Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラメッシュ・タクール | 2022年01月13日
ブレア元英首相のナイト受勲が示す歴史の嘲笑
Illustration: Quinn Dombrowski/Flickr
この記事は、2022年1月6日に「The Strategist」に初掲載され、許可を得て再掲載したものです。
銀行はかつて、マスクをした強盗を恐れていたが、いまやマスクをしない顧客を恐れている。歴史の皮肉である。しかし、歴史の嘲笑もあるのではないか? 1984年のノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ元大主教が、ケープタウンでボクシングデー(12月26日)に死去した。10年近く前、ヨハネスブルグでツツ元大主教はトニー・ブレア元英首相と同じ壇に上がることを拒否し、ブレアは戦争犯罪の罪を負ってハーグで被告席にいるべきだと述べた。
ツツは、ブレアが国際的な講演活動に参加している一方で、なぜアフリカの指導者たちが国際刑事裁判所で審問を受けなければならないのかと鋭く問うた。英米によるイラク侵攻の「不道徳さ」を思い起こしつつ、彼は「オブザーバー」紙に、「一貫性のある世界であれば、このような苦しみと人命の喪失に対して責任のある者は、アフリカやアジアの戦争犯罪者がハーグで罪を問われたのと同じ道を歩んでいるはずだ」と書いた。
ツツの死去から1週間も経たないうちに、ブレアは新年の叙勲リストに最も高貴なガーター勲章のナイト・コンパニオンとして記載された。ストップ・ザ・ウォー連合(Stop the War Coalition)のリンジー・ジャーマン議長は、この「信じられない」ニュースを聞いて「仰天した」という。「これは、イラクとアフガニスタンの人々、そしてイラクでの戦争に抗議し、それが正しかったと証明された人々にとってとんでもない仕打ちであると思う」。アンドリュー・ピアースは、「デイリーメール」紙に「彼が築いた真のレガシーを損なう強欲、虚栄、愚かさ」について書いた。王室によるこの叙勲は、首相や内閣の承認を得る必要がない。女王にナイト叙勲の取り消しを求める運動は、1月4日までに65万筆を超える署名を集めた。
イラクは、永遠にブレアの政治的墓碑銘であり続けるだろう。違法な侵略戦争に国家を巻き込むために、証拠と国民の意見を公式に隠蔽し操作することを表す不朽の一例である。バーバラ・タックマンは『愚行の世界史(The march of folly)』の中で、歴史上の人物たちは自国の利益に反する破滅的な決定を下しており、現代の目から見るとその決定が国益を損なうもので、当時においても別の選択肢があったことが分かると主張した。
イラク戦争は、史上最も重大な結果を招いた外交政策の大失敗のひとつであったことが証明された。そこには、描かれたビジョン、追求された目標、用いられた手段、血と財と評判によって支払われた代償、そして、得られた結果の間に、大きな隔たりがある。2003年から20年近く経った今も、批判が和らぐことはほとんどなく、むしろいっそう裏付けられ、深まっている。
この戦争が引き起こした一連の出来事は、アフガニスタンからリビアに至る地域全体を無秩序な混乱に陥れ、国土の荒廃、社会の破壊、国体の機能不全をもたらした。侵略者たちは、攻撃時に想定されたものとは全く違う国を残していった。占領は侵略とは異なりはるかに困難であると証明された。国家構築はそれよりさらに厳しいものとなり、いまだに長引いている。
英国がイラク戦争で果たした役割の根拠と運用を検証したチルコット報告書は、従来の常識を人々の意識に深く刻みつけた。報告書には、次のように書かれている。
英国は、平和的な軍縮の方策を尽くす前にイラク侵略に加わることを選んだ。軍事行動は当時、最終手段ではなかった……。
イラクの大量破壊兵器(WMD)がもたらす脅威の大きさに関する判断は、正当性のない確証をもって下された。
明白な警告があったにもかかわらず、侵略がもたらす影響は過小評価された。サダム・フセイン後のイラクに関する計画や準備は、まったく不十分だった。
ブレアは、予想通りチルコットの判断を退けた。
戦争を企てた中心人物は、ジョージ・W・ブッシュ米大統領である。しかし、それを可能にするためにブレアは不可欠だった。彼が明白かつ断固とした支持を世界に訴えなければ、ブッシュは意見を通すために必要な国内の支持を集めることはできなかっただろう。2002年9月の「dodgy dossier(信用できない文書)」の前書きでブレアは、サダムの「軍事計画では、一部のWMDが使用命令から45分以内に準備できる」と書いている。これは後にフェイクニュースと判明したが、党、議会、国民を挙げて戦争突入を決定するうえで不可欠だった。
英国の情報機関は2002年4月(戦争の1年前)、ブレアに対し、サダムは核兵器を持っておらず、それ以外のWMDも「非常に、非常にわずか」であろうと報告した。チルコットの調査では、ブレアはこれを受け入れたが、ブッシュのテキサス州クロフォードの牧場を訪れた後、ブッシュの考え方に転向したと報告された。このことは、英国の外交政策補佐官マシュー・ライクロフトが2002年7月23日に書いた悪名高いダウニングストリート・メモ(MI6のリチャード・ディアラブ長官によるブリーフィングをまとめたもの)によっても裏付けられている。ブッシュは、戦争に突入する決意を固めており、軍事行動は不可避と見なされていた。しかし、英国の政府関係者たちは、それが法的に正当化できるとは考えなかった。そのため、「政策に合わせて情報や事実が修正された」。
ブレアの「スピンマイスター(広報担当者)」を務めたアラステア・キャンベルは、証拠を求める批判者らを中傷する運動を指揮した。イラク侵略の根拠の欠如を問う人々は、「バグダッドの虐殺者」の擁護者だと決めつけられた。また、英国の科学者デビッド・ケリーの自殺による死についても、ブレアは部分的責任を免除されるべきではない。デビッド・ハンケが2010年10月に「ガーディアン」紙に書いたように、ブレア政権は、イラクのWMDとそれらが英国にもたらす脅威に関する嘘やごまかしから注目をそらすために、ケリーがBBCの記者と話したことについて嘘をついた「罪」を強調するという「最低な振る舞い」をした。立派な人物が、政府のごまかしを隠蔽するために死ぬまで追い詰められたのである。
また、ブレアはブッシュとともに、明確な出口戦略がないまま戦争を始めた過失責任がある。米国は、イラクでの迅速な勝利、その後の安定した地域での強固な民主主義政権の樹立、秩序ある撤退の代わりに、泥沼にはまり、結局は疲弊し打ちひしがれた征服者として帰国し、海外に介入しようという意欲を失ったのである。
ブレアは、チャールズ・ディケンズの『荒涼館』に登場する人物を思い起こさせる。「サー・レスターは、いつも自己満足に浸って、めったに退屈などしない。することがないときはいつも自分の偉大さを眺める。これほど広大な眺望を持っているというのはかなりの強みである(引用部分の翻訳は佐々木徹訳『荒涼館』岩波文庫より)」。おそらくブレアは、その代わりに歴史を嘲笑しているのだろう。
ラメッシュ・タクールは、国連事務次長補を努め、現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長を務める。近著に「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」 (ルートレッジ社、2022年)がある。