Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ハルバート・ウルフ  |  2023年03月01日

チキンゲーム

 ウクライナ戦争では、両陣営が発言も軍事行動もエスカレートさせている。何を得るためか? 戦争をディエスカレートする、勝利する、あるいは凍結するため、交渉に有利な立場を固めるため? いつになったら交渉の機が熟し、戦争を終結させるにふさわしい実証済みの紛争解決パターンが見いだせるだろうか?

 ウクライナ戦争は、弱まることなく続いている。終わりは全く見えない。ロシアの攻撃とウクライナの防衛は、いまや消耗戦へと変わっている。現在ウクライナ東部の極めて狭い地域のみが、制圧あるいは奪還が進んでいる。西欧のメディアでは、物事はたいがい白か黒かで描かれ、ウクライナへの武器供与に賛同せず、交渉を訴える者は、たちまちプーチン・シンパとレッテルを貼られる。しかし、現実はもっと複雑であり、どちらが加害者で(ロシア)どちらが被害者か(ウクライナ)を繰り返し指摘する必要はあるものの、自分に都合の良い軍事的決定のみに依存するだけではいけない。

 両陣営の現在の戦略は、軍事的勝利を期待したエスカレーション、または恐らくいずれディエスカレートするためのエスカレーションと言い表すことができるだろう。ロシア指導部は、核兵器使用の可能性に繰り返し言及し、言説をエスカレートさせた。これを受けて、ウクライナ支持者らは、より効果的な武器の供与と制裁の強化をこれまで以上に誓った。その意図は、いかなる状況においても軍事的勝利という目標を放棄することはないという意志を敵に示すことである。この対立において、ロシアと西側が、ウクライナにおける勝利のみならず、将来における地球規模の国際関係のためにも戦っているという点が重要である。交渉による解決を目指すもう一つの動機は、高名なシンガポールの外交官であり学者であるキショール・マブバニが主張するように、紛争が長引くにつれてロシアもNATOも評判の低下に直面しているという認識であるべきだ。

 このエスカレーションのメカニズムは、1950年代にエスカレーション理論家が提唱した、エスカレーションのあらゆる段階においてその後の事態の成り行きをコントロールし続けるというコンセプトに(暗に)基づいている。極めて問題の多い前提である。

 ロシアによる核兵器の威嚇は、1960年に発表されたトーマス・シェリングのゲーム理論(『紛争の戦略―ゲーム理論のエッセンス』)を思い起こさせる。当時の核兵器による抑止シナリオを説明するために、彼は、若い米国人男性たちが自動車で互いに向かい合って猛スピードで走行し、どちらが先に衝突を避けるために逃げ出すかを試すという危険な習慣を取り上げた。シェリングは、命懸けのレースを最も確実に制するドライバーは自分のハンドルを窓から投げ捨て、自分がもはや車を制御できなくなったことを相手に知らせると結論付けた。

 このようなギリギリのレース以外にどのような方策があるか? 今になって交渉か? 現時点でどちらの側も本格的な交渉を行う用意はできていない。本格的な交渉の基盤があるなら、そもそもロシアの侵攻は起こらなかっただろう。元スイス外交官であり、多くの紛争で(ネパール、スーダン、カメルーンにおいて、およびOSCEの南コーカサス特使として)仲介者の役割を果たしたギュンター・ベヒラーは、時間的要因の重要性を的確に指摘する。交渉を成功させる前提条件として紛争の「成熟性」を挙げるウィリアム・ザートマンと同様、ベヒラーはこう書いている。 「……戦闘が終わりのない消耗戦に陥り、指導者層の権力を弱体化させ、彼ら自身の政治・軍事システムを分断しない限り、信頼に足る交渉はほとんど見込めない」。憂鬱な結論は、現在ロシアにもウクライナにもそのような状況は存在しないというものだ。

 この戦争がどのように続き、いつ終わらせることができるかを見極めるには、過去の紛争を検討することが有益である。もちろん全ての紛争は異なり、それぞれの条件にも違いがある。それでもなお、紛争にはパターンが存在し、ウクライナの将来のヒントになり得る紛争解決のパターンも存在する。米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院の歴史学者であるセルゲイ・ラドチェンコは近頃、「ニューヨーク・タイムズ」紙への寄稿で朝鮮戦争との類似性を指摘した。この戦争は、決して終わっていない。ほぼ70年前の1953年7月、休戦協定と非武装地帯の設定により戦争が凍結され、朝鮮半島は二つの別々の国に分断された。

 もちろん、1950年代初頭の朝鮮半島は現代のウクライナの状況と同じではない。しかし、朝鮮戦争とウクライナ戦争の類似性は、もっかの紛争にとって吉兆とはいえない。当時の関係国の一部が、今日のウクライナにおいてもなお主要なプレイヤーであることは興味深い。共産主義の北軍を支援したソ連および中国と、国連の委任を受けて南軍を支援した米国および同盟国である。朝鮮戦争は、1950年から1953年までシーソーゲームだった。現在のウクライナの場合と同様、北軍も南軍も、それぞれの支援者も、軍事的勝利を期待していたがゆえに戦争を速やかに終わらせるつもりはなかった。当初は北軍が、首都ソウルを含む南部のかなりの部分を占領した。米軍の介入により北軍は押し返され、米軍が北部の一部を占領した。中国「人民志願軍」の参戦とスターリンのソ連の加勢により、南軍と米軍は38度線まで撤退を余儀なくされた。

 1951年半ば以降は、いずれの側もこれといった軍事的成果を挙げられなかった。戦況は膠着状態になった。にもかかわらず、激しい戦闘が行われた。米軍は北部のインフラを爆撃し、供給線は破壊され、重火器同士の戦闘は深刻な損害をもたらし、戦争末期までに一般人と兵士を合わせた死者は推定300万人から450万人に上った。犠牲の大きい塹壕戦であった。

 最初の1年が過ぎた時点でどちらにとっても軍事的勝利は不可能であることが明らかだったにもかかわらず、休戦に至るまでに交渉は2年間も続いた。1953年のスターリン死亡後、ソ連の新指導部は軍事的勝利が不可能であると結論付けた。1953年7月27日の休戦協定により、交戦前の原状を回復し、38度線で国を分断することが確定した。今日に至るまで、朝鮮半島は紛争凍結状態のままである。和平協定はついぞ締結されず、南北国境付近のいわゆる非武装地帯は世界で最も重武装した国境の一つとなっている。

 朝鮮戦争の休戦を監視するために当時設立された中立国監視委員会は、いわゆる中立国(兵力をもって参戦していない国)で構成され、北側ではポーランドとチェコスロバキアが指名され、南側ではスウェーデンとスイスが指名され担当した。休戦協定以降の70年間に、中立国監視委員会があるにもかかわらず、国境付近の小規模な軍事衝突は幾度となく起きている。北朝鮮の核兵器プログラムは脅威であるが、北朝鮮もまた韓国軍とその同盟国である米国を脅威と表現する。まさにだからこそ、この休戦協定が犠牲の大きい新たな戦争を70年間にわたって防いでいるのは驚異的なことといえる。

 ウクライナの戦争終結にも、中立国が重要な役割を果たすことができるだろう。例えばインド、南アフリカ、ブラジル、インドネシアなどである。セルゲイ・ラドチェンコは、ウクライナに関する興味深い、同時に憂鬱な結論を朝鮮戦争の経験から引き出している。「しかし、今後数カ月の間にどちらの側もこれといった成果を挙げられなければ、戦争は停戦に向かう可能性が高い。ウクライナ側は、恐らく領土の全面奪還はならないものの、侵略的な敵国をかわしたことになる。一方ロシア側は、戦略的敗北を戦術的勝利と取り繕うことができる。紛争は凍結され、理想からは程遠い結果となるだろう」。紛争凍結は武力戦争よりはましだが、コーカサスなどにおける紛争凍結の歴史は、それらがいつでも再び武力戦争に発展し得ることを示している。

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。