Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラメッシュ・タクール  |  2023年09月28日

ディアスポラ政治でカナダ・インド関係が一触即発に

Image: Borka Kiss/shutterstock.com

 カナダ・インド関係が急激に悪化している。カナダのジャスティン・トルドー首相の主張によれば、ブリティッシュ・コロンビア州の著名なシーク教指導者で、インドから殺人とテロの容疑で指名手配されていたハルディープ・シン・ニジャールが2023年6月18日に殺害された事件には、インド政府が関与しているという。インド政府はこの告発を「ばかげている」として退け、カナダを「テロリスト、過激主義者、組織犯罪」の「安全な避難所」と非難して怒りをぶつけた。普段はパキスタンにしか使わない表現である。

 トルドーは、オブラートに包んだ言葉遣いをした。カナダ当局は、インド側工作員が「関連した可能性があるという信頼できる情報について積極的に捜査している」が、直接の関与を示す確かな証拠はないというものだ。実質的に、トルドーはモディに対し、われわれはあなた方に罪があると知っている、だから、その証明に協力してくれと伝えたのである。しかし、インド、同盟国、そしてカナダ国民を納得させる責任はトルドーにあり、モディが否定の証明をする責任はない。インド外務省のアリンダム・バグチ報道官は、インドは「具体的な情報が提供されれば、それを検討することにやぶさかではない。しかし、これまでのところ、何も情報を受け取っていない」と述べた。

 正しい手順は、警察に捜査を任せ、殺人の容疑者を告訴し、法医学的分析、目撃者の証言、防犯カメラ/監視カメラの画像、音声・映像証拠という形で当局の共謀の証拠を提出し、そのうえで初めてインドに合同捜査への協力を要請し、必要であればカナダでの公判を進めるために犯罪者引き渡しを求めるということであっただろう。

 それが、パキスタンを拠点とするテロリストによる2008年ムンバイ攻撃の後にインドが踏んだ手順であり、10年後、イスタンブールでサウジ系米国人ジャーナリストのジャマル・カショギが殺害された事件でトルコが踏んだ手順である。レジェップ・タイップ・エルドアン大統領は、ワシントン・ポストへの寄稿でサウジアラビア政府の関与に関する詳細情報まで明かした。トルドー首相が詳細な情報や証拠を示していないため、カナダ国内でも不穏な空気が生まれており、野党リーダー、中道左派新聞のグローブ・アンド・メール、中道右派新聞のナショナル・ポストはいずれも、カナダ国民に全ての真実を伝えるべきだと訴えている。

 インドの怒りの主な焦点は、トルドーの少数与党政権は、政権の維持を新民主党(NDP)の支持に依存しており、カリスタン分離独立派に迎合していると受け取れることだ。カリスタン独立運動は、インド国内では30年前についえたが、独立派テロリストの暴動とそれに対する警察や軍隊による過酷な弾圧という負の遺産をもたらし、それはやがて、インディラ・ガンジー首相暗殺や3千人のシーク教徒が殺害されたシーク教徒虐殺事件へと発展した。当時カリスタンに対しては、パンジャブ州からよりもディアスポラ・コミュニティー、特にカナダのシーク教徒から大きな援助が寄せられていた。シーク教過激派が1985年、カナダからインドへ向かうエア・インディア機を爆破し、カナダ国籍者268人を含む329人を殺害した。これは、カナダの歴史上最大の大量殺人である。

 2021年の米ピュー世論調査では、シーク教徒の実に95%がインド人としてのアイデンティティーを極めて誇りに思っており、70%がインドを軽んじる者は良いシーク教徒ではないと回答し、14%のみがシーク教徒はインドで深刻な差別を受けていると回答した。しかし、カナダでは、カリスタン支持派のシーク教徒が最も政治的に組織立った活動的コミュニティーの一つとして、政府の政策に桁外れの影響力を及ぼしている。彼らはオンタリオ州とブリティッシュ・コロンビア州の郊外に集中して居住していることから、接戦選挙の勝敗を決する上で極めて重要な役割を果たしている。残念ながらトルドーの元外交政策顧問オメル・アジズが言った通り、ディアスポラの機嫌を取る国内政治はしばしば外交政策の優先順位を歪める

 トルドー率いる少数与党政権は、政権の維持をNDPに依存している。NDP党首でありシーク教徒のジャグミート・シンは、インドでは「有名なカリスタン独立推進者にして支持者」と見なされており、それには一定の正当性がある。つまり、良く言えばシンパ、悪く言えば活動家ということだ。インド人はディアスポラ「票田」政治に迎合するトルドーに憤慨し、その一方で母国のトラブルをカナダに持ち込む移民コミュニティーに対し、多くのカナダ人は不安を膨らませている。広く流布されている動画で、ニジャールの弁護士で米国在住のグルパトワント・シン・パヌンは、ヒンドゥー教徒のインド系カナダ人に対してインドに帰れと促している。

 トルドーは、カナダ・インド関係におけるシーク教という要素のセンシティブな性質に驚くほど無頓着であり、カナダからのテロ資金供与に対する積極的な手を打とうとしていない。この問題は、2018年に彼がインドを訪問した際も付きまとった。シーク教徒でパンジャブ州知事のアマリンダー・シンが、ニジャールの名を含む逃亡テロリストの指名手配リストをトルドーに渡したが、悪影響となった。それは、トルドーが2020年にシーク教徒の農民を扇動するような不要な干渉を行ったことにも表れた。トルドーの傲慢な美徳のひけらかしと人種やジェンダーにこだわるアイデンティティー政治を美化する独善性に、インド人は苛立ちを感じている。

 それでも、国際世論という法廷で非協力的なインドの有罪が証明されるなら、インドが全面的非難を受けるのもやむを得ない。しかし、それはトルドーも同じことで、裏付けがないのに勇み足で重大な申し立てをしたと判断されるなら、彼が全面的非難を受ける。カナダ国内と国際社会における自分の立場を悪くし、すでに緊迫しているインドとの関係をさらに悪化させることになる。外交政策においてディアスポラ・コミュニティーがもたらすリスク、そして彼らの行き過ぎた行為をカナダが抑制しようとしないことのリスクに注意が向けられるだろう。南アジア発のもう一つの例は、大勢のスリランカ人の存在と彼らが果たした役割である。多くが活動家に強要され、スリランカ内戦中、「タミル・イーラム解放のトラ」に資金を提供していた。

 これまでのところ、ワシントン・ポスト、そしてカナダの主要全国紙グローブ・アンド・メールが指摘したように、カナダの同盟国は形だけの支持を表明するのみで、旧来の同盟国と成長中の戦略的パートナー国との間でうまく綱渡りをしようとしている。カナダは信頼できる同盟国ではあるが、世界第1級の大国ではなく、安全保障を米国に依存する以外の現実的な選択肢を持たない。そのソフトパワーの資質は、世界がハードパワーの時代へと方向転換した今となっては不利な要素である。インドは、西側のインド太平洋戦略の要衝である。カナダは、中国に対抗する最前線の防波堤として新たに浮上したクアッド・グループ(オーストラリア、インド、日本、米国)にもAUKUS(オーストラリア、英国、米国)にも入っていない。ワシントンにあるウィルソン・センターのカナダ研究所所長クリストファー・サンズはBBCに対し、トルドーの主張は、インドを被告席に着かせること以上にカナダの「弱さが表れた瞬間」を露呈したと述べた。

 モディは、強靱なナショナリストの政治指導者としての人格を築き上げている。ありそうもないことではあるが、インドが指名手配したテロリスト容疑者をカナダで仕留めることに成功したということが立証された場合、国際的な評判に傷がつくとしても、モディの人気は一気に高まり、そのまま2024年の選挙まで行くだろう。2003年のイラク戦争の時のように、西欧を拠点とするディアスポラ・コミュニティーがどれほど秘密工作や軍事介入を煽るかという文脈から見ても、それはまた、自国の利益のために立ち上がることができる国だというインドの評判をグローバルサウスにおいて確立するものとなるだろう。

 インドのS・ジャイシャンカル外務大臣は、2023年9月26日に国連総会で演説を行った際、政治家の王道を選択した。論争には遠回しに言及するに留めつつも、グローバルサウスにおいては十分な効果を発揮するであろう鋭い意見を述べたのである。彼は、「いまだに少数の国家がアジェンダを形成し、規範を定義しようとしている」という現状を非難した。このような状況がいつまでも続くわけがなく、異議を申し立てられるだろう。ルールを作る者たちはルールを受け入れる者たちをいつまでも支配し続けることはできず、われわれは、「テロ、過激主義、暴力に対する姿勢を政治的利便性によって決めることを容認」してはならない。

 インドの対外情報機関が重点を置く地域はインド周辺国であり、諜報活動の手段は銃よりも賄賂と脅迫である。同じ日に外交問題評議会が主催した公開対談で、カナダの非難に関する質問に答え、ジャイシャンカルは二つのことを述べた。インドはカナダに対し、そのような暗殺は政府の方針ではないが、オタワが具体的かつ適切な情報や証拠を提出するならそれを精査すると伝えたということである。

この記事は、2023年9月26日付オーストラリアン・フィナンシャル・レビューの‘Trudeau’s India blow-up is really about domestic politics’および2023年9月27日付ジャパン・タイムズの‘The politics behind Canada and India’s diplomatic tiff’を参考にしたものです。

ラメッシュ・タクールは、元国連事務次長補。現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長、および戸田記念国際平和研究所の上級研究員を務める。「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」の編者。