Climate Change and Conflict ジョン・キャンベル/キャロル・ファルボトコ | 2023年02月20日
居住可能性とリレーショナル・セキュリティ
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安全保障という概念は、気候変動の影響と適応に関する研究および政策策定において重要な役割を果たしてきた。食料や水の安全保障、生計の安全保障、環境安全保障、健康の安全保障、人間の安全保障、気候変動の影響とそれに対する適応策に起因する紛争を背景とする国家的・国際的安全保障など、安全保障のさまざまな側面が求められている。これら全てが本質的に現象としての(具体的、物理的)性質を持っており、気候変動は、生活とウェルビーイングの物質的な必需品を極めて深刻に脅かす恐れがある。しかし、現象面に注意を向けることにより、人々の安全保障の非物質的要素を見落とす、あるいは軽視する恐れもある。そのような非物質的要素は、太平洋諸島の住民や出身者のほとんどにとって極めて重要なものである。
非物質的安全保障という考え方を探求するうえで有用な出発点は存在論的安全保障という概念である。この言葉は、1960年に心理学者のR.D.レインが人々の心理的困難に関連付けて紹介したが、30年後にこれとは大きく異なる形で、社会学者のアンソニー・ギデンズが、後期近代を背景とする日常生活における個人の安心感を表現する言葉として採用した。その考え方は人間の安全保障の物質的・非物質的な要素を、特に移民、場合によっては気候変動に脆弱な人々との関連で総合的に捉えるために有用であると認識されるようになっている。端的に言えば、存在論的安全保障とは、個人の「存在の安全保障」と言われている。個人が安全に存在できることである。社会生活、環境、精神状況に対する日常的な期待が満たされ、日々の生活を営めると確信できる保障である。
存在論的安全保障によって、個人は他の人々、物体、場所、意味といった物事に頼ることができ、昨日と今日そうだったように明日もそれは概して変わらないと信じられる。場所ということでは、それは不確実性から身を守り、不安なく戻れる安全な場所が確保されている。ギデンズが示唆するように、それは帰属意識や自身のアイデンティティーへの信頼感に基づく、自身の生活の継続感に関わるものである。太平洋の観点から見れば、存在論的安全保障には、空間・土壌・動植物・農作物・土地・海洋・健康・安全といった物質的要素、親族・コミュニティー・リーダーシップ・互惠関係といった社会的側面、そして、場所・アイデンティティー・誕生・死・帰属・スチュワードシップ・過去・未来といった文化的要因がある。物質、文化、社会という三つの構成要素のいずれか一つでも欠ければ、存在論的安全保障は損なわれる恐れがある。
筆者らは、環礁における居住可能性の意味を考察した際、太平洋諸島の適応策に対する現代の科学的アプローチや政策的アプローチに用いられるような、物質的「生命維持システム」に基づく定義は不十分であると結論付けている。存在の安全保障という概念は、環礁や他の太平洋諸島においても、居住可能性の極めて重要な構成要素である。しかしながら、それを表現するには、西洋的文脈において形成され、個人が抱く安心感に焦点を当てた概念である存在論的安全保障だけでははるかに不十分である。
太平洋諸島のほとんどの人が持っている世界観は、全ての要素がつながり合う高度に関係的な世界観である。従って、人々を環境から切り離し、人々をコミュニティーおよび/または親族集団から切り離し、日常生活を精神的領域から切り離すことはできない。このような関係的な存在論を表す重要な概念は、*「バヌア(banua)」(「フェヌア」「ヴァヌア(vanua)」などを含む)と「バー(vā)」(空間の概念であり、個別の場所を区別するものではないが、間にある空間とも見なされる)。こういった関係性の側面は、存在論的安全保障の存在論の一部ではない。しかし、存在論的安全保障、すなわち個人の存在の安全保障は、太平洋地域では、*「バヌア(banua)」や「バー」、そしてそれらの中で生起する個人の関係を抜きにして存在することはできない。親族やコミュニティーにおける関係、*バヌア(banua)とのつながり、そして太平洋における空間的なつながりの重要性は、存在論的安全保障に見られる個人の重視とは相容れない。それは個人の重要性を否定するものではないが、はるかに広範なコンテクストから個人を捉えるものである。フィジーの人類学者である故アセセラ・ラブブは、フィジーの村落におけるバヌア(vanua)の説明においてこの認識を示している。
ナコロスレの人々は、彼らの物理的具現たる土地なくして生きることができず、個人と集団の生存はそれに依存している。……その意味で土地は自己の延長であり、また逆に人々は土地の延長である。
従って、個人の存在の安全保障という考え方は非常に重要であるが、それは集団、土地(および、それに関連する陸上、生物、大気、海洋の生態系)、そして精神的世界に強く結び付いたものである。この点こそ、太平洋の存在論的安全保障が西洋世界のそれと異なる部分であると筆者らは考える。関係性は太平洋における生活の極めて重要な部分であることから、太平洋における存在の安全保障を、西洋的かつ個人主義的な特徴を持つ存在論的安全保障と区別するために、リレーショナル・セキュリティという言葉が有用であろうと提案する。
リレーショナル・セキュリティが太平洋の人々の生活において重要であることを考えると、気候変動はまさしく極めて深刻な脅威と見なし得る。しかし、適応のための政策と実践においてリレーショナル・セキュリティを考慮しないならば、別の実存的脅威が浮上する恐れもある。適応策の意思決定において、気候変動の影響を受ける人々の声を中心に据えて初めて、そのような脅威を回避し得る。居住可能性が低い、または居住不可能であると判断された場所からのコミュニティーの移転は、「合理的な」気候変動適応策としてますます推進されるようになっている。しかし、そのような措置により、人々はリレーショナル・セキュリティを基盤とする元来の居場所を失う恐れがある。リレーショナル・セキュリティがなければ、新しい場所は、たとえ気候変動に直面して必要となる全ての物理的条件が提供されるとしても、不確実で危険な場所、ひいては居住不可能な場所と見なされる可能性がある。政策立案者、計画者、実践者にとっての課題は、安全保障の概念を拡大し、主流となっている西洋的な安全保障の言説だけにとどまらず、太平洋の人々の世界観の中心にある関係的側面を取り入れ、安全保障に対する彼らの理解を支持することである。それは、適応策の意思決定において現地コミュニティーの有意義な参画を持つことによってのみ実現することができる。
脚注:主にポリネシア系言語に見られるファヌア(fanua)、フェヌア(fenua)、ホヌア(honua)、ヴァヌア(vanua)、フェヌア(whenua)といった個別の単語に代わり、オーストロネシア系言語の単語である *バヌア(banua)を用いる。これらの言葉は通常「土地(land)」という英語の言葉に翻訳されるが、それよりはるかに関係的な概念を表しており、土地、環境の他の部分、個人やコミュニティーとしての人々、相互につながり合う全体における精神的世界を包含する。
ジョン・R・キャンベルは、1970年代より太平洋諸島における人間と環境の関係について研究活動を続けている。近年は、環境変化による移住を含む災害リスクの軽減や気候変動への適応などの人間的側面について研究している。
キャロル・ファルボトコは、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の科学研究員およびタスマニア大学のユニバーシティ・アソシエートである。