Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ハルバート・ウルフ | 2023年10月31日
インドのバランス政策:“有限責任パートナーシップ”
Image:Deputy Prime Minister and Defence Minister of Israel, Lt. Gen (Res) Benjamin Gantz wth PM Narendra Modi, New Delhi, June 2 2022 YashSD/shutterstock.com
ハマスのテロ攻撃の後、グローバルサウスの多くの政府とは異なり、インド政府はイスラエルに全面的な連帯を約束した。ロシアのウクライナに対する戦争が始まった後の反応とは、全く異なっていた。インドとロシア、インドとイスラエルの関係の歴史を紐解けば、その理由が分かる。
ハマスの攻撃の直後にナレンドラ・モディ首相が発表した声明は明確だった。「イスラエルにおけるテロ攻撃のニュースに強い衝撃を受けている。われわれの思いと祈りは、無実の犠牲者とその家族とともにある。われわれは、この困難な時にイスラエルと連帯する」。10月8日、日刊紙「インディアン・エクスプレス」は、モディの声明が「これまでのイスラエルとパレスチナ武装勢力の膠着状態に対するニューデリーの反応を特徴付けていた注意深いバランス政策からの明白な方向転換」を示していると結論付けた。
2022年2月にロシアが戦争を始めた際は慎重な反応を示し、今回は明確にイスラエル寄りのメッセージを出したのはなぜか?インドはこれまで常に、非同盟国家を自認してきたが、今ではインド政府は自らが「多同盟(multiple alliances)」と呼ぶ関係を結び、自国の利益に合致するパートナーシップを求めている。インドの大手シンクタンクで、政府への助言も行うオブザーバー・リサーチ・ファウンデーションの代表サミール・サランは、今日の地政学は自己利益の認識に特徴付けられると論じる。彼は、「国家間の有限責任パートナーシップ」を口にする。いずれも国際法に違反する攻撃を受けたウクライナとイスラエルに対してインドが異なる行動を取る理由は、このようなバランス政策によって説明できる。
インドは、長年にわたりロシアと友好関係を維持している。それは、1971年にインドとソ連の間で結ばれた友好条約によりしっかりと確立されたものだ。ソ連、後のロシアは、インドにとって最大の武器供給国となった。今日に至るまで、インドの軍隊は軍備面でロシアの協力に依存している。それに加え、インドはエネルギー輸入の多角化の試みに成功しており、ロシアから好条件でエネルギーを輸入している。
ロシアの侵略戦争を非難する決議案が圧倒的多数で採択された国連総会で、インドは投票を棄権した。インドのスブラマニヤム・ジャイシャンカル外相は、ロシアを孤立させることよりもインドの経済的利益のほうが重要であることを明確にした。インドの外交・安全保障政策は、地政学的に対立する陣営のいずれか一方にくみしないということを徹底している。それが、ロシアへの制裁に加わるよう呼びかけた西側の求めをインド政府が拒絶した理由の一つである。
そのウクライナとは対照的に、今日のインドはイスラエルと非常に密接な政治的・経済的関係を維持している。しかし、両国の関係が常に友好的だったわけではない。1947年にインドが英国の植民地支配から独立を勝ち取ったとき、イスラエルはそれを熱烈に歓迎した。しかし、マハトマ・ガンジーは、1948年のイスラエル建国に対して極めて批判的だった。「パレスチナはアラブ人に属する。それは、イングランドが英国人に、フランスがフランス人に属するのと同じことだ。ユダヤ人をアラブ人に押し付けるのは間違っているし、非人道的である」。
イスラエルに対するこのような距離を取る姿勢は、長い間変わらなかった。インドは2015年まで、パレスチナに対するイスラエルの政策を非難する国連決議の全てに賛成した。インドは、パレスチナ解放機構(PLO)をパレスチナ人の唯一合法的な代表組織として承認した最初の非アラブ国家である。2015年になって初めて、インドは、イスラエルの戦争犯罪に関する国際刑事裁判所の調査を求める国連人権理事会決議案への投票を棄権した。
しかし、イスラエルとインドの間に紛れもなく接触点はあった。シオニズムは、インドのヒンドゥー・ナショナリストに人気があっただけでなく、インドの初代首相ジャワハルラール・ネルーもシオニズムの建国理念に引き付けられていた。しかし、ネルーは、インドの非同盟政策に対するアラブ諸国政府の信頼を気にして、イスラエルの外交的承認を認めることは拒否した。
40年以上にわたり、インドはイスラエルの打診を拒絶したのである。1992年以降になってようやく、イスラエルとインドは外交関係を維持するようになった。インド政府の長年のためらいは、インドが石油供給を中東に依存していたという事実にもよる。一方で、貿易面では両国は密接な関係を維持しており、農業分野とカルチャー分野で高い年間成長率が見られる。
イスラエルは、インドにとって重要な、時には2番目に重要な、武器供給国となっている。イスラエルの武器輸出先の約40%がインドである。インド空軍が保有する時代遅れのソ連製MiG-21や他の戦闘機を、イスラエル企業が近代化した。イスラエルは何年もの間、ほぼ全てのカテゴリーの兵器を近代化するために電子機器やミサイルを供給している。対空ミサイルを共同開発する契約も結ばれている。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推定によれば、イスラエルからインドへの武器輸出額は過去5年間で18億米ドルに達する。中国の攻撃的な政策に対抗して武装するため、インドは、さらなる武器をイスラエルに発注した。2022年6月のインド訪問で、イスラエルのベニー・ガンツ国防相はインドのラージナート・シン国防相と、両国関係を強化することで合意し、インドの防衛産業におけるイスラエル企業のさらなる関与について議論した。
9.11事件後の「テロとの戦い」は、インドとイスラエルの関係強化をもたらした。両国とも、テロ攻撃では苦い経験をしていた。イスラエルは未解決のパレスチナ問題により、インドは、古くはスリランカのタミル・イーラム解放の虎、国内のナクサライト運動、近年ではインドとパキスタンの間で紛争となっているカシミール問題によるものだ。そこから、テロ攻撃が定期的に起こっている。2008年には、インドの「9.11事件」が起こった。ムンバイが、パキスタンを拠点とする武装グループ「ラシュカレ・タイバ(Lashkar-e-Taiba)」によるテロ攻撃を受けたのである。公式発表によれば、死者は166人に上った。攻撃のターゲットは、観光客とムンバイにあるユダヤ教施設である。犠牲者の中には数人のイスラエル人がおり、ムンバイのユダヤ教ハバッド・ハウスのラビ、ガブリエル・ホルツバーグとその妻もそれに含まれていた。
当時、インドでは、イスラエルの国土防衛の概念が大変人気になった。軍隊や警察は、「イスラエルの経験」から学ぶべきだ。世論の圧力を受けて、インド政府はそれ以降、テロの容疑者に対してより厳しい取り締まりを行うようになった。インドの派遣団がイスラエルを訪問し、その結果、イスラエルで訓練を受けた特殊部隊がムンバイに設置された。イスラエルの技術支援を受けて、インドは、個人の私的な通信を包括的に監視することができる中央電子監視システムを構築した。話によると、イスラエルの悪名高いスパイウェア「ペガサス」も使われているという。
モディ率いるインド人民党(BJP)とそのヒンドゥー・ナショナリズム的政策には、ネタニヤフ首相率いる右派政党リクードと政権内の極右勢力に匹敵する特徴が見られる。いずれも、民族ナショナリズム的な反ムスリム政策を敷いている。例えば、2019年、モディ政権はカシミールの憲法上の特別な地位を取り消した。この規定は元々一時的措置として挿入されたが、数十年にわたって存続が容認されてきたものだ。カシミールの大部分を占めるムスリム人口は、独立を主張して長年闘ってきた。政府はカシミールのインド側支配地域に外出禁止令を出し、数千人の兵士を配置し、電話回線を遮断し、インターネットを遮断し、多くのジャーナリストや市民社会活動家を投獄した。インドの最も有名な作家、アルンダティ・ロイは、この政策をデジタル包囲網と軍事占領と呼んだ。元国連事務次長補のラメッシュ・タクールは、政府がカシミールを力により抑圧した際、「このような変化は、一つの憲法を掲げる一つの国、一つの国民という、インド人民党のインド観に影響を及ぼす」と書いた。
イスラエルとインドの関係は、それぞれの対テロ政策を通して発展し、2017年のモディのイスラエル訪問と2018年のネタニヤフの答礼訪問以降は安定した状態を保っている。外交樹立25周年と30周年の節目はいずれも、関係のさらなる拡大の機会となった。インドは、その国益にかなう限り、今後もこの政策を追求すると予想される。
ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際紛争研究センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF: Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。Internationalizing and Privatizing War and Peace (Basingstoke: Palgrave Macmilan, Basingstoke, 2005) の著者。