Climate Change and Conflict ギュンター・ベヒラー | 2024年11月04日
私たちは土地を持たない、私たちが土地だ。私たちは海を持たない、私たちが海だ。
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Image: Don Mammoser/shutterstock.com
ウクライナや中東の戦争は、気候変動も犠牲者を出して久しいことを忘れさせる。その地理的影響は必然的に、社会的ストレスや政治的緊張、さらには軍事的暴力まで煽っている。
30年前、1992年の「環境と開発に関するリオ会議」から2年後に、スイスピース(Swisspeace)とスイス連邦工科大学(ETH)チューリッヒ校の共同研究プロジェクトで次のような結論が出された。「世界的、地域的、局地的な環境危機の劇的な深刻化により、生態系の破壊はますます紛争の重要な要素となりつつある」。当時、フィールド調査の重点は、サヘル地域の干ばつと砂漠化、国際河川(中央アジアなど)、破壊的鉱業活動(ブーゲンビル島の銅鉱山など)をめぐる紛争の可能性にあった。中でも、ある論文は、ルワンダの「千の丘」における人類生態学的ストレスが1994年春の大虐殺に寄与したことを取り上げた。だがCO2排出量や気候の変化は、危機や紛争の要因として漠然と浮上するのみだった。
その一方で、「気候変動」は他のあらゆる問題を押しのけている。疲弊した政権、例えばシリアのような政権が、国内のあらゆる問題を地球の気候変動のせいにする時、本当にすべてが正しい方向に進んでいるのか問わなければならない。ハンブルグ大学平和・安全保障政策研究所と戸田記念国際平和研究所が共同で2024年9月に開催したワークショップでは、まさにこの質問に対する批判的検討が行われた。太平洋島嶼国のフィジー、ツバル、クック諸島、サモア、バヌアツからの研究者らは、ドイツ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、フィンランド、ノルウェー、デンマークなどからの参加者との対話の中で、太平洋諸島が直面している複合的かつ多層的な脅威を強く訴えた。行動志向の研究者らは、海面が上昇すれば島の世界は必然的に消滅するというような、世界に広がる「気候還元主義」と、それに伴う決定論的見方に異を唱えた。先住民たちは、終末論的な幻想に対し、彼らの豊かな哲学的・精神的源泉から生まれた別のナラティブを提示して反論した。これは、先住民の人々がとてつもない課題に直面しながらも驚くほどの落ち着きを湛え、広く語られる「犠牲者」的なナラティブとは反対に彼ら自身の「主体性」を口にする理由の一つのようだ。先住民の研究者らは、こう要求する。
「すべてが保存されなければならない!」
「(太平洋の)関係性」という言葉は、人と自然、過去と未来、祖先と未来世代など、あらゆるものが深遠な関係性のうえにあると強調することを意図している。個人は、全体の一部として存在するに過ぎない。あるいは、サモアからのある参加者はこれを、「私たちは土地を持たない、私たちが土地だ。私たちは海を持たない、私たちが海だ」と表現した。土地は「私たちのアイデンティティーをつなぎ留める錨」だと、フィジーからの参加者が付け加えた。これは、先住民の人々が、受け継いだ土地に眠る祖先の墓とともに彼らの「場所」を維持していくために、持てる限りの物理的・精神的な強さを発揮し、代々伝わる伝統的知識を革新的な形で応用する以外に選択肢はないということを意味する。従って、例えば沿岸部から標高の高い地域への再定住は、そもそもそれが可能であっても、痛みを伴い、傷を残す出来事なのだ。再定住がコミュニティーの決定であること、自発的に、かつ他の適応策が全て尽きた後に選択されることが重要である。
構造的・文化的暴力
先住民の人々は、確かに気候変動を大きな課題と見なしている。海面上昇を引き起こしているだけでなく、破壊的なサイクロンや他の極端な気象現象を増加させている。これらは、島が沈みつつあるとされていることより、彼らの日常生活にとって大きな懸念を引き起こしている。島はタイタニック号ではない。
先住民の人々は、脅威と彼らの「場所」を失う可能性を、二重の意味で体験している。
- 気候変動は先住民の人々に対し、構造的暴力という形で影響を及ぼしており、それは先進国と旧植民地宗主国の責任である。この暴力は、世界の不正義と認識され、島の世界を確かな未来へと導くために、将来可能でかつ実行の可能なことと、現在の状況との落差の拡大として現れる。
- 現在の、および予想される生計手段の喪失は、社会的混乱と政治的緊張をもたらす。特に、協議も行わないまま、現地政府が旧宗主国による手っ取り早い「解決策」に丸め込まれてしまう場合はなおさらである。このような解決策には、避難、再定住プログラム、例えばオーストラリア、ニュージーランド、米国(特にハワイ)への強制移動などがある。「正しくない緊急援助」と国内政治がもたらした土地の喪失を、先住民の人々は「文化的暴力」と見なしている。そして、それは全体としての関係性を壊すことによって、コミュニティーの根幹そのものを脅かすものである。
構造的あるいは文化的暴力は、必ずしも物理的または武装暴力に発展するわけではない。太平洋諸島民が印象的なまでに示しているように、彼らは、対話、レジリエンス、国際外交を通して革新的かつ平和的な結果を実現しようとしている。これまでに広い地域で大きな内戦が起こったのはブーゲンビル島のみで、その原因の一部は、 1990年代にリオ・ティント・ジンク社が運営する銅鉱山の破壊的な環境影響によって引き起こされたものだ。
比較のために言うと、他の地理的状況においても、大規模な暴力行為が環境的変化に起因することがある。ダルフール(西スーダン)の内戦と国内避難民の大量発生に見られるように、土地資源への圧力増大、土地利用権と利用パターンの変化、顕著な干ばつ、気候に起因する砂漠化が、部族間さらには地域間や国境を越えた暴力的紛争に拍車をかけている。これらの紛争はバシール軍事政権の支援を受けて、2004年に勃発した大虐殺を伴う内戦へと発展し、何百万人もの避難民を生み出した。当時ジャンジャウィード民兵のリーダーであり戦争犯罪者であるヘメティを国際刑事裁判所(ICC)に引き渡すことができなかったため、彼は今もなお、ブルハーン将軍との権力闘争によってスーダンをがれきの山にすることができる。彼は、主にワグネル・グループとその後身であるロシアのアフリカ部隊の支援を得てこれを行っており、特に北ダルフールの金鉱に執心している。現在のダルフールで起こっていることは、サヘル地域全体にも当てはまる。脆弱な国家体制、軍事クーデター、テロリストと犯罪による暴力、機能不全の長老政治(カメルーン)は、今や気候変動や地域の環境悪化によってすでに生活が広く脅かされているこの地域全体を特徴づけている。
太平洋地域のやり方から学ぶことは、平和、安全保障、持続可能性を求めて努力する他の場所においても建設的なアプローチとなり得るだろう。潜在的な紛争と脆弱化した島民という背景のもと、広く支持されている2018年の「戸田記念国際平和研究所・気候変動、紛争、平和に関する太平洋宣言」は、一つの画期的な成果となっている。宣言では、問題を説明する前置きの後、「そのため気候変動への適応策には、紛争を予防し地域の事情や平和維持を優先する紛争に配慮したアプローチが必要となる」と記されている。そのうえで、国際環境法の適応や温室効果ガス排出量の削減から、地域や文化に適応した自然に関連する活動まで、多岐にわたる具体的な対策が列記されている。また、人間中心の搾取型の枠組みと対比させて、「自然の権利」が提示されている。モットーは、ともに成長することであり、他者(他の人々、人間以外の他の生き物、さらには将来世代)を犠牲にして成長することではない。
文字通り足元の地面を失う危機にさらされている人々は、自らのルーツを思い起こすべきである。「あとは野となれ山となれ」は、いかなる時も、いかなる場所でも、賢明な解決策であったことはない。
ギュンター・ベヒラーは、1990年代にスイスピースとスイス連邦工科大学チューリッヒ校が実施した共同研究プロジェクト「環境劣化と紛争」の責任者を務めた。2007年以後、スイス特使としてダルフールに戻った。国連とアフリカ連合が主導した「ドーハ・プロセス」で調停官を務めた。