Global Challenges to Democracy ハルバート・ウルフ  |  2024年06月24日

総選挙を経て、インドの今後はどうなるか

Image: PradeepGaurs/shutterstock.com 

 インドで、国民議会(下院)の総選挙が行われた。独裁的なモディ首相は後退を余儀なくされ、野党は予想をはるかに超えて躍進した。小政党の支持を得て、モディは3期目の首相に就任した。これらの結果は、インドの外交、経済、社会政治の政策に変化をもたらすだろうか?

 与党のインド人民党(BJP)は、定数543議席のうち400議席を獲得するという自ら公言した目標を達成できなかったばかりか、過半数に必要な272議席にも届かなかった。救世主と称され、選挙の直前には自身の誕生を生物学的なものではなく神聖なものとして語ったモディは、面目丸つぶれとなった。日刊紙「インディアン・エクスプレス」が書いたように、これは独立後のインド史において最も自由と公正を欠く選挙であり、金、メディア、行政機関など、あらゆるものが野党の敵に回ったにもかかわらず、この結果となったのである。選挙管理委員会は露骨に偏向していた。それにもかかわらず、人々は与党の権力者たちに重大な痛手を負わせた。

 与党BJPは、2014年にモディが首相に就任してから初めて、対立を招くヒンドゥー至上主義的言辞によって、国民の間に蔓延する不満を利用することができなかった。

 外交、経済、社会政治の政策面で、インドの未来はどのようなものになるだろうか?

 外交政策においては、インドは近年西側寄りになっており、米国だけでなく日本、オーストラリア、EUにも近寄っている。このような関係の深まりは、主に中国の攻撃的な政策に対するインドの懸念によるものだ。アジアの二つの大国であるインドと中国は、アジアと世界における影響力を競い合っている。ヒマラヤ地方の両国国境は紛争の火種となっている。ニューデリーは、中国のインド洋進出を非常に苦々しい思いで注視しており、中国に対抗して武装を進めている。インド軍は、依然としてロシアからの武器供給に依存している。インド軍が保有する兵器の約60%がロシアから輸入されたものだ。しかし、米国は防衛産業における協力を約束し、それのみならず最新鋭の兵器技術を提供している。ジェット戦闘機はフランスから、ミサイルとエレクトロニクスはイスラエルから調達されている。明らかにインドは、武器調達先の多様化を図ろうとしている。

 しかし、モディと彼の政権は、ただ単に西側陣営に加わろうとしているわけではない。ウクライナ侵攻後のロシアに厳しい姿勢を取るようインドを説得しようとする米国、EU、NATOの試みは、無様な失敗に終わっている。首相就任当初に中国との関係を正常化し、安定化しようとしたモディの努力は失敗した。しかしロシアとの友好的な関係は維持し続けており、何よりも、インドはロシアからの原材料やエネルギーの輸入はかなり多い。また、遠い昔のことではあるが、1971年のバングラデシュ独立戦争の際、ニクソン政権がパキスタンの側についてインドと敵対したことや、同時期にヒマラヤ地方でインドと対立する中国の活動を利用しようとしたことを、インドの政治指導者たちは忘れていない。

 それ以降、インド政府は、自国の利益に応じて複数の同盟関係を求める非同盟主義の国として振る舞うバランス外交を実践している。これが近い将来変わることはなさそうだ。たとえモディが弱体化しても、インドはあらゆる選択肢を残しておくだろう。

 経済面では、モディは一定の見るべき成功を収めている。最も人口が多い国であるインドは、いまや世界第5位の経済大国である。モディ政権最初の10年間における成長は急激だった。他の主要先進国と比べると、6、7、8%の年間成長率を常に維持するのは、夢のような成果である。インドの中産階級は拡大している。しかし、インドの富の分配は極めて不均等である。人口14億人のうち約8億人は、貧しい生活を送っている。国民1人当たりの年間所得は、約2,400ドルである。それに対し、米国の1人当たり所得は80,000ドルを超える。インドのビジネスエリートは、モディの優遇税制や公共契約によって甘やかされ、巨額の富を築いている。アジア1位、世界9位の大富豪であるムケシュ・アンバニの資産急増はモディのおかげである。彼は、1,000億ドルを超える資産を所有している。

 経済を動かす者と自認するモディは、「メイク・イン・インディア」、「スマート・シティーズ」、「クリーン・ガンジス」など、インド近代化を図る多くの大型プロジェクトを発足させた。モディの見解では、「インドは自信と自立心にあふれている」。インドは、大国と協調して自国の役割を強化することを望んでおり、独立100周年を迎える2047年までに本格的な大国を目指し国家の開発を進めるという野心的なビジョンを掲げている。モディ首相は、「飛躍的進歩」と語っている。

 しかし、彼はどのような経済的ビジョンを頭に描いているのだろうか? インドは、世界の工場として中国に取って代わるべきなのか? 産業は手厚い補助金を受けているものの、モディ政権下で輸出はほとんど増加していない。サービス部門(特に情報技術)の拡大に注力するほうが良いのだろうか? その一方でモディは、自立と自給自足ということを訴えている。彼は2020年に「今日の世界情勢は、自立こそインドの唯一の道であることを教えてくれる」と述べた。しかし、インドの産業保護政策、1990年代初頭まで実践されてきた輸入代替の概念も、インドの産業を強くすることを意図していた。それは、ほとんど成功しなかった。

 毎年労働市場に参入してくる1,000万人以上の若者を雇用するには、高い経済成長率をもってしても不十分である。高い失業率は、依然として喫緊の課題である。新規雇用は不足している。多少の改革は行われたものの、経済は過剰な官僚主義と腐敗に苦しんでいる。選挙後、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、モディはしばしば不明瞭だと結論づけた。レーガンやサッチャーのように、彼は政権の座に就き、政府のサイズを小さくすると約束した。実際には、国は、ほとんどの分野で強硬な支配を敷いた。今のところ、将来に向けた経済構想はまだ未確定である。

 モディは今後も、社会政治面では、独裁的なスタイルの政権運営を続けるつもりだろうか? また、ヒンドゥー教徒以外の全ての人を差別する断固としたヒンドゥー至上主義的政策を続けるつもりだろうか? 彼とその与党であるBJPは、近年、インドをあからさまなヒンドゥー教国家へと変貌させた。2019年、政府はモディのヒンドゥー・ナショナリズム的なインドを確固たるものにするために、特定の市民を疎外する二つの法律を可決した。政府は、憲法が定めるジャンムー・カシミール州の特別自治権を廃止し、中央政府の直轄領とした。同地の人口の大部分はムスリムで、数十年にわたって独立を求めて闘っていた。デモ参加者をデリーはテロリストと見なし、軍は彼らを容赦なく弾圧した。政権は報道を検閲し、インターネットと電話を数週間にわたって遮断した。何千人もの野党政治家やジャーナリストが投獄され、その多くは今日まで収監されている。

 同じ年、「市民権改正法」が可決された。この法律に基づき、2014年以前にパキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンから入国した非ムスリムの移民は全て、インドに亡命する資格を与えられることになった。従って、この法律は明らかにムスリムには適用されず、彼らは自動的に、かつ公然とインド国籍を剥奪されることになったのである。最も有名なインド人現代作家のアルンダティ・ロイは、この法律について、ナチが1935年に定めた血統証明書の提出を義務付けるニュルンベルク法の一種であると述べた。

 モディの3期目の首相任期は、ヒンドゥー教徒をあからさまに優先する、乱暴かつ不正な手段で導入された彼の「ヒンドゥートヴァ」という概念が、今後も支配的であり続けるのかを問うものとなるだろう。ヒンドゥートヴァは、BJPのイデオロギーの中核である。しかし、モディが政権を樹立するために必要とする連立相手の二つの政党は、この概念にきっぱりと反対している。

 多くの民主主義規範がモディ政権によって弱体化された。警察と司法は、BJPの路線に追従し、野党政治家を投獄してきた。警察と法的手段によって大筋で政府に同調することを余儀なくされてきた報道は、政権から自らを解放することができるだろうか? 過去10年間は野党内の不和、陰謀、スキャンダルばかりがニュースになってきたが、いまや力を強めた野党に、多くのことがかかっている。宗教色のない、多文化のインドという憲法の価値観を勝ち取るために彼らは闘うことができるのだろうか、あるいはモディの独裁路線がほとんど無傷のまま続くのだろうか?

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際紛争研究センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF: Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会メンバーを務める。