Climate Change and Conflict エッカルト・ガルベ  |  2021年04月02日

コロナ禍が引き起こした船員たちの太平洋諸島への困難な帰還

Photo credit: Michelmädchen/Flickr

 太平洋の船員たちは、何カ月も母国を遠く離れるのが常だった。しかし、その旅は突如として、多くのドラマとほとんど壮大ともいえるフラストレーションを伴うものとなった。コロナ禍が始まった時、ほとんどいたるところで船員たちは立ち往生した。契約期間を完全に越えても船上に留め置かれ、交代の船員が来るまで待っている者もいた。交代要員が来なければ、船員たちは休みなく働き続けた。また、世界中で渡航制限が行われたために帰宅できない者もいた。感染拡大を抑えるために各国が国境を閉ざすなか、国境を越えた移動は困難になり、高価になり、ときには不可能になった。海で船の乗組員を交代させることは、陸にいるわれわれが見ることのない悪夢となった。これは、われわれが依存する海運による需給連鎖を脅かし、ひいてはグローバル化した貿易全般を脅かした。

 昨年秋以降、この船員交代危機によりキリバス出身の船員グループとツバル出身の数名がドイツの主要港ハンブルクに取り残された。ハンブルクには550人近いキリバス人の船員を雇用する海運会社があり、船員たちは、これらの会社が54年前にキリバスのタラワに設立した海洋訓練センターで訓練を受けた。低地の環礁国であるキリバスは、太平洋のただなかの広大な海域に散らばっている。少ない人口の現金収入という点では、オセアニアで最も貧しい国の一つである。近年は漁業権収入の増加により大きな利益をあげているものの、依然としてコプラ(乾燥ココナツ)の輸出、海外からの援助、そして特に船員たちからの送金に依存している。船員の収入はキリバスのGDPの10%近くを占める。

 キリバスとツバルは、WHOがパンデミックを宣言した際にいち早く徹底した国境封鎖に踏み切った国であり、今日に至るまで新型コロナの感染が発生していない。しかし、その代償として、学生や船員などの在外キリバス人のほとんどが足留めを食らい、帰国できなくなった。政府は適用除外をほとんど認めず、本国送還便の運航もわずかであった。この状況が長引き、海運会社は、雇用する船員が家族とともに休暇を過ごせるよう、国際海事規則に従って彼らを本国に送還する方法を見つけられなかった。そこで海運会社は、船員を世界中に散らばらせておく代わりに、全員をハンブルクに呼び集めることにした。

 太平洋諸島の船員たちは、船ではなく航空便でハンブルクに入った。到着時の天候は寒く、じめじめして、暗く、霧がかっており、船員たちは2週間の隔離期間を経た後、町はずれにあるユースホステルに移され、そこでもまたドイツのコロナ関連の制限措置を厳格に守らなければならなかった。現地に留め置かれた人々はクリスマスまでに100人に達し、中には2年近くも故郷を離れている者もいた。カトリック船員ミッション「ステラ・マリス」(Stella Maris, the Catholic’s Seamen Mission)と(プロテスタントの)ドイツ船員ミッションが彼らの世話をし、靴、暖かい衣服、多少の快適性を提供し、海運会社が費用を支払った。しかし、船員の出身国である太平洋諸国の政府は、彼らを島に帰還させる努力をあまりしていないように見えた。恐らく、それによって島国にウイルスが持ち込まれることへの懸念があまりにも大きかったからだろう。

 家族と再会できる見込みがまったくないまま外国に留め置かれ、言葉も分からず、不慣れな食べ物を食し、船上の慣れた生活とはあまりにも異なる生活を送ることは、船員たちの心理に深刻な悪影響を及ぼし、アルコール依存症のような問題をもたらした。また、船員たちは仕事を失うことも心配していた。そうなれば故郷の親族は大変なことになる。なぜなら、船員たちは、良い稼ぎがある唯一の働き手だからである。額が減っているとはいえ、小さな島国キリバスにとって、船員たちの送金が国家収入に占める割合はいまなお大きい。

 ハンブルク滞在中、現地の人々は「イ・キリバス」(キリバス人)船員たちの運命に関心を持つようになった。おそらく、気候変動の影響によりこれらの環礁国が今後直面する試練も話題になったからであろう。人々は寄付をし、ボランティアが支援をし、医師たちは無償で医療を提供し、「南ドイツ新聞」、「デア・シュピーゲル」、「ディー・ツァイト」といったドイツメディアがリポートし、現地テレビ局が船員たちの運命について月2回の特集番組を放送した。船員たちは、現地のコロナ対策規則を厳守しながら、クリスマスを祝い、教会の礼拝に出席することができた。2021年1月22日に核兵器禁止条約が発効した際、彼らはドイツ人の仲間の助けを借りて平和記念式典を開催し、太平洋地域のさまざまな場所が過去の核実験により被害を受けたこと、そしてこれまでにキリバスとツバルを含む10カ国の太平洋島嶼国が核兵器禁止条約を批准したことを改めて訴えた。厳しい寒さにもかかわらず、式典はユースホステルのガーデンエリアで開催され、伝統的なダンスの素晴らしい演技が披露された。その後、子豚の丸焼きなどのごちそうが振る舞われた。

 船員たちにとってハンブルクは安全な避難場所であり、彼らの人数は140人を超えるまでに増えたが、いつになったら帰国できるのかは誰にも見当がつかなかった。夜、島にいる妻や親族とチャットをする中で、彼らはさまざまなうわさが流されていることを知った。そこで彼らは、もっと積極的になり、出身国の政府に圧力をかけることを決めた。ドイツ人司教たちが島嶼国政府の注意を喚起する書簡を送り、大使館が外交レベルで関与を行った。海運会社が再度支援を提供し、キリバス船員の妻と家族の会(Seaman’s Wife and Family Association in Kiribati)もいくぶん声高になった。キリバスは少なくとも2021年3月まで国境を封鎖することを宣言していたが、ツバルは足留めされていた残りの船員たちの本国送還を開始した。3月半ばにはキリバスも後に続き、船員たちはさまざまなルートでフィジーに向けて発つことができた。現在、約300人の船員がフィジーのナンディに足留めされており、キリバスへの定期便の席は確保されていない。この驚くべき旅路からついに帰宅する頃には、彼らは3~5回の検疫や隔離と十数回の検査陰性を経ていることだろう。

 彼らと話していると、「なぜ彼らの島の政府は、家に戻りたいという彼らの切羽詰まった要望に対応するのに、こんなにも信じられないほど長くかかったのだろうか?」という疑問が残る。2019年にキリバスが台湾と断交し、突如として北京に忠誠心を切り替えたことを知っているため、この遅さは意図的なものではないかと疑う船員も少なからずいる。船員たちが欧州の海運会社でのまともな仕事を失うことを政府がそれほど気にしていないのだとしたら、彼らはそのうち、中国船や、果てはとんでもない条件を提示し、ひどい賃金を支払う低水準の会社が運航するトロール船や漁船に流れ着くことになるのだろうか? 国際海運業における中国の支配がますます拡大するなか、そのような可能性は、たとえ将来的な懸念に過ぎないとしても、船員たちを怯えさせているようだ。

エッカルト・ガルベは、ハンブルクを本拠とする広報専門家。40年近くにわたり太平洋地域の各地でコンサルタントとして活動しており、特にオセアニアとメラネシアに地理的重点を置いている。その間、ドイツの2国間支援プログラムの責任者を務め、政府、教会、非政府組織との協力を行ってきた。経済学と社会学の学位を有する。