしても罰せられることなく、住民全体が保護も発言の場も与えられないままになっている。病院を標的にすることからクラスター爆弾の使用にいたるまで、戦争法への違反が起こっているだけでなく、戦争法そのものが崩れつつある。その一方で大国間の対立が安全保障理事会を麻痺状態に陥らせ、国連憲章の最も基本的な約束は危うい状況にある。

 われわれが直面する状況を明確にしてみよう。ロシアによるウクライナ侵攻は、国連憲章に対する直接的な攻撃であり、国連が守るべく設立されたあらゆる原則を侵害する領土侵略戦争である。米国は多国間制度や協定から離脱し、国際協調の基盤そのものを弱体化させている。世界中の権威主義政権がこれらの亀裂に乗じ、権利よりも支配を、自由よりも監視を、真実よりも権力を優先させるという対照的なもう一つの体制を構築しつつある。

 このような空白を権威主義的な意図が埋めるに任せてはならない。われわれは、国連憲章のビジョン、完璧な調和のビジョンではなく原則に基づく協調のビジョンを取り戻さなければならない。画一性ではなく、多様性、主権、法の支配の尊重による平和のビジョンである。

 それには、武力行使や侵略に対し、明白かつ普遍的に抗議することが含まれる。領土の保全が侵害されるとき、力によって体制が変更されるとき、戦争犯罪が罰せられないとき、構造全体が弱体化する。国連憲章のガードレールは、任意のものではない。それは、われわれと暗い絶望との間に立つ防壁なのだ。

 そして、覚えておこう。平和に必要なのは停戦だけではない。トルーマンが同じサンフランシスコ演説で述べた通り、「公正かつ永続的な平和は、外交協定や軍事協力だけでは達成できない」。彼は、経済的な対立と社会的不公正が「戦争の種」をまくことを理解し、「人為的かつ不経済な貿易障壁」を取り除くことを呼び掛けた。平和には、全ての人の公正、尊厳、公平な未来が必要である。それは、事実、透明性、真実を重視する世界の姿勢にかかっている。「諸国家は、自由でありたければ真実を知らなければならない」と、トルーマンは言った。

 しかし、私が希望を見いだせるものがある。

 力を持つ者が弱体化すると、他の者たちが力をつける。安全保障理事会で国境の防衛を訴えたケニアの勇気ある演説。人道的アクセスをめぐるアイルランドの外交努力。地域の平和構築を推進するガーナとブラジル。これらは、周縁的活動ではない。これらが中心を支えているのである。

 世界は、少数の国によるコンセンサスを待っていられない。中堅国家、地域のリーダー国、そして多くの場合サイレント・マジョリティーである国々は、特別な責任を負っている。彼らのリーダーシップ、静かで、忍耐強く、原則に根差したリーダーシップこそ、声高な国々が免責を選ぶような時代に、国際規範がいかに存続するかを示している。

 また、そのようなリーダーシップが力を発揮できるようなスペースを守ることも必要である。拒否権による機能麻痺や官僚主義といった欠点があるとはいえ、国連は今なお不可欠である。国連は日々、何百万人もの人々に食糧を提供し、子どもたちにワクチン接種をし、人権を監視し、脆弱な地域で平和を再構築している。

 しかし、国連憲章は戦争を終わらせることばかりを意図しているのではなく、それを防止することを意図している。それは、外交に再注力し、市民社会スペースを守り、偽情報に対抗し、国際法が権力者をかばうのではなく弱者を保護するようにするということである。そこがハルトゥームであれ、キーウであれ、ガザであれ、ポルトープランスであれ、「われら人民」との言葉が依然として意味を持つ未来を築くということである。

 トルーマンは、国連憲章を合衆国憲法になぞらえ、「最終的あるいは完璧な文書ではない。しかし、時が経つにつれて拡大し、より良くなるものだ」と述べた。それこそが、今日のわれわれの仕事なのである。憲章を拡大し、より良くすること。憲章がわれわれの記憶の中だけでなく、われわれの行動の中に生きるようにすることである。

 国連憲章が生き続けられるものとなったのは、その起草者たちが失敗の代償を目の当たりにしたからである。彼らは、死者を葬った。彼らは、協力なくして平和がないことを知っていた。そして、平和なくして未来がないことも。

 当時、選択肢は明白だったとトルーマンは言った。それは今もなお変わらず明白である。

 平和を選ぼう。国連憲章を選ぼう。憲章に、再び命を吹き込もう。

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国連憲章80周年を記念して、元国連職員らのネットワーク “Peace Reflection Group”は、国連憲章の創設原理を大切にする姿勢を再確認するよう促す世界的呼びかけを開始した。
呼びかけは、全ての国の人々に対し、平和、尊厳、国際協力という共通の価値を再確認することを求めている。
署名は人類の全ての構成員に開かれており、こちらのリンクから追加することができる: 呼びかけに署名する
呼びかけの原文を「フィナンシャル・タイムズ」で読む
10以上の言語による全文と署名者リストはこちらから閲覧できる: 呼びかけを読む

ジョーダン・ライアンは戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会(TIRAC)メンバーおよびフォルケ・ベルナドッテ・アカデミー(Folke Bernadotte Academy)のシニア・コンサルタント。過去には国連事務次長補を務め、国際的な平和構築、人権、開発政策分野で幅広い経験を持つ。専門分野は平和と安全に寄与する民主的機関と国際協力の強化である。これまでに、アフリカ、アジアおよび中東で市民社会団体を支援し、持続可能な開発を推進する数多くのプログラムを率いてきた。国際機関や各国政府に危機予防や民主的統治に関する助言を定期的に行っている。