Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラメッシュ・タクール  |  2023年10月09日

政治の川下にはインドとパキスタンのクリケット戦

Image: Poetra.RH/Shutterstock.com

 2023年10月14日、筆者の注意は同時に展開される三つの無関係な出来事の間を行き来するだろう。ニュージーランド総選挙のその日、筆者は現地にいる。世論調査によれば、労働党政権が敗れて中道右派の連立政権が誕生する見込みだ。しかし、選挙制度が特殊であるため、選挙結果や選挙後の主要政党と連立相手候補の交渉の行方は何とも不透明である。

 オーストラリアでは、アボリジニーの地位を認め、国会が彼らの声を反映するための特別な諮問機関を設置することを承認する新たな章を憲法に挿入するか否かをめぐり、国民投票が行われる。現在の様相を見ると、この構想は否決されるだろう。なぜなら、国民の大部分は人種によってオーストラリア国民を分断することに反対しているからである。投票結果は、アンソニー・アルバニージー首相の地位を脅かしかねない。

 しかし、政治的に最も影響の大きいイベントは、アーメダバードにあるナレンドラ・モディ・スタジアムで開催される。昼過ぎにクリケットのインド対パキスタンの試合が行われるのだ。両国の試合がどちらかの国で行われるのは久方ぶりのことである。過去2年間、ウクライナ戦争がテニスのメジャー大会でロシアやベラルーシの選手の参加に影響を及ぼすという状況を目の当たりにした。亜大陸のライバル国同士がスポーツの試合で衝突した場合、激しい情熱と敵意が何倍にも増幅し、政治家たちも口を出さずにはいられない状況にまで発展する。

 何十年も前に北京を訪れたときの話だが、筆者は、1日3食の中華料理からひと息つくためにインド料理屋を探していた。すると、歩いて行ける距離にパキスタン料理屋を発見した。敬虔なヒンドゥー教徒は牛肉を避け、イスラム教徒は豚肉を避けるといった違いはあるが、夜には古典音楽の生演奏が楽しめ、料理や音楽の伝統における両国の共通性を強く感じた。

 またある時は、筆者は、ウズベキスタン大統領のイニシアチブによりタシケントで開催された核軍備管理に関する会議に出席した。政府は、他の場所を訪れるツアーも手配してくれた。筆者はパキスタン軍の准将と話が弾み、両国に共通するムガール王朝を通じた中央アジアとの歴史的、文化的結び付きについて幅広く語り合った。これとほとんど同じ経験が、何年か後にアフガニスタンを訪れた際にもあった。グループの一人が、国連のパキスタン人の同僚だったのである。どちらの機会にも、われわれは自分の母国語で話し、共通の視点によって会話を深めることができた。

 パキスタン自体を訪問したこともあり、仕事の時間は地政学的問題の議論に終始したが、夕方には何度か、友人である在外パキスタン人の家族とともに食事をした。彼らは、祖先がかつて住んでいた場所や、長年離れ離れになっている一族の分家がいるかもしれない場所について、飽くことなく筆者を質問攻めにした。それは、分断をもたらす対立の中で結び付きを生む絆である。もし訪問がかなうなら、彼らも同じ歓待を受けるだろう。言い換えれば、郷愁と見果てぬ夢の悲痛な混合である。敵意を感じるという状況に最も近づいたのは、ホテルのバーである。ヒンドゥー系とすぐに分かる名前とオーストラリアのパスポートのおかげで、現地民には禁止されているアルコール飲料を注文することができたからだ。

 このように、人と人との交流のレベルでは相互の敬意と理解への強い渇望があり、それは複雑な対立をも乗り越えられるのだ。これは緊迫した手に負えない対立の根深い原因を軽視するわけではなく、文化やスポーツの交流は共通の歴史や運命に対する感情を維持し、対立が解決されたあかつきには、再び開花するであろう両国関係に安定と趣を与えると主張したいのである。

 両国民を結び付けるもう一つの情熱が、クリケットである。9月30日付のインディアン・エクスプレス紙に寄稿したメーナカ・グルスワミは、10月5日に開幕するクリケット・ワールドカップにパキスタンの参加を認めることは、パキスタンが支援するテロリストに殺された人々への裏切りだと主張した。彼女は、9月13日にカシミールで任務中に殺害された1人の警察官と2人の陸軍士官の例を論じた。

 これに対し、まず留意するべきことは、インド政府やほとんどのインド国民は否定するかもしれないが、現実にはカシミールは係争中の領土であると国際的に認識されているという点である。インドに対するパキスタンの不満にも、認めるに足る点がある。論議するべきは、人々の犠牲と苦しみを終わらせるという大義のために、両国が許容できる条件で紛争を解決することができずにいることの責任のバランスである。今に始まったことではないが、交渉や妥協は四文字熟語のように避けられ、譲歩や降伏と同一視されている。どちらの側もこのような姿勢を取っているため、紛争が長引くことで、どちらの国民も苦しんでいるのだ。

 この3年間、ロックダウンに伴ってコミュニティー全体に広がった社会的孤立によって、われわれの心の健康には社会的関わりがいかに重要であるかを思い知らされた。結婚、大切な記念日、葬式のような親族のイベント、そしてコンサートやスポーツイベントは、人生に意味や目的を与え、社会を形作るために役立つ。特にスポーツと個人のウェルビーイングや幸福感との関係について、いくつかの興味深い学術研究がある。 「Applied Psychology, Health and Well-being」誌、2021年2月号に掲載された論文では、スポーツイベントへの来場であれTV観戦であれ、スポーツへの受動的関わりは、スポーツへの能動的参加と比べ、個人の幸福感とより密接な正の関係を有していることが明らかにされている。2023年1月発行の「Frontiers in Public Health」誌に掲載されたもう一つの論文では、スポーツイベントを生で観戦することによって不安や孤独感が減少し、主観的なウェルビーイングが高まり、観戦者は生き甲斐が高まったと報告することを確認している。

 クリケットの国際試合に亜大陸のいずれかのチーム(アフガニスタン、バングラデシュ、インド、パキスタン、スリランカ)が参加するときは、情熱的なディアスポラの群衆が母国の色と音と光景を体現し、歓喜に満ちたお祭りのような雰囲気を生み出す。世界のその地域で何百万人という人が過酷な状況にあることを考えれば、彼らが現実逃避のひとときを分かち合うことを誰が邪魔しようというのか?

 クリケットにおけるインドとパキスタンの大いなるライバル関係は、このような背景を踏まえたうえで理解しなければならない。政治家たちはそれを他の手段による戦争の延長のように位置付けて職業上の利益を得ようとするが、ファンは人生に共通する厳しさから逃避し、自分の夢を重ねた空想の世界に浸る機会として楽しむほうを好む。どれほど多くの親子が今の彼らのヒーローがプレーする姿を見て、将来その栄光を追いかけようと夢見るだろうか? 最高のヒットやとんでもない失敗を、クリケット愛好家たちはリアルやオンラインで何年にわたって論じ続けるだろうか? そのような単純な楽しみや天にも昇る喜びを、国境を守って命を落とした人々への冷淡な無関心と解釈するのは、不必要なほど無作法に思われる。

 政府が犯した罪のために国民が罰せられるべきではない。また、多くの場合国家が餌付けをしたテロリズムという怪物は、今やインドよりもパキスタンを貪り食っているということに、もっと多くのインド人が気づくべきである。South Asia Terrorism Portal(サウス・アジア・テロリズム・ポータル)は、「南アジアにおけるテロリズムと低強度戦争に関する最大のウェブサイト」といわれている。同サイトの推定によれば、2000年3月6日から2023年10月2日までの間にテロに関連して発生したインドにおける死者数は46,791人(治安部隊人員7,481人、テロリストや過激主義者23,826人、民間人14,282人、不明1,202人)である。パキスタンでこれに対応する数字は66,980人(それぞれ8,308人、34,163人、21,301人、3,208人)である。

 インド人がパキスタンを含む他の南アジアの人々と共通して持っている考え方は、ホスピタリティという概念である。伝統的なエチケットとして、国籍、宗教、皮膚の色に基づく差別なく、全ての来訪者に優しさと魅力をもって接することが求められる。前回ワールドカップの決勝(それ自体もクリケットの伝説というべき名勝負だった)を戦ったチームによる開幕戦では、インド系ニュージーランド人のラチン・ラビンドラがプレイヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれた。彼のファーストネームは、インド史上に輝く2人の名選手、ラーフル・ドラヴィドとサチン・テンドルカールの名を合体させたユニークなものだ。ワールドカップでのデビュー戦では、祖先の母国であり、クリケットへの情熱では他のどの国にも勝るインドにおいて、最年少、かつニュージーランド人としては最速で、ワールドカップでセンチュリー(1イニングで100点以上得点すること)を叩き出した。それが、どのぐらいすごいことか?

記憶が堆積するにまかせていれば、分かるだろう。

ラメッシュ・タクールは、元国連事務次長補。現在はオーストラリア国立大学名誉教授、戸田記念国際平和研究所の上級研究員およびオーストラリア国際問題研究所の研究員を務める。「The Nuclear Ban Treaty: A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」の編者。