Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ラメッシュ・タクール | 2023年08月11日
強力な核規範は条約を弄するより強し
Image: metamorworks/shutterstock.com
この記事は、2023年8月9日に「The Strategist」に初出掲載されたものです。
包括的核実験禁止条約(CTBT)の締約国は約178カ国、このほか、署名済みだが批准していない国が8カ国ある。1996年9月10日に採択され、2週間後に署名されながらも、同条約の誕生は長引くつらいものだった。その法的地位はいまだ曖昧である。さらに、熱心すぎる擁護者たちのせいで、その規範的能力が損なわれかねない状態だ。
1990年代初め、筆者はニュージーランド政府の軍縮顧問としてCTBTを提唱し、1995年にキャンベラのオーストラリア国立大学平和研究センター所長に就任してからもその取り組みを続けた。議論は非常に白熱していた。この記事では、当時とその後のオーストラリア、ニュージーランド、インドの外交官や、1998年4月以降は国連システムで軍縮問題に携わる上級職の同僚たちとの広範囲にわたる議論に基づいている。
世界で唯一軍縮交渉を委任された常設機関はジュネーブ軍縮会議であるが、機能不全に陥っており、議題の決定ですら合意に至らたないことがしばしばである。会議は全会一致で運用されているため、全ての加盟国が事実上、あらゆる実質的決定に対する拒否権を有することになる。対人地雷を禁止するオタワ条約や核兵器禁止条約は、ジュネーブ軍縮会議から離れて交渉や採択を行ったことによって初めて可能になった。CTBTに関する交渉も、ジュネーブ軍縮会議の外で1996年に最高潮を迎えた。
インドは当初CTBTの考え方を支持していたものの、交渉でまとめられたテキストは採択しなかった。インドは主に二つの点で異議を唱えたが、いずれも最終草案で取り上げられなかった。第1は、同条約が臨界前核実験を認めている点である。臨界前核実験は、核物質とおそらくは爆薬を用いるが、副産物を生まないよう設計されている。核保有国は、それ以上の実験を行うことなく核兵器への信頼性を維持するために、臨界前核実験が必要だと主張したのである。第2は、予定を定めた軍縮プロセスと関連付けられておらず、そのため不拡散が国際社会のためではなく核保有国の意図に資するものとなっている点である。
ただし、重要なことであるが、インドは条約を拒否するつもりはなく、採択したい国が採択するのは構わないと述べた。ところが当時、交渉担当者らは致命的な戦略ミスを犯した。
彼らは、附属書2に掲げられた44カ国(当時の核技術保有国)全てが署名および批准しなければならないと定める類を見ないほど破壊的な発効条項を挿入したのである。そのうちインド、北朝鮮、パキスタンは署名していない。中国、エジプト、イラン、イスラエル、米国は署名したが、まだ批准していない。
米国は、核兵器国5カ国のほかに指定された多くの国々の全てが批准しなければならないという要件に喜んだことだろう。中国は断固として、「核敷居国」であるインド、イスラエル、パキスタンの3カ国も締約国でなければならないと主張した。モスクワは、中国が従わないのなら加盟する気はなかった。英国の強い要求もあり、この発効要件は選ばれ、最終的に適用された。
この条項のせいで、インドは条約を拒否した。インドのアルンダティ・ゴーシ軍縮大使は、この発効要件が存在する限りインドは「現在も、これからも」署名しないときっぱり宣言した。いかなる主権国家にも条約への署名を強制することはできず、反対する国家の署名を条約発効の条件とすることはできないという原則に基づけば、この条項は条約を違法かつ不当なものにしているとインドは判断したのである。
3年間にわたる集中的な交渉が1カ国のためにダメになることを受け入れられず、国際社会は手続き上の小細工を用いてインドを追い込もうとした。拒否されたCTBT草案は、ベルギーによって国の文書として採択され、オーストラリアによって膠着状態のジュネーブ軍縮会議の外に持ち出され、国連総会で国際条約として承認された(賛成158、反対3)。
インドが代替案を示したにもかかわらず、このような事態になった。インドは、1993年1月に署名された化学兵器禁止条約を例示したうえで、CTBT草案の発効条項を修正し、化学兵器禁止条約の発効要件である65カ国の批准とする案を提出した。妥協をいとわない柔軟な姿勢をニューデリーが示したにもかかわらず、国際社会はインドに批判を浴びせた。CTBTがいまだに法的に発効していない原因については、むしろ中国の頑固さのほうが非難に値する。
発効条項に対する世界の硬直的な姿勢がCTBTを行き詰まらせ、必然的に核問題に対するインドの姿勢を硬化させ、安全保障問題化したのである。核不拡散条約のような類似の条約が同様の発効要件を設けようとしていたならば、それらの条約も法的地位を獲得することは決してなかっただろう。
CTBTの交渉担当者らは、核に関するインドの意思決定の思惑について致命的に誤った判断を下した。筆者は当時、International Herald Tribuneの記事で、CTBTを運用可能にすることを最優先するべきであり、インドは後から加盟すれば良いと論じた。それを補足するものとして、The Australianの記事で筆者は、「米国が主導する国連の強要を受け、孤立し、不機嫌になり、憤慨したインドが公然と核計画に乗り出す可能性はこれまで以上に高くなっている。それには[中略]一連の核実験も含まれるだろう」と書いた。2年以内にそれが現実となった。
筆者の警告は、キャンベラとウェリントンを含む西側の外交官によって、インド側の先入観として一蹴された。しかし、元インド軍最高司令官であり元インド首相であるインドラ・クマール・グジュラールなど、インド戦略界の人々の間では広く共感を得た。筆者が思うに、NATOも同じ過ちを犯した。彼らは、NATOの東方拡大に対するモスクワの懸念に対して同じように故意に目をつぶり、ロシアを挑発する一方で抑止しなかった。このパターンが中国に対しても繰り返されるのではないかと、筆者は懸念する。
驚くべきことに、法的欠落があるにもかかわらず、CTBTは現実面では十分に機能している。実施機関としての事務局はウィーンに所在し、年間予算は1億2,600万米ドルに上り、オーストラリアの科学者兼外交官ロブ・フロイド(筆者は彼の選出を後押しした)のリーダーシップのもとで約300人のスタッフが働いている。その検証体制は国際監視制度で構成され、337の監視施設や研究所の90%はすでに稼働している。そのうえで、これらの施設が作成した情報を国際データセンターが収集し、分析し、共有している。
G7首脳が発表した2023年5月19日の「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」は、核実験に反対する世界的規範を再確認するものであるが、CTBTを発効させることが「喫緊の事項」であると強調した。これは、反対国の国内政治情勢(今日のインドでCTBTは極めて不快な4文字である)や地政学的緊張の高まりを考えると問題がある。率直に言って、この条約が近い将来発効する見込みはゼロである。
トーマス・フランクは、著書The power of legitimacy among nationsの中で、強大な国家がなぜ効力のないルールに従うのかを模索した。たとえ条約や拘束力のある義務がなくても、ある種の規範が持つ道徳的権威は強力な「遵守誘引力」を発揮すると、フランクは主張する。これは、さらなる核実験に反対する規範がなぜ有効であり続けているかを説明する説得力のある理由である。インドは、CTBTに署名していないが、1998年以降、爆発を伴う核実験を自主的に停止してきた。今世紀これまでに核実験を実施している唯一の国は、北朝鮮である。
CTBTを発効させるためには、再び65カ国の批准を発効要件とするなど、条約を修正することが考えられるが、そうすることによって、既存締約国178カ国のうち多くが再署名しない可能性もあるため、条約の規範力が弱められる恐れもある。
法的地位はどうであれ、各国の首脳は、条約が未発効であることを繰り返し指摘しないよう注意を払うべきである。それが既存の規範への遵守を弱めることになりかねないからだ。形式的なお題目を捨て、代わりに強く働きかける言葉を使うべきである。「われわれは、包括的核実験禁止条約に裏打ちされた、核爆発実験に反対する世界的規範を守り抜くために尽力し続ける」というように。
ラメッシュ・タクールは、元国連事務次長補。現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長、および戸田記念国際平和研究所の上級研究員を務める。「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」の編者。