Contemporary Peace Research and Practice ハルバート・ウルフ  |  2021年08月22日

アフガニスタン: 過ちと混乱から学べるか?

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 20年に及ぶアフガニスタン政策の災禍が終わった。西側諸国は、自らの政策が砕け散るのを目の当たりにし、タリバンが復権した今、アフガニスタンの未来は先が見えない。状況はあまりにも複雑で、多くの未解決の問題に確かな答えを見いだすことは難しい。とはいえ、本論では、立証済みの心理学的法則や政治学理論の概念のいくつかを再検討し、少なくとも、なぜここまで物事がうまく運ばなかったのかを解明してみたい。訳知り顔の解説をするつもりはなく、むしろ悲観的な予想にもかかわらず、過ちに関する公正な分析に寄与するものとなるはずである。

 第1に、われわれはなぜ、同じ過ちを何度も繰り返すのをやめないのか? カブールで破滅的状況が起きている今日、1975年に米軍がサイゴンから撤退する様子を写した写真が使われるのは、無理もないことだ。いみじくもマーク・トウェインが指摘したように、歴史はそれ自体が繰り返すわけではないが、韻を踏むのである。その結果は、しばしば似通ったものとなる。米国が2001年のニューヨークとワシントンにおけるテロ攻撃を受けて連合を形成し、アルカイダを壊滅させるためにアフガニスタンに侵攻した際、その目的は同様の恐ろしいテロ行為を防ぐことだった。それは部分的には成功した。なぜなら、アルカイダはほぼ壊滅したからである。しかし、そこでさらに高い目標が設定された。彼らは、アフガニスタンに民主主義国家を樹立しようとしたのだ。アフガニスタンは、正当な中央権力が存在せず、部族と部族間の抗争、村落と宗教構造を特徴とする社会である。このアプローチは完全なる失敗に終わった。最初から非現実的だったためだ。女性の権利や女子教育の強化など、多くのことが達成された。しかし、それは外部から社会に押し付けられたアプローチであるため、持続可能ではなかった。開発協力の要である現地社会の主体的関与は、軍事介入において真剣に試みられることはなかった。ベトナムでも同様の過ちがあり、イラクに民主政権を樹立する試みは失敗し、マリで現在行われているミッションも同様の結果を迎える可能性が高い。

 われわれは、過ちを繰り返さないためにはそれを認識し、理解すべきであることを心理学によって知っている。その一方で、過ちを完全に防ぐことはできず、過ちを是正する適切なアプローチに重点を置くべきであることも知っている。しかし、これは口で言うほど易しいことではない。どうしてかというと、人は過ちから学ぼうとせず、これまでの行動に磨きをかけようとする傾向があるからだ。

 第2に、このような振る舞いは「裸の王様」に似ている。デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1837年に書いたこの有名な童話で、2人の詐欺師が王様のために新しい服を作った。それは非常に珍しいもので、愚かでない者だけが見ることができる。王様も、人民も、その服が全く見えないことを認めたがらなかった。よく知られているとおり、いかさまは見破られる。アフガニスタンの戦争は、公式見解によれば本当に戦争というわけではないという。例えば、ドイツ連邦軍の人員は当初、開発援助要員の任務に就くことになっていた。少なくともドイツ国民向けにはそういうことになっていた。その後、任務は「安定化ミッション」となり、次いで、いわゆる進捗報告書に進展状況が発表された。批判的な声(王様が服を着ていないのを見て、それを大声で叫んだ少年)は聞こえてこず、あるいは脇に押しやられた。一度決めたコンセプトを遂行するために、もっと多くの資金、もっと多くの資材、もっと多くの兵士、もっと多くの開発援助要員が必要だ。しかし、アフガニスタン政策には恐らく、1906年に実際に起こった事件で、1931年にドイツの劇作家カール・ツックマイヤーにより舞台化された「ケーペニックの大尉」の話がよく当てはまるだろう。この話では、ある詐欺師がプロイセン軍の将校になりすまし、幾人かをかき集めて自分の指揮下に置き、市の公金をだまし取った。これは、大胆不敵な態度を単純に信じ込み、上部機関に問い合わせようとしなかった役人たちのおめでたさを物語る話である。

 第3は、ナシーム・ニコラス・タレブによる2007年の「ブラック・スワン」理論である。昨今の主要な危機、パンデミック、気候変動に起因する水害や火災、さらには今起きているアフガニスタン政策の失敗は、驚きをもたらす、かつ体系的な性質をともに示している。「ブラック・スワン」理論では、西洋の人々は黒い白鳥を見たことがなかったため、全ての白鳥は白いと信じていたとされる。そして、人々はブラック・スワンを目にする事象を体験する。それは思いがけず起こり、人々を不意打ちし、大混乱を広げる。この状況は、ここ数日あらゆるチャンネルに見ることができ、あらゆる新聞に読むことができる。それは、あらゆる予測を超えている。その影響は想定されておらず、その反応は慌ただしい決定やパニックに基づくものとなる。災害の規模は、いかなるシナリオでも予測されておらず、いかなる想定においても外れ値である。タレブは、三つ子の誤解を想定する。現在起きている事象を理解したという錯覚、後講釈による曲解、既存の事実情報と知的エリートに対する過大評価である。認識は観察者に依存し、それは必ず主観的であるが、意思決定、この場合には致命的な意志決定の基礎となる。

 第4は、ほとんどの組織や機関に見られるサイロ思考である。「アフガニスタン政策」という言葉は、実際には婉曲表現である。それは、ミッション開始当初は、「主導国」という考えに基づいて、異なる政治分野(開発、経済、治安、軍事、教育など)については異なる国の政府が引き受ける形になり、決して統一的あるいは単一の政策ではなかった。また、現在では、外務省、国防省、開発省、内務省といったさまざまな省庁がある。最後の最後まで、いわゆる現地職員が悲惨な末路を迎えたその時まで、統一的政策も、説得力のある政策も存在しなかった。省庁やその下部機関の担当役職員はそれぞれのサイロにはまり、特定の個別の側面に責任を負うものの、統一的な説得力のある政策には責任を負っていなかった。外部のオブザーバーは、調整協議やワーキンググループが省庁間の言い争いになるという状況をしばしば体験した。これは、EUや米国の国内政治に限ったことではなく、例えば国連にも非常によく見られる特性である。最終結果は、組織だった無責任である。そして、大惨事が起きた際には、「この件については私が政治的責任を負います」、「迅速かつ柔軟な支援を約束します」といった約束が繰り返しなされ、多くの場合は結果が伴わない。

 そこで話は振り出しに戻る。われわれはなぜ、同じ過ちを何度も繰り返すのをやめないのか!

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。