Contemporary Peace Research and Practice アミン・サイカル | 2022年01月11日
カザフスタン危機はプーチンに高くつく可能性
Image: Protest in Aqtobe, 4 Jan 2022 (Esetok:Flickr)
この記事は「The Strategist」に初出掲載され、許可を得て再掲載したものです。
石油資源と鉱物資源が豊富なカザフスタンで、燃料価格の高騰をきっかけに全国規模で発生している市民騒乱は、元をたどれば、1990年にこの国がソ連からの独立を宣言して以来の根深い統治問題と構造改革を求める社会の要求がある。この混乱は、カザフスタンの権威主義的な体制だけでなく、ロシアにとっても深刻な課題となっている。それは、ロシアが「近い外国」あるいは安全保障および利益圏と見なしている国の安定を揺るがす可能性をはらんでいる。
抗議が起こった背景には、長期にわたる権威主義政権、真に国民の信託を受けた統治体制に市民が幅広く参加することを求める声、蔓延する汚職、市民的自由の剥奪、社会格差と経済格差の拡大、そして、より情報力のある若い世代のカザフ民族主義者が登場し、意味ある改革を求めるようになったことがある。
カザフスタンは、1990年から2019年までヌルスルタン・ナザルバエフ大統領が政権を握っていた。ソビエト共産党員として出世を遂げた人物である。彼は、共産主義国家だった時代から政治的、経済的な自由化期と当初呼ばれた時期に至るまでずっと、この国のかじ取りをしてきた。ナザルバエフは、カザフ人が中心となって国を運営することの重要性を強調したが、その一方でカザフスタンの多民族性にも大いに注意を払った。最も重要な点は、ソビエト時代、ロシア人が多民族の中でも国家運営に重要な役割を果たす権限を与えられていたことである。とはいえ、変革のプロセスに対してはナザルバエフが全面的なコントロール権を握り、政治家としての人生を形成したソビエト式の手腕を発揮した。
ナザルバエフは、カザフスタンの外交関係を多角化し、西側諸国との結び付きを強めようとしつつも、主要な外交政策問題については最終的にロシア政府の顔色を窺ってきた。そのことは、カザフスタンが、ロシア主導の独立国家共同体(11の旧ソビエト連邦構成共和国が加盟)と集団安全保障条約機構(CSTO)(ロシアとカザフスタンのほか、ベラルーシ、タジキスタン、アルメニアという三つの旧ソ連構成国が加盟)に加わっていることでもわかる。また、ナザルバエフの地域政策では、中国をもう一つの近隣大国と見なしており、カザフスタンは上海協力機構の加盟国になっている。
概していえば、ナザルバエフ時代は安定し、インフラ開発が進み、そして、カザフ語教育を受けた自らのアイデンティティーと国家の立ち位置を模索する若年層の成長を特徴としていた。また、汚職や社会格差と経済格差、国民の不満の高まりも見られたが、その不満は抑圧されていた。ナザルバエフが30年近い支配の後に退陣を決めた時、反対勢力は徐々に地歩を築いていたが、大っぴらな誇示は控えていた。ナザルバエフの後任として彼の支持者であるカシム=ジョマルト・トカエフが大統領に就任したが、ナザルバエフは、カザフスタンで実権を握る安全保障会議の議長として国務における重要な役割に留まっていた。今回の騒乱の根底にあるのは、ナバルザエフに対する不満と生活水準の低下に対する国民の不満である。
先週、抗議運動がカザフスタン最大の都市アルマトイから広がったのを受けて、トカエフはCSTOに治安支援を求めた。モスクワはただちにこれに応え軍を派遣した。それはカザフ民族主義者たちに、モスクワが再び権利を主張してくるという恐怖を改めて抱かせたかもしれない。トカエフはまた、ナザルバエフを安全保障会議の役職から解任し、その側近や国家安全保障トップのカリム・マシモフを逮捕した。これは、支配層内の権力闘争を明確に示すものである。その一方で、トカエフは、デモ参加者を外国の支援を受けたテロリストと呼んでいる。
治安部隊とデモ参加者の流血の衝突により、死傷者は数十名にのぼり、5,000人以上のデモ参加者が拘束された。トカエフはロシアのウラジーミル・プーチン大統領と密接に協議したうえで行動しており、彼が個人的な支配を確立するプロセスを進めていることがいまや明らかになっている。
カザフスタン危機は、プーチンに大きな課題を突きつけている。旧ソ連・中央アジア・イスラム教共和国の中で最も大きく、最も資源豊富なこの国で起こった騒乱は、それらの国々に影響を及ぼしかねない。一方、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンも、タリバンが支配する近隣国アフガニスタンからのイスラム過激派の脅威を感じている。プーチンは、中央アジアの安全保障はロシアにとって不可欠であると繰り返し述べており、すでにタジキスタンの脆弱な対アフガニスタン国境を守るためにロシア軍を配備している。カザフスタンで起こっている問題をコントロールすることは、ウクライナとの国境沿いで軍備を増強してウクライナ侵攻の布石を打つことも視野に、ロシア軍をさらに広範囲に配備することを意味する。モスクワは歴史的に、ロシア南部と西部の国境の安全保障にほぼ対等に関心を寄せてきた。
カザフスタンの騒乱は、同じように弱体化した独裁政権が支配する脆弱な中央アジア近隣国に影響を及ぼす可能性がある。それに加え、「アフガンの脅威」が存在する状況で、プーチンは米国とNATOの同盟国から譲歩を引き出すためにウクライナ侵攻は有効な戦略かどうかと思案しているに違いない。ロシア南部の裏庭で起こった混乱は、米国とその同盟国にウクライナ問題をめぐるモスクワとの交渉、さらには中国との競争における切り札を与える。
プーチンと中国の習近平主席にとって、カザフ危機はこれ以上ないほど微妙な時期に起きた。習近平も中国の北西国境の近くで生じている不安定な状況を無視するわけにはいかない。2人のリーダーはいまや、カザフスタンの状況を抑え込むために必要なことを何でもやるだろうと予想される。しかし問題は、それがどのぐらいの期間かということである。
アミン・サイカルは、西オーストラリア大学で社会学の非常勤教授を務めている。共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、共編に“Afghanistan and Its Neighbours After the NATO Withdrawal” (2016) がある。