Cooperative Security, Arms Control and Disarmament トビアス・デビール、ハルバート・ウルフ | 2022年03月15日
ウクライナ戦争におけるエスカレーションとデ・エスカレーション
Image: Omsk Oil Refinery, Roofsoldier/Shutterstock
これは、2022年3月14日にデュースブルク・エッセン大学の「Development and Peace Blog」に掲載された記事の短縮版です。
遅くとも2021年からウクライナ紛争をエスカレートさせてきた犯人が明白に存在する。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領である。彼は、その好戦的で冷笑的な戦争レトリックによって平和的解決の可能性を潰した。ウクライナは非武装化を要求されているだけでなく、存在する権利さえ否定されている。これに加え、「非ナチ化」という突拍子もない言い分や、西側が侵略を邪魔すれば核エスカレーションも辞さないという脅しもある。プーチンは、いわゆる「抑止力」を警戒態勢に置き、西側の制裁を宣戦布告とみなし、作戦面でもレトリック面でもエスカレートしていった。
現在の非常にエスカレートした状況をもたらした責任の所在がどうあれ、われわれは、危機を脱する道を見いだすために紛争の発端を冷静に分析するべきである。核兵器という側面があるために、われわれはすでに極めて危険なエスカレーションのダイナミクスの中にあり、両陣営がそれに関与している。現在の非対称な政治的責任と「有責性」の帰属が明白であるため、西側諸国は道徳的優越感を抱き、自らの行動は合理的にも規範的にも正当であると考えたくなるだろう。しかし、紛争のエスカレーションに関する研究成果を偏見なく受け入れることも、自らの道徳的自信に負けず劣らず重要である。
非常にエスカレートした紛争
1960年代のエスカレーション論者(ハーマン・カーンなど)は、エスカレーションラダー(Escalation ladder)という概念を説明し、エスカレーションの各段階における意思決定の選択肢を政府に提示しようとした。現在、われわれは明らかにエスカレーション拡大の段階にいる。現代の紛争研究では、エスカレーションの罠は双方にとって望ましくない結果をもたらす恐れがあり、四つの核保有国が関与すれば破滅的な結果を招くことが示されている。
フリードリッヒ・グラスルは、おそらくドイツ語圏では最も有名なエスカレーションラダーを(2011年に)開発した。ウクライナにおける紛争と戦争に当てはめてみても、その説得力には目を見張るものがある。グラスルは、紛争を次の9段階(ドイツ語の原文から独自に翻訳したもの)に分類した。
- 硬化
- 討論、論争
- 言葉より行動
- イメージ、連合
- 面目失墜
- 脅迫戦略
- 限定的破壊攻撃
- 破砕
- 双方破滅
ウクライナ戦争では、政治、経済、軍事と、さまざまな分野でエスカレーションが見られる。政治面では、エスカレーションは主に紛争の責任は誰にあるかに関するものである。プロパガンダと虚偽情報により、ロシアでは、ウクライナや西側諸国とはまったく異なるイメージが形成されている。経済面では、制裁がエスカレーションの中心にある。しかし、最高レベルのエスカレーション(金融制裁、SWIFTからの排除、西側による原材料輸入の停止、ロシアによる原材料輸出の停止)にはまだ達していない。ウクライナ戦争は、明らかに第7段階にある。この段階まで、軍事的状況はロシアの行動により明らかにエスカレートしている。紛争の両当事者の間には多くの違いがあるが、どちらの側も相手の「人間の質」(グラスルの用語)を否定する言説を用いている。また「限定的破壊攻撃」は、「自国への比較的小さな損害が……利益と見なされる」場合は「適切な対応」とされる。
上述した核の脅迫により、ロシア指導部はすでに第9段階(双方破滅)に近づきつつある。これは、「自己の破壊と引き換えにした相手の破壊」を意味する。しかし、西側も、制裁を強化するばかりでデ・エスカレーションを目指してはおらず、現在の目標が第8段階(破砕)に近づきつつあるのはあまりにも明白である。これは、「敵のシステムを麻痺させ、崩壊させる」ことを目指すものである。
冷戦になぞらえるのは時代遅れ
ソ連崩壊とともに終焉した第1次冷戦は、意味深長な略語MAD(相互確証破壊)に象徴されるパラドックスを体現していたといえるだろう。核兵器とそれに影響を受けた合理性を前に(自らが破壊される危険を冒すな!)、MADは「狂おしいほど」うまくいく、つまり効果的であることが立証された。その一方で、相互確証破壊が軍事的勝利を不可能にすると認識したことは、同時にデ・エスカレーションとそれに続くデタント政策の前提条件となった。しかし、恐怖の均衡は、かなり正確に特定できる前提の下でしか機能しなかった。
- 少なくともキューバ・ミサイル危機の終結以降は、どちらの側も予測可能な行動をしていた。
- 誤って、または意に反して世界戦争が起こらないよう、コミュニケーションのチャンネルは開拓された。
- 一方が他方に対し、存亡にかかわる経済的損害を与えることができないよう、抑止力を組み込んだ意図的な相互依存の政策が策定された。
- 合意された上限設定、技術的可能性の制約、信頼醸成措置を通した軍備管理によって、危険な軍備増強を抑制した。
- 東西が平和的共存を目指すことに合意した。
今日多くの人が冷戦の再来を口にする。しかし、現在の状況を考えると、この例えは時代遅れに思える。上記五つの条件から見ると、まず目につくことは、プーチンの危険なロジックが、レオニード・ブレジネフ以降のソ連共産党政治局員のリスク回避型で非常に予測可能な思考回路とはもはや相いれないものとなっていることである。また、条件2と条件5も、もはや機能していない。
デ・エスカレーションの政策に向けて
西側がデ・エスカレーションと力の政策を同時に追求することは、六つの異なる認識に基づくべきである。
- 経済制裁はロシアに大きな打撃を与えなければならない。しかし、完全に追い詰められたときに「敵も滅びるならば自殺を望む」(グラスル)可能性がある体制の崩壊を目指すべきではない。「体制転換」の試みが無効であることは、はるかに小さな国で(アフガニスタン、イラク)すでに立証されている。
- デタント政策の根幹の一つ(「貿易を通した変革」)は、部分的に裏目に出ている。経済的に密接な結びつきがあり、対立関係にある国同士は、紛争を軍事的に解決するのではなく協力する傾向があるという1970年代の理論は、ウクライナ戦争の場合には両刃の剣であることが証明されている。ロシアの天然ガス、石油、石炭への経済的依存は、脆弱性と脅迫を意味する。これは、西側による強圧的な経済措置のエスカレーションを危うくする一方、断固とした懲罰的経済措置を講じる余地を狭めるものでもある。
- ウクライナに対する防衛兵器の提供を超えた軍事的支援は、危険な火遊びであり、エスカレーションラダーの段を上ることである。これは特に、議論されているポーランドのミグ29戦闘機の展開に当てはまる。それらをウクライナに後方支援するだけでも、NATOの直接的な戦争関与の瀬戸際まで危険なほど近づくことになる。
- ウクライナが飛行禁止区域の設定を求めるのは人道的見地から理解できるが、それと同じぐらい、ロシアから見ればそれはNATOによる宣戦布告であることも理解できるし、どのような結果が待ち受けているかは目に見えている。
- 短中期的には、核抑止力を囲い込む最低要件を盛り込んだ包括案をまとめる必要がある。より予測可能な状態に戻す、外交関係の断絶を避ける、経済的相互依存関係を大幅に低減するが完全な分断は避ける、軍備管理を議論する(国境地帯から兵器システムを移転する、ベラルーシは核兵器を保有しない)、欧州における共通安全保障体制という視点から欧州安全保障協力会議(CSCE)のような話し合いの場を設置することなどである。
- これらの後に、デ・エスカレーション、信頼醸成、軍備管理、軍縮が続く。「デ・エスカレーションは心の中で始まる」という格言には、重要な心理的要素が含まれている。現在、国内政治の視点から「悪」を指し示すのは当然と思われるが、マニ教的世界観はそれほど役に立っていない。悪魔化し、屈辱を与えることは、交渉の場への道筋をつけるものとはならない。
もちろん、戦争がウクライナとその国民に容赦ない損害を与えている現在、新たなデタント政策を論じるのは時期尚早である。目下の状況は良くない。しかし、デタントの歴史を見ると、1970年代と1980年代にデタントが成功を収めたときも、同じぐらい見込みがないと思われる状況であった。相互の核の脅威、東西ブロックの対立、ドイツの分断、体制間のイデオロギー競争があったにもかかわらず、少なくともある程度までは緊張を緩和し、平和を促進する条約を締結することができたのである。今日の状況は解決不可能な対立と見なされることもあるが、軍事的手段にのみ頼るようなことがあってはならない。
トビアス・デビールは、デュースブルク・エッセン大学(University of Essen/Duisburg)(ドイツ)で国際関係学教授、開発平和研究所(Institute for Peace and Development)副所長、国際協力研究センター(Centre for Global Cooperation Research)副所長を務めている。
ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際紛争研究センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。