Cooperative Security, Arms Control and Disarmament ギュンター・ベヒラー  |  2023年02月28日

ウクライナ交渉への長い道のりに高いハードル

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 「いますぐ交渉を!」。ロシアのウクライナ侵攻以来、この戦争を速やかに終わらせる方法について白熱した議論がなされてきた。国際社会の仲介による交渉を訴える者もいれば、ウクライナの軍事的勝利を可能にすることを訴える者もいる。ロシアとウクライナの間の持続的平和は考えられるのか? 考えられる。ただし、欧州的グローバル枠組みの中においてのみである!

 熱心な観測者らは、紛争当事者がただちに話し合いの席に着き、紛争を平和的に、かつ合意により解決するべきだと主張する。問題は、エスカレーションが起こる前にすでに紛争システムにおける平和的解決の条件が存在していたのだとしたら、暴力の行使はそもそも生じていなかったという点だ。エスカレートする前に対話の条件が整っていなかったのなら、普通は暴力の一線を越えてしまった後になおさら整うわけがない。ロシアが隣国を侵攻する直前にウクライナでエスカレートしていた状況は、明らかにこのパラドックスを示している。ウラジーミル・プーチンはギリギリまでウクライナを攻撃する計画はないと主張していたが、2021年11月以降、西側諸国の政府は予想されるウクライナ攻撃を行わないようプーチン大統領を説得し、軍事的脅威を視野に入れて「外交への復帰」を呼びかけるさまざまな目立った動きを見せていた。結局、マクロン大統領もショルツ首相も、またジュネーブで行われたロシア連邦(RF)と米国の外務副大臣による土壇場の会合でも、計画などしていなかったと称する攻撃をプーチンに思いとどまらせることはできなかった。

 いかなる交渉の取り組みにおいても、時間的要因が重要な役割を果たす。それは、話し合いが「行われるのか」と「いつ行われるか」の問題である。武力行使が始まった直後に紛争当事者が交渉するのは無理だということは、経験上明らかである。特に国内および国家間の武力紛争の場合、最初の一撃が放たれる前には長期にわたる緊張、分極化、威嚇、非難の段階がある。紛争が暴力に発展すれば、文字通り一挙に、極度のストレス要素が紛争の力学にいっそう拍車をかける。人間性の喪失、逃亡と強制退去、人道的犠牲者と戦闘犠牲者、深刻な負傷と死亡などである。第三者や無関心な傍観者はたいがい、残虐行為や世界平和へのリスクを考えて速やかに外交と対話に復帰するよう求める。しかし、戦闘が終わりのない消耗戦に陥り、指導者層の権力を弱体化させ、彼ら自身の政治・軍事システムを分断しない限り、信頼に足る交渉はほとんど見込めない。勝利するか敗北になるかの認識が、交渉のタイミングを決定する。しかし、その瞬間がいつ訪れるかの認識は、当事者によって非常に異なる。

 紛争当事者は、対内的にも対外的にも、状況や自らの意図についてできる限り有利な印象を与えようと躍起になる。自分たちの崇高な目的を訴える一方で、相手方を悪く言い、悪者扱いし、人間性を否定する。プーチンは権力の座に就いて以来、ロシアを破壊しようとするファシストという敵のイメージを作り上げようとしてきた。2023年2月2日のラブロフ外相の発言によれば、彼らは「ロシアの問題に対する最終的解決を図っている」という。ナチスの「ユダヤ人問題に対する最終的解決」を連想させるようなこの比喩を恥ずかしげもなく用い、ラブロフはロシアによる侵攻の犠牲者に責任をなすりつける。それは醜悪な「罪の反転」に等しい。自身の攻撃的な行為の全ての理由を相手のせいにするのである。このようにして、国際法に違反する攻撃は、ロシア連邦の安全保障とロシア国民の保護を確保するための予防的防衛となるのだ。攻撃は反撃となり、介入は予防となり、征服は防衛となる。紛争研究が示すように、これは調停が極めて困難な紛争の根本原因である。というのも、紛争当事者はこのことを第三者に知らせないようにする、あるいは意図的に誤解させることにもっぱら関心を抱いているからである。

 これまで論じた三つのトピックに加え、今回の戦争には交渉をいっそう困難にする、あるいはそれを不可能にさえする二つの特殊な事情がある。

  1. ウクライナに対するロシアの攻撃は、内部の、純粋にロシア的な側面により強く特徴付けられている。その側面は、冷戦やNATOの存在より歴史的にはるかに古い。そのような背景を考えると、彼らの言う「西側の過ち」はウクライナにおけるもっかの戦争の主な原因ではない。プーチンがしきりにロシアの栄光の歴史に言及することによって示す通り、過去の偉大さにかこつけて修正主義的、帝国主義的な振る舞いをする権力者は、国際的な敵がいなくてもそうすることができる。
  2. プーチンは、元ウクライナ領の4地域の併合とロシア連邦への編入を憲法に書き込んだ。こうして彼は、自分自身ひいては将来の大統領全員に足かせをつけてしまった。たとえ彼がそう望んだとしても、ロシアの憲法に違反することなく交渉の席で領土的妥協をすることはできなくなったのである。「ロシア領」の譲渡をちらつかせる者は、政治的に翌日生き延びることはまずできないということだ。

 こういった全てのことは、交渉のテーブルで戦争を速やかに終わらせるための具体的要求という点で何を意味するだろうか?

-  何よりもまず、そのような交渉を促そうとする第三者は自らに問わねばならない。いつ、いかなる前提のもとで、両当事者がほぼ同時に、軍事的暴力を終わらせるための交渉の席に着こうという気になるだろうか。ソ連崩壊後の状況における経験を踏まえて振り返ると、かなり懐疑的にならざるを得ない。ロシア連邦が紛争当事者となった状況では常に、現状を固守し、紛争当事者であること自体をモスクワが否定するという硬直的な型にはまった帰結以外もたらされなかった。

-  次の問いは、順序に関することである。期間と地域を限定した停戦のように、最初は信頼醸成「のみ」を問題とするべきか? あるいは、最初から敵対行為の包括的停止とそれに伴う監視の合意および軍の撤退であるべきか? 修正主義的ロシア連邦と個別の旧ソ連国との非対称な紛争は、「武力の不行使」と現状の「事実上の承認」に関する合意以上の帰結を迎えることができるだろうか? 既存の交渉フォーマットは何年間も堂々巡りをするばかりで、変容的な和平プロセスをもたらしたものはひとつもない(ジョージアがその代表例だ)。

-  理想的には、エスカレーションが起こる前に第三者が両サイドと良好な信頼関係を築き、維持しているべきだった。これは、第三者があらゆる点で「中立的」でなければならないという意味ではない。しなければならないのは、当事者との関係において「公平に」振る舞い、構造化されたプロセスと公正な手続きを確保することである。価値観という点では、国際法の規範と原則を示し、これらをルールに基づく交渉の指針としなければならない。

 過去20年間、ロシア-旧ソ連地域-欧米のトライアングルに生じる無数の紛争に対処するための外交イニシアチブ、フォーマット、メカニズムには事欠かなかった。ジュネーブ会談、ナゴルノ・カラバフ紛争に関するミンスクグループ共同議長声明、ウクライナに関するミンスク合意、さらには「ノルマンディー・フォーマット」といった多くの「小さな」フォーマットは、永続的平和をもたらさなかった。それらはどうやら、ロシア連邦が主に第三者の助けを借りて領土的主張を正当化し、確立するために役立ったようだ。その結果は、極めて脆弱な地帯、「中間ヨーロッパ」の貧困地域、安全保障が不均一な地域からなるパッチワークキルトである。

 ウクライナは、世界における政治的重要性を考えると、「状況中立的」な偽物の解決しかない「小さなフォーマット」に凍結するなど到底できない。むしろ、2025年にヘルシンキ最終議定書の50周年を迎えることを考えると、前に進む二つのステップが必要である。

 第1のステップは適切なタイミングでの停戦であり、ロシア連邦とウクライナは第三者の助けを借りてこれを結ばなければならない。第2のステップは、「1975年プラス50年」の年に全ての欧州国に同等の安全保障をもたらす包括的な平和秩序を交渉することである。国連総会のウクライナに関する決議は、国際法のもとでの道筋を示すとともに、世界の保証国を交渉のテーブルに着かせるものとなり得る。今度こそ欧州は、21世紀の喫緊の課題に対処するため、修正主義、新植民地主義、そして戦争に別れを告げる機会を得るだろう。国連は、安全保障理事会の思い切った改革を行う機会をつかむことができるだろう!

ギュンター・ベヒラーは、平和学博士であり、スイスピース(Swisspeace)の初代所長である。スイス連邦外務省に勤務し、平和外交に携わってきた(ネパール、スーダン、カメルーンなど)。3期にわたり欧州安全保障協力機構(OSCE)議長国議長のもとで南コーカサス特使を務め、 ジョージアに関するジュネーブ国際協議では共同仲介者を務めた。