Climate Change and Conflict 松下和夫 | 2020年10月31日
コロナ禍からのグリーン・リカバリーと日本における炭素中立社会の実現に向けた課題
コロナ禍は、世界の情勢を一変させた。副次的効果の一つは、世界的に経済活動と人の移動が制約された結果、大気汚染と温室効果ガス排出量が減少したことである。これを受け、復興の過程でより持続可能かつ健全な社会を創出しようという声が高まっている。いわゆる、「グリーン・リカバリー」(緑の復興)である。
現在、各国政府は、コロナ危機からの復興を支えるため、所得補償や「休業補償」などの緊急対応策の実施と並行して、中長期的な経済対策を実施している。これらの対策の規模は過去最大級であり、その内容は、今後の各国の社会構造に大きな影響を及ぼすことから、きわめて重要である。
国連事務総長、グローバル企業のCEO、その他のリーダーたちは、より強靭でより持続可能な、より良い状態への復興を目指すべきであり、経済刺激策は脱炭素社会を実現する機会として活用するべきであると提言している。
欧州連合(EU)は、「グリーン・リカバリー」の動きで先頭を走っている。コロナ禍による景気後退にもかかわらず、EUは、「欧州グリーン・ディール」を堅持し、着実に推進していくことを明確にしている。欧州グリーン・ディールとは、経済、生産、消費を地球と調和させることによって温室効果ガス排出量の削減に努める(2030年までに1990年の水準より55%削減、2050年までに実質ゼロ)と同時に、雇用の創出とイノベーションを促進する成長戦略である。
成長戦略としての欧州グリーン・ディールは、現行の経済システムを変革し、環境保護の取り組みを通して成長を実現する経済システムを生み出すことを目指しており、パリ協定が求める「脱炭素経済」を始動させることが、21世紀において持続可能な経済発展を遂げる唯一の道であると認識している。脱炭素化投資は、最も緊急性の高い投資項目であり、早期に脱炭素経済に転換すれば、先行者利得を得ることも可能である。
気候変動対策を経済復興の柱とするグリーン・リカバリーは、世界経済、特に欧州においてトレンドとなりつつある。
2020年7月21日、EU首脳は、コロナ不況後の経済再建を促す「次世代EU」復興基金の設立に合意した。これは、EU予算とは別に7500億ユーロを債券発行により調達するもので、そのうち3900億ユーロを補助金に、3600億ユーロを融資に充てる。2021~2027年のEU次期7カ年中期予算案(約1兆743億ユーロ)と復興基金を合わせると、過去最大の1兆8243億ユーロの規模となる。そのうち、「少なくとも30%」が気候変動対策に充てられ、最大規模の環境投資を伴う景気刺激策となる。資金の返済は、EU予算における将来収入(2028年~58年)を充てる。その財源候補として、排出量取引制度(ETS)のオークション収入や国境炭素調整メカニズムなどが言及されている。
EUは、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「グリーン移行」を促進しながら、経済を刺激し、雇用を創出するという成長戦略を掲げている。復興基金は、(1)国の重要な気候・エネルギー計画であること、(2)欧州グリーン投資分類(タクソノミー=taxonomy)上のグリーン投資に認定されること、(3)SDGs(持続可能な開発目標)予算との整合性を取ることを採択条件として、加盟国や地域へ供与される。
次世代EU復興基金の設立により、今後、再エネ、水素、交通システムなど、次世代の技術や産業の分野でEUが一層先行すると思われる。
それに対し日本では、これまでに実施された緊急経済対策は、グリーン・リカバリーの視点が含まれていない。日本は、気候変動対策における長期戦略の欠如と行動への消極性ゆえに、長らく国際社会から批判されてきた。グリーン・リカバリーの課題は、日本にとっても差し迫った問題なのである。
この課題に取り組む前提条件として、日本政府は、パリ協定に基づく温室効果ガス削減目標を強化し(2030年までに1990年の水準より少なくとも45%削減、2050年までに炭素中立)、国内における石炭火力発電所の新規建設を中止し、海外の石炭火力発電所に対する公的資金による支援を停止し、再生可能エネルギーの普及を加速しなければならない。
しかし、日本はいまなお、石炭火力発電所の新規建設を急ピッチで進めている。パリ協定後の世界では、再生可能エネルギーが電源間競争の勝者となり、分散型電力システムへの移行、デジタル化、脱炭素化が主流となる。日本の電源関連業界は、これらの潮流に背を向けてきた。日本の多くの経営者は、気候変動対策を新しいビジネスチャンスとしてではなく、「コスト上昇要因」としてのみとらえ、脱炭素化の困難性を強調してきた。このような状況では、脱炭素化した製品やサービスの開発を目指す熾烈なグローバル競争で後れを取り、国際競争力を喪失することになる。
気候変動対策は本質的に、人々の幸福の質を高めるために貢献する経済システムへの移行を目指すものである。気候変動対策としての景気刺激策は、持続可能なインフラや新規技術の開発など、将来への投資と捉えることができる。
コロナ禍からの復興策が化石燃料集約型産業、航空業界、観光業界への支援に限定されるなら、たとえ短期的な景気回復が実現できたとしても、脱炭素社会に向けた長期的な構造改革にはつながらない。日本の長期的な経済復興計画は、脱炭素社会への移行とSDGsの実現に寄与するグリーン・リカバリーであるべきである。
追記: 10月26日の菅首相の所信表明(ネットゼロ宣言)と日本におけるゼロカーボン社会実現に向けた課題
本稿脱稿後の2020年10月26日、菅首相は国会で所信表明演説を行った。演説で菅首相は、「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします。」と述べた。約120カ国がすでに、2050年までに実質ゼロ排出というパリ協定の目標を掲げている中で、これは、遅きに失しているとはいえ歓迎すべき動きである。
とはいえ、現状の政策の延長線上では「50年に実質ゼロ排出」達成はおぼつかない。この目標の実現に向け、2030年目標の強化、石炭火力発電の段階的廃止、再生可能エネルギーの抜本的拡大、カーボンプライシングの本格的導入、原子力発電への対処など、解決しなければならない課題は山積している。
菅首相は、二酸化炭素の回収・貯留・有効利用(CCUS)、水素やアンモニアによる発電などの革新的イノベーションの必要性を強調している。しかし、これらの技術開発は、環境への影響や経済的実行可能性など不確定要素が大きく、実用化の時期は不確かである。
直ちにしなければならないことは、既存技術でできる対策、すなわち石炭火力発電の段階的廃止を早め、発電における化石燃料の使用を減らし、再生可能エネルギーの使用を大幅に拡大することである。その移行を促進する政策として、再生可能エネルギーを中心とする電源構成への転換や、送電システムの改革とともに、炭素税や排出量取引の導入の必要性も強調しておきたい。
いずれにしても、2050年までに実質ゼロ排出を目指すという首相の所信表明をまたとない契機とし、日本が脱炭素化された持続可能な社会に向けて大きく舵を切ることを期待したい。
松下 和夫は京都大学名誉教授、国際アジア共同体学会(ISAC)理事長、地球環境戦略研究機関シニアフェロー、日本GNH学会会長、国際協力機構(JICA)環境ガイドライン異議申立審査役。環境行政、特に地球環境政策と国際環境協力に長く携わってきた。