Contemporary Peace Research and Practice ラメッシュ・タクール | 2021年04月07日
ミャンマー、「保護する責任」の履行を世界に訴える
この記事は、2021年4月6日に「The Strategist」に初出掲載されたものです。
私は、この記事を書くことを予想せず、意図せず、希望もしなかった。ミャンマーにおける現在の危機と増え続ける市民の死者数に関連づけて「保護する責任(R2P)」について書くようにとの要請を、私は丁重に断ってきた。ターニングポイントとなったのは、R2Pを掲げる横断幕、Tシャツ、傘を携え、この記事に掲載された写真のように徹夜のキャンドルデモを行う人々の姿である。それらの映像は私の良心を動かした。また、世界の良心を揺さぶるべきである。
説明させて欲しい。冷戦終結後、多くの人道的危機が勃発し、ルワンダ虐殺からNATOによるコソボへの一方的な軍事介入、東ティモールにおける国連が承認した平和維持活動まで、ケース・バイ・ケースでさまざまな対応がなされた。一定しない対応、ばらつきのある結果、その後の論争は、国境内および国境を越えた武力行使が合法的かつ正当である状況に関して、世界のコンセンサスがいかに揺らいでいるかを示している。
コフィ・アナン国連事務総長は、かつて国連平和維持活動を担当していた時に発生したルワンダとスレブレニツァの虐殺により、自らも良心の呵責に苛まれ続けてきた。その彼の呼びかけに応じ、2000年、新たな規範枠組みを模索する国際委員会がカナダの主導により設置された。委員会は、元オーストラリア外相ギャレス・エバンスとアルジェリアの元外交官モハメド・サヌーンを共同議長とし、そのほかわれわれ10名が委員に就任した。当委員会は、大量虐殺に対する国連を通した世界の対応における中心的な組織化原理として、R2Pを策定した。われわれは国家主権を再定義し、主として国家自身が担う責任であるが残りは国連が担うものとした。
中核となるR2Pの原則は、2005年世界サミットにおいて全会一致で採択され、正式な国連方針となった。以来、この原則は継続的に明確化され、洗練され、三つの柱の文言として言い換えられてきたが、2011年に国連が承認してNATOが主導したリビアへのR2P介入の後、人気を失った。国連はR2Pの原則に基づいて意図したとおりの対応を行ったが、NATO主要国は国連の承認を乱用し、ミッションを文民保護から体制転換に変えてしまったのである。
しかし重要な点として、R2Pとは、一部の指導者が誤った行動をし、市民の反対勢力を弾圧するような不完全な世界において、良心に衝撃を与える残虐行為に対応するよう要請に基づいて呼びかけるものであり、R2Pの原則そのものに深刻な疑義が生じたことはない。R2Pは依然、一人一人の憤りを共同の政策的救済へとつなげるために容易に利用できる規範的手段である。われわれは当初から、人道的介入と異なり、R2Pは介入国の権利や特権よりも被害者の人身保護ニーズを優先することを根拠として、R2Pを提唱したのである。
居心地の良い西側の大学の研究者たちは、R2Pを新植民地主義的な白人勢力が、腹黒い地政学的・商業的な動機を人道上の問題としてカモフラージュするために用いる道具だとして批判し続けている。R2P原則の履行を世界に求めるミャンマーからの写真は、被害者自身による、考え得る限り最も痛烈な反撃である。
したがって、何もしないことは、最も基本的なレベルの共通の人間性に対する恥ずべき裏切りをまた一つ重ねることになる。信頼できる有効なR2P行動を求める声は、動員規範としてのR2Pの力が、困窮国の市民社会においていかに深く浸透し、根を下ろしているかを明確に示している。それ以上に重要なことに、被害者たちはR2Pに、国際社会の行動がミャンマーの地で起こっていることに異議を唱え、変化をもたらす可能性を見ているのである。
非道な行為を目の前にした沈黙は人道に反することであり、ミャンマーの軍隊「Tatmadaw」による周到かつ大規模な殺傷力の行使に対する対応として、非難だけでは不十分である。
多くの人々は、R2Pについて二つのよくある間違いをする。R2Pの第1の柱は、危機に瀕した集団を保護するために必要な場合は、国家が武力の行使を含む行動をとることに言及している。第2の柱は、国家がR2P能力を構築するための国際支援を、その国家の同意に基づいて行うことである。第3の柱は、その国家が保護する責任を果たす能力または意志がない場合、あるいは国家自身が残虐行為の加害者である場合、部外者が段階的な強制的措置を講じる状況を想定している。しかし、第3の柱でも平和的手段を優先しており、武力の行使は本当に最後の手段として検討するのみである。
恐らくTatmadawは、抗議運動の幅広さ、深さ、粘り強さに驚きを覚えているだろう。彼らが大量虐殺に打って出るような結束力や意志を持っているかどうかは分からない。したがって現時点では、文民統治の復活の可能性を排除できないものの、軍部による過去の暴虐の遺産を考えると軍政が無期限に続くこともあり得る。この微妙なバランスにおいて、部外者がどうやって国内の政治・軍事勢力を動機付け、重要な唯一の地域組織であるASEANを説得して、行動を起こさせることができようか?
国連安全保障理事会の常任理事国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)は、安全保障に関する決定を安全保障理事会の中にとどめ、総会を締め出すことに集団的な既得権を有している。しかし、以前も書いたように、総会は近年、事務総長の選出、国際司法裁判所判事の選出、核兵器禁止条約の採択において、次々に安全保障理事会からの独立性を示している。
安全保障理事会が膠着状態に陥った場合、総会決議377(V)に基づく「平和のための結集」という形式のもと、国連総会が会合を開いた前例がある。このように、安全保障理事会の地政学的な影響力に対抗するために、全ての加盟国が参加する国連総会に付与された独自の正当性を行使することは、われわれの2001年委員会報告書で提言されたが、2005年世界サミット成果文書では無視された。今こそ、それを救済し、発動すべき時かもしれない。ASEANは、危機を緩和するために調停を主導し、周旋を行い、Tatmadawを正当化することなく彼らの関与を引き出すとともに、Tatmadawを疎外することなくアウン・サン・スー・チーと彼女の国民民主同盟の関与を引き出し、また、安全保障理事会がR2Pという厳粛な責任を放棄した場合には決議377(V)に基づいて議題を総会に提起するべきである。
現在の混乱状態で、ミャンマーに外国の軍事介入があれば、人道的危機を大幅に悪化させるだろう。そのようなことは、検討の対象にもするべきではない。しかし、国連のツールボックスにはほかにも利用できる、そして利用するべき道具がある。これには、決議を用いた外交的非難、軍の幹部と事業に対象を絞った制裁、武器の禁輸、国際刑事裁判所(ICC)への付託などがある。ICCへの付託の脅しは、これ以上の流血を招くことなく政権の座を明け渡すよう司令官らを説得するために活用できるのではないだろうか。
ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、オーストラリア国際問題研究所研究員。R2Pに関わる委員会のメンバーを務め、他の2名と共に委員会の報告書を執筆した。近著に「Reviewing the Responsibility to Protect: Origins, Implementation and Controversies」(ルートレッジ社、2019年)がある。