Cooperative Security, Arms Control and Disarmament スベレ・ルードガルド  |  2020年12月07日

核兵器禁止条約と「これまで通り」の間で:「核の傘」の下にある国々の役割

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 核兵器禁止条約(TPNWまたは禁止条約)は、核の傘の下にある国々の矛盾した取り組みを明らかにする。それらの国々の多くは核軍縮を強く支持しながら、一方で核兵器の重要性を強調し、核近代化を継続している同盟国の政策に賛成している。

 禁止条約を下支えする人道上のナラティブは、核兵器使用のリスクと使用された場合の人道上の結果を強調する。核兵器保有国は自分たちが軍縮を進めない理由を、国際的な安全保障環境に関連付けて説明する。大国間の関係があまりに緊張度が高く複雑なものであるため、新たな軍備管理および軍縮の合意ができなくなっている。

 2020年9月21日、核の傘の下にある22カ国の56名の指導者が禁止条約を支持する公開書簡を発表した。彼らの見解は、「これまで通り」は破滅を招く行為であり、したがって継続可能な選択肢ではない。彼らは自国の防衛における核兵器のあらゆる役割を非難した。

 国際安全保障のナラティブからも同じ結論を導くことができる。ここでの重要な問題は、核兵器に与えられた役割の信憑性とされるものである。核の傘は、同盟国が攻撃された場合、米国が、必要であれば攻撃国に対する核兵器使用を保障するものと考えられている。年月が経過し、この推定を補強するような新たな兵器が導入され、その一部はヨーロッパにも配備されているが、根本的な信憑性の問題は依然として残る。

 シャルル・ド・ゴールは、米国はパリのためにシカゴを犠牲にするはずがないと述べた。1979年、ヘンリー・キッシンジャーはこれに呼応し「ヨーロッパ諸国は、アメリカが与えようもない保証を求めるべきでない」と注意を促した。NATOとワルシャワ条約機構の間で戦争が起きたとしても、米国はソ連に対して兵器を使用しないだろう。そのようなことをすれば米国の領土に報復を招くからである。このロジックは強固で、曖昧さが入り込む余地はなく、今日も同様に有効である。声明文や戦争マニュアルを読むまでもなく分かることだ。この利害の普遍性は、暗黙の理解により完璧に機能する。もちろん、核戦争がコントロール不能となり戦略的なレベルにエスカレートすることはあり得るし、その可能性がゼロではない以上、核の傘の信憑性を完全に無視することはできない。しかし、間違いなく米国もロシアも、自国の領土を聖域としておくためにできることは何でもするだろう。

 今日、米国はヨーロッパにおいて、1971年時点の7300個からは削減されたが、5カ国に150個規模の無誘導爆弾を保有している。これらの爆弾は、米国の制御の下で、ホスト国に譲渡され、核兵器投射のために認定された航空機によって使用される可能性がある。ヨーロッパ諸国がこれをヨーロッパ内の標的に使用するとは考えにくく、米国も報復を恐れて、ロシアに対して使用することはないだろう。したがって、これらの核兵器の価値は象徴的かつ政治的なものであって、NATOの結束に対する共通の信念を発信しているのだといわれている。また、核兵器が同盟を維持するために必要な接着剤であるとの主張もある。しかし、核兵器が信憑性のテストに合格しないならば、偽りの政治を忘れて、それを維持してきたとされる物理的な配備をやめる時ではないだろうか?“必要な接着剤”論も同様だ。そんな空虚なシンボルに依拠していたなら、同盟の結束などとうの昔になくなっていたのではないだろうか?

 国際安全保障のナラティブは、したがって、人道上のそれと同じ結論に導かれる。すなわち核の傘の下にある国々は、自国の防衛を、使えない核兵器ではなく通常兵器に賭けることで最も報われるということだ。この結論は、INF条約が瓦解し新たな軍拡に直面している現在、とりわけ妥当である。このような環境において、安全保障のジレンマが内在することで知られる従来の作用・反作用という考え方に固執し、その他の選択肢の比較分析を怠っていることは嘆かわしく、不十分である。それでも官界には、同盟国の間に深刻な意見の相違や分断をもたらすとの恐怖から、これらの事柄の協議に対する嫌悪感がある。

 核の傘の下にある国々が直面しているジレンマは厳しいものだ。これらの国の大半で、禁止条約に加盟すべきだとの大きな世論がある一方で、NATO加盟国であり続けることにも強い支持がある。核兵器とのあらゆる絆を絶つことと、同盟の加盟国であり続けることは両立するのか? 両立するという人々もいる。彼らは、同盟は核保有国と非核保有国の集合体であり、これまで何度も、加盟国は米国およびNATOの政策の一部の要素から距離を置いてきたこと、および、フランスはNATOの軍事部門から離脱したが、他の国々を動揺させることなく、政治協力においてはその一部であり続けていることを指摘する。両立しない、という人々もいる。彼らは、大国の圧力の前では、とりわけともに行動することに同意できない場合において、小国はそれに伴うリスクを冒すことに尻込みしがちであると付け加える。

 そのため、政治家らは現実的な妥協点を模索している。その一つは、TPNW加盟国の第1回会合へのオブザーバーとしての参加を表明することだ。それは、核兵器禁止賛成派を満足させるには十分ではないだろうが、核兵器保有国を悩ませるには十分だろう。もう一つは、ヨーロッパおよびアジアの核の傘の下にある国々の間で、TPNWとNPTにどのように関わるかについて協議を開始することだ。古い条約(NPT)が顕著に弱体化している一方で、新しい条約(TPNW)はその力を主張している。この二つの間の関係性は議論に値する。核の傘の下にある国々は、自国をこの間に位置づけ、それぞれの条約の支持者の間の論争を改善することができるだろう。一部の国々はさらに、同盟の態勢のうち核に関する側面からは距離を置き、その共通したあり方を容認することを求めていくこともできよう。

 「これまで通り」は問題であって、解決策ではない。現在の国際安全保障状況に鑑みて、それに関する異論はほぼないはずだ。そうであれば、これまでに確立された立場の再考が促されるため、かなりのことが達成される。そうでないのなら、議論の力は惰性の力に相対し続けることになる。

スベレ・ルードガルドは、ノルウェー国際問題研究所(NUPI)の元所長(1997~2007年)であり、現在は同研究所の上級研究員を務める。また、東京にある戸田記念国際平和研究所の上級研究員である。