Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ハルバート・ウルフ  |  2023年03月21日

ヒマラヤ山中の軍の小競り合い

 太平洋における中国と米国の競争、欧州におけるウクライナ戦争という二つの大きな地政学的危機の影で、ヒマラヤ山中ではインドと中国の対決が起きている。世界で最も人口の多い二つの国は60年以上にわたり、ヒマラヤ地方の両国国境について合意に達することができずにいる。危険な軍事的な小競り合いが頻発しており、紛争がスパイラルに陥って制御不能になるリスクがある。

 ジャワハルラール・ネルーと毛沢東の時代、両国は友好的な隣国であり、同盟関係にあった。しかし、1962年の戦争は、インドに深刻な損害をもたらした。この戦争は、経済的にはほぼ重要性を持たない標高4,000メートル以上の領土を巡る争いだった。今日もなお三つの国境地帯で紛争が続いている。ラダック西部のアクサイチンと呼ばれる地区、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州東部(中国は南チベットと主張)、そして比較的静穏なシッキム中部である。

 インドと中国は「実効支配線(LAC)」を交渉により取り決めたものの、実際の国境については激しい論争が続いている。LAC全体にわたって国境は明確に画定されておらず、対立する2カ国は、それぞれが主張する領土を1平方メートルたりとも譲らない覚悟である。両国は、それぞれの領土だけでなく、ほぼ4,000キロメートルに及ぶ係争中の国境の長さについてさえも合意していない。両国とも、国境地帯に沿ってインフラや軍駐屯地を拡大しつつある。この紛争は植民地時代の遺物であり、係争中の領土は、1947年のインド独立時に英国が「中国とインドの間の未画定国境」のままにしていったものである。それ以降、国境での無数の衝突が発生し、そのいくつかは死者が出る結果となった。インド国民に波紋をもたらした直近の大きな紛争は、2020年6月15日に起こった。インド兵の死者数は20名、中国兵の死者数は不明である。その後も数件の衝突や小競り合いが起きている。

 今や地政学的情勢も、国境紛争に拍車をかけている。先に触れた二つの大きな地政学的危機は、今日の中国とインドの競争において重要な役割を果たしている。どちらの危機においても、インドは等距離政策をとっている。欧州と米国の批判派は、インドの姿勢をシーソー政策と呼び、より明確な立場を取るようインドに迫っている。インドの戦略専門家で、権威ある英字日刊紙「インディアン・エクスプレス」の元副編集長であるスシャント・シンは、インドの対中政策を「慎重で、支離滅裂で、矛盾している」と評している。

 インドは、米国、日本、オーストラリアとともに、4カ国安全保障対話(Quad:クアッド)に加盟している。クアッドが結成されたのは2007年であるが、近年になってようやく、太平洋における中国の影響力を封じ込める手段として、特に米国の働きかけにより復活した。オーストラリアや日本と異なり、インドは米国の正式な軍事同盟国ではない。米国は、長年にわたってパキスタンを支持してきたが、2005年に外交政策を抜本的に転換した。米国は、公式ではないにせよ、インドを事実上の核保有国として認めたのである。米国はインドを自らの陣営に引き入れたいと考えており、インドにおける米国の兵器の販売や製造に関する広範囲な契約を承認した。ニューデリーのナレンドラ・モディ政権は米国と良好な関係を維持しているが、米国の利益のために利用されることは望んでいない。インドは、米国の対中・対ロ政策については非常に慎重であり、綱渡り外交を行おうとしている。

 同時に、米国との特権的関係を築く努力の一方で、インドはBRICSグループ(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)において積極的な役割を果たしている。このクラブは、加盟国の共通の利益を追求するものであり、世界銀行や国際通貨基金のような国際機関における西側の支配を改革によって打破することを目標に掲げている。2014年のクリミア占領の後と同様、BRICSはウクライナ戦争においてもどっちつかずの態度を取った。組織がその加盟国の一つを断罪するとはまず期待できない。BRICSが要求し、促進する多極的世界への移行は、インドが掲げる不偏不党の政策と相容れるものである。

 ウクライナ戦争でもインドは距離を保っており、米国や欧州連合諸国が外交的懸念を抱いているからといって政策を変更してはいない。ロシアの侵攻に対する国連の非難決議では投票を棄権した。インドが難色を示す理由の一つに、インドがロシア製およびソ連製兵器に依存していることもある。政府は、米国やフランスからの購入を増やすことによって兵器調達先の多様化を図っているものの、インド軍は依然としてロシアとのさらなる兵器協力に依存している。この協力は、中国との戦争後の1960年代に端を発し、1970年代にバングラデシュ独立をめぐるパキスタンとインドの紛争で米国がパキスタンの側についた際に強化された。1971年、ソ連とインドは25年間の「平和友好協力条約」を締結した。今日のインドの等距離政策やいわゆる多同盟政策は、こういった歴史的経験によって形成されたものである。それは、インドが長年追求してきた非同盟の概念とうまく適合する。

インド政府は、バイデン政権が喧伝する民主主義国家と専制主義体制の対立という構図に取り込まれることを望んでいない。グローバルサウスの他のほとんどの国々と同様、インドは、このような枠組みを受け入れていない。インドは、世界最大の民主主義国としばしば呼ばれ、そのため自動的に、民主主義の価値を奉じるこのコミュニティーの一員とされている。しかし、モディ政権は、強硬な国内政策、ヒンドゥー教とナショナリズムの重視を特徴とし、市民の自由を大幅に制限してきた。政権は、自らの民主主義的経歴の真価が問われるのを恐らく気まずく思っているだろう。

 今日の地政学的情勢は、中国とインドの関係に複雑な状況をもたらしている。一方では、インド政府はアジアにおける中国の影響を封じ込めることに関心を抱いている。しかしもう一方では、いかなる状況でも中国を挑発しないよう努めている。例えば、ニューデリーは中国の香港抑圧についてコメントしたことも、中国の不透明な新型コロナ政策を批判したこともない。

 政府はまた、国境での対決においても中庸の道を追求している。インドは、ヒマラヤ山中で軍事的に中国を押し返す立場にも、外交的に中国を説得して合意に至る立場にもない。両陣営は、何について交渉する必要があるかということさえ合意できないだろう。国境紛争が未解決のまま長期化していることを考えると、国境紛争の解決を目指す16の作業部会が設置されたにもかかわらず、また、1993年、1996年、2005年、2012年、2013年に信頼醸成措置に関する合意がなされたにもかかわらず、ヒマラヤ山中の国境での小競り合いは近い将来も続くと考えられる。ナレンドラ・モディと習近平の間で何度か2国間会合が行われた後も、依然として冷ややかな空気が漂っている。

 それでもなお、濃密に織りなす経済関係が発達し、それがインドに一定の依存をもたらしている。このように緊密な経済関係にもかかわらず、ニューデリーは、国境紛争が解決されるまでは正常な関係に戻ることを望んでいない。一方、北京は「この紛争が両国関係の他の面で重荷となってはならない」と言う。元駐インド中国大使の孫衛東(スン・ウェイドン)は、2022年8月、国境の状況は全体的に安定していると述べた。1カ月後、軍の部分的撤退に合意することにより、両軍が縮小に踏み切った。しかし、2022年12月、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州の重要な高地を中国が占領したことをめぐり、次の紛争が発生した。

 ニューデリーは、中国が世界的危機に乗じて領土獲得を進めようとしていると考えている。パンデミック中の2020年にラダック東部でそうしたように。1962年、キューバミサイル危機が起き、米国とソ連の注意がそちらでの対決に向いていた時に中国が戦争を始めたことは、インドではいまなお記憶されている。キューバミサイル危機が終結した直後、中国は休戦を宣言した。

 インドのメディアは、国境地帯に紛争が起きるたびにセンセーショナルに報じ、中国の「侵略」や「侵入」や「侵害」を取り沙汰した。政府は、中国の攻撃的な政策を是認していないものの、紛争拡大を抑止するために中国の国境活動を「違反行為」と呼び、なるべくなら武力行使はしたくないと考えている。インドのジレンマは続いている。インドは、軍事面では中国より劣っており、外交面では60年以上にわたってほとんど進歩していない。

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際紛争研究センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。Internationalizing and Privatizing War and Peace (Basingstoke: Palgrave Macmilan, Basingstoke, 2005) の著者。